日本の名作を読む 第10講 3 宇治拾遺物語

簡単なまとめ

この動画では、『宇治拾遺物語』の「瘤取り爺さん」の話を読み解き、物語の教訓や登場人物の性格、そして物語が伝えようとしている人間の本質について考察します。また、この物語を題材にした近代作家の作品も紹介し、古典作品の多様な解釈の可能性を探ります。

  • 隣のおじいさんの登場と、瘤を取る方法を聞き出す場面
  • 鬼との出会いと踊りの披露、そして瘤が返される結末
  • 物語の教訓「物羨みはすまじき事なり」に対する考察
  • 『宇治拾遺物語』を題材にした近代作家の作品紹介

隣のおじいさんの登場

瘤がなくなったおじいさんの話には続きがあり、隣に住む瘤のあるおじいさんが登場します。隣のおじいさんは、瘤がなくなったおじいさんを見て、その方法を尋ねます。彼は非常に丁寧な言葉遣いで、瘤を取る方法を教えてほしいと頼み込みます。この丁寧な言葉遣いから、隣のおじいさんの真面目で律儀な性格が伺えます。

鬼との出会いと踊り

隣のおじいさんは、瘤がなくなったおじいさんに教えられた通り、木の洞穴で鬼を待ちます。鬼たちが現れ、踊りを強要しますが、隣のおじいさんは天性の才能がなく、おどおどしながら踊ります。その結果、鬼たちに下手だと判断され、預けていた瘤を返されてしまいます。

左右に瘤

鬼は隣のおじいさんに瘤を投げつけ、その結果、おじいさんは左右両方の顔に瘤ができてしまいます。真面目に鬼の言う通りにしたにもかかわらず、このような結末を迎えてしまった隣のおじいさんは、非常に気の毒です。

物語の教訓

物語の最後に「物羨みはすまじき事なり」という教訓が示されます。しかし、隣のおじいさんはズルをしたわけではなく、真面目に瘤を取りたかっただけです。最初の爺と隣の爺の違いは、ダンスが上手いか下手か、つまり鬼を喜ばせることができたかどうかでした。この教訓は、本当に適切なのか疑問が残ります。

天骨の有無

瘤がなくなったおじいさんは天骨(天性の才能)に目覚めましたが、隣のおじいさんにはそれがありませんでした。この天性の才能の有無によって結末が異なるとすれば、それは気の毒な話です。この物語は、一体何を伝えようとしているのでしょうか。

宇治拾遺物語について

『宇治拾遺物語』には、「人の物を羨んではいけない」という教訓で終わる話が多いです。これは、説話的なまとめのパターンかもしれません。面白い話を語った後、最後にこの教訓を付け加えて、説話としてまとめるという意図があったのかもしれません。

人間の本質

瘤がなくなったおじいさんと、両方に瘤がついてしまったおじいさんの違いは何でしょうか。この物語は、人間の真理や葛藤、心の動きを描いているように感じられます。また、中世という時代の変化も影響しているかもしれません。武士の時代になり、貴族の価値観が変わり、混沌とした時代を生きる人々のたくましさが描かれています。

作品ガイド

『宇治拾遺物語』は、原文も読みやすく、ネットで調べながら読めます。町田康さんの現代語訳は非常に自由で面白く、おすすめです。また、芥川龍之介や太宰治も『宇治拾遺物語』を題材にした作品を書いています。これらの作品を読み比べることで、古典作品の多様な解釈の可能性を探ることができます。

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0:00 はい、それでは物語を最後まで読んでいきましょうね おじいさんの瘤がなくなって それでハッピーエンドで終わればいいんですけれど この話はまだちょっと続きがあるんですね お隣のおじいさんというのが登場してきます 隣に住む翁は、左の顔に大きな瘤があったと 隣にも瘤があるおじいさんが住んでいるんですよね 瘤があるもの同士で仲良しになってたらいいのに とちょっと思ったりするけれど、それは置いておいて お隣にも瘤があるおじいさんがいましたと それで、翁の瘤がなくなったのを見て 「こはいかにして瘤は失せ給ひたるぞ。いづこなる医師の取り申したるぞ。 我に伝へ給へ。この瘤取らん」というので

0:46 これは医者が取ったのではないよ、という風に教えてあげる訳ですね お隣のおじいさんも、私もなくしたいという風に思いはる訳ですね 「こはいかにして」「これは一体どうやって」ということですね 「瘤は失せ給ひたるぞ」「瘤がなくなりなさったんですか?」 という風に聞く訳ですね 「いかにして」は「どうやって」「How」ですね英語で言うと 瘤がなくなりなさったんですか? どこにいる医師、お医者さんが取り申したんですか? 私にそのやり方をお伝えください。この瘤を取りたいんです。 という風に言うので、瘤がなくなったお爺さんは これは医者が取ったのではございません これこれ然然のことがあって、鬼が取ったんですよという風に言うと

1:36 「我その定にして取らん」と言って 私もその定め、やり方・方法ということですね 私もそのやり方で取ろうと言って 「事の次第をこまかに問ひければ、教えつ。」 どうやってやったんですか、どうやって鬼に会ったんですか?とかね 色々詳細をこまやかにこまやかに尋ねた訳ですね 何かもうこの隣のおじいさんもそれだけ瘤を取りたいというね 真剣さというものが伝わってきますよね それにこのお隣のおじいさんはですね、ちょっと別にいいんだけれども

2:25 おしゃべりをしているこのセリフなんかを見てあげると いかにして、その隣のおじいさんに対してですね 「失せ給ひたるぞ」とか「申したるぞ」「伝へ給へ」という風に ちゃんと相手のことに対してですね そういう敬語をちゃんと使っているんですね お隣の瘤がなくなったおじいさんに対して どうやって瘤がなくなりなさったんですか?とかね 取り申し上げたんですか?私に教えてください という風に非常に丁寧なおじいさんということで そういうところから、このお隣のおじいさんの性格というのは 非常に丁寧で律儀で、そして何かちょっと真面目というね そんなおじいさんの姿なんかも想像できますよね 本当に真剣に、もう必死にですね

3:11 しっかり綿密にこう聞いている訳ですよね それで(瘤が)なくなったおじいさんは、ああしてこうしてね こういう風に踊ってね、みたいなね ものすごくこれも嬉しそうに言うてあげたんでしょうね さぁ、そしてです この翁は教えられた通り、その木の洞穴に入って待っていると 本当に聞いていたように、鬼達がやってきた ぐるりと座って酒を飲み、「どこだ翁は来ているか」と言ったので 「この翁恐ろしと思ひながら揺ぎ出でたれば」と書いていますね やっぱり怖いよね、鬼に囲まれている訳ですから 怖いな~と思いながらも出て行ったと その時に「揺ぎ」ながら出て行ってね 「揺れている」とこれは多分震えているんでしょうね

3:56 怖いと思っている訳だから、恐ろしさで震えながら ビクビクしながら出て行った訳ですね そうしたら鬼達は 「ここに翁が来ています」と言うと、首領の鬼が トップの鬼が「こっちへ来い、さあ早く踊れ」という風に言うので 「さきの翁よりは天骨もなく、おろおろ奏でたりければ」 前のおじいさんはもうすごい舞台のように 「私の舞台!」的に踊りまくった訳ですけれども この隣のおじいさんはそういった天骨がなくて 「おろおろ」もう怯えながら、おっかなびっくり、恐々踊りを踊ったと

4:45 天骨というのは天性の才能とか言いますよね そういうことでしょうね 天から与えられた才能「もなかりければ」まあ普通そうですよね おじいさんだし、今まで(普通に)暮らしていた訳ですから そんな天性のダンスの才能が、なんていうのはないでしょうから 真面目な普通のおじいさんですから 鬼に囲まれて、それは怖いやろうし 恐々、でも一生懸命踊ったんでしょうね そうしたら、首領の鬼が「この度はわろく舞うたり。」 今回は下手やな、という風に言うた訳ですね 上手じゃないね「かへすがへすわろし。」と ちょっといいとこないかな?と考えてみるんやけど

5:31 何回考え直してみてもやっぱり悪いと、良くないということですよね 本当にあんまり良くないよと 「その取りたりし質の瘤返し賜べ」と預かっていた質の瘤をですね もう返してやれという風に言ったので 命令従って末座から出てくる訳ですね 末座から鬼が出て来て、「質の瘤を返してやるぞ」と言って もう片方の顔に投げつけたので 「うらうへに瘤つきたる翁にこそなりたりけれ。」と 「うらうへ」というのはさっき出てきましたね 左右ということで訳しましたよね かわいそうですね 隣のおじいさんは 左の瘤だけでなくて両方に瘤がついてしまったということで

6:20 悲しいおじいさんになってしまったということです 隣のおじいさんは頑張って言われた通り、真面目に しっかり綿密に聞いてですね 頑張って踊ったんやけれども、両方に瘤がついてしまったということで 非常に気の毒なおじいさんなんですけれども こういう結末になってしまったんですね これでお話は終わりなんですね それで最後に、この話全体をどういう風にまとめているかというと こういうまとめが最後に一文付いているんですね 「物羨みはすまじき事なりとか。」という風に付いているんですね どうですか「物羨み」人の物を羨むということですね 羨ましいな、と思うことですね それは「すまじき」しては駄目だよ

7:08 ということだということらしいよ、というね 「とか」という風になっていますよね 人の物を羨むということはしてはいけないことらしいよ、というね これで終わっているんですね、この話 どう思いますか? これは「人の物を羨むな」という話 隣のおじいさんは確かに瘤がなくなったおじいさんのことをいいなと思って 自分も取りたいと思ったけれども その時に、ズルをするとかいうことはしていませんよね 非常に真面目に取り組んでいる訳ですよね やっぱり瘤は自分も持っていて辛い思いをしていますから それは取りたいよね 羨ましいとかいうレベルの話ではないと思うんですよね

7:54 それで真面目に取り組んだのに両方付いてしまったと それを隣のおじいさんが羨んだのがよくないんだということ この落ちでええのか!ということなんですよね 最初のおじいさんは取ってもらいましたよね 最初のおじいさんと隣のおじいさんは何が違うかったんかと ダンスが上手いか下手かですよね 鬼達を盛り上げることができたかできなかったかというね そこなんですよね そしてもう衝動的に踊りたいというこの 駆られるような思いを持っていたかどうかという、そういう違い あるいはここの本文のことでいうと、天骨があるかないかですよね

8:42 瘤がなくなったおじいさんは この天骨というものが芽生えてしまったんですね 目覚めてしまったんですよね それに対して隣のおじいさんは天骨がなかったと 普通はそんなにないですよね その天性があるかないかということで その結末が違うということになると またこれはちょっと気の毒な話のような気がしますよね さあ、この話はどういう風にかたをつければいいんでしょうか 皆さんはどう思われますか この『宇治拾遺物語』のここではこういうまとめが付いているんだけれども 「物を羨むな」というそういう教訓でいいんだろうかと 『宇治拾遺物語』はたくさんのお話を集めていますけれども こういう「人の物を羨んじゃダメだよ」というまとめで終わっている話

9:32 このパターンのお話は割と多かったりもするんですね そうするとこれは一つのまとめの言葉のパターンみたいな感じ 面白い話をわーって皆でしておいて、最後にこれを付けておけば 何となく説話的にまとまる、みたいなね そういうところも無きにしも非ずではないかなと いう風にも思ってしまったりもするんですね 類型的な言葉をとりあえず付けておいて 説話としてまとめておこうみたいなね そういうところも無きにしも非ずではないかというようなことまでもね ちょっと考えてしまうんですね 皆さんはどう思われますでしょうか? 瘤がなくなったおじいさんと

10:18 瘤が両方についてしまったおじいさんとのこの違い このお話自体は一体何を、一応説話ですから、説こうと 説明しようとしているんだろうかというところ また、皆さん色々それぞれ思われるところがあると思う どこにポイントを置いてこの話を考えるか、というところで 随分違ってくると思いますから また皆さんの色んな感想なり考えなり 今日のペーパーに書いて聞かせてほしいなという風に思います さあ、今日は『宇治拾遺物語』ということで「説話」 日本昔ばなしにもある瘤取り爺さんのお話を読んできました ちょっと今まで読んできた作品達とまた全然カラーが違うから

11:08 びっくりしたかもしれませんね 先週、私達は『百人一首』の切実な恋の世界を味わっていたんですけれども これとはもう180度角度が違って面白いというね こういう文学作品、古典作品 軽い作品もあるんだということなんですけれども これで楽しいお話だけれども、ある意味一面ですね 人間のしんり、心の真理ではなくて、この真理と言いますかね これをついているところもありますよね 瘤がなくなったおじいさんも隣のおじいさんもですね どっちも今の私達のこの現代の世界でもこういう人っているよねと

12:00 あるいは自分はこっちに近いかな、みたいな人物像だったりもしますよね ある意味、こういう人間のあり方とか何とも言えない不条理とか あるいは何とも言えないおかしみというのかね 生きていることそのものの「おかしみ」と言いますかね そういうところを何かとてもこう笑いに包みながらというか 面白いお話としてそういうものに 包みながら伝えているような気もするんですよね 物語の形というのは、何て言うんだろう 今まで私達は『源氏(物語)』と『枕草子』というのをやりましたよね 『源氏』は「あはれ」で『枕草子』は「をかし」という

12:45 とてもしみじみと深刻に考える『源氏』と そしてからりとおかしい『枕草子』の世界 というのは非常に対照的だったけれども 物語とか文学の描き方として こういった面白く描くというのもありますよね 映画とかでも喜劇というのがありますよね 喜劇はただ単に「わはは」と笑って終わりではないですよね その喜劇の中に人間の有り様というものを 鋭く描いているところというのはありますよね そういう目の付けどころで 人間というものはこういう生き物だ、的なですね とても鋭く切り取っているというところがあると思うんですよね 『宇治拾遺物語』というのも何かそういう色々な人間の真理とか葛藤とか

13:37 そういう心の動きとかそういうものも、客観的に見た時に何か面白いな でも人間ってこういう生き物だよね、というね そういうところをとても描いているような感じもします そして、中世という時代に移ってきていますよね 宇治拾遺は中世の作品ですよね やっぱり平安の中古の貴族が中心の貴族文化の頃と 時代が変わってきているというのは大きくあるかもしれませんね やはり武士の時代になってきている訳ですね 平家が出てきて、源氏が出てきて、という風になって 貴族のものの価値観では、もう行かなくなってきていると 今までの価値観というのが大きく変わってきている時代でもありますよね

14:24 とても混沌としているし、明日は誰が政権を取るか、みたいなね そういう時代でもあったと思いますし、そういうことを生きている その時代を生きている人々のたくましさであるとか、そういうものですね 何かとても人間が生き生きとしている 今日は、おじいさんという庶民が主人公になっていますけれども そういう庶民の文学というのかな 庶民にも語って、仏教のありがたさとかを説いていたと思いますし 庶民にも分かりやすい形で説いていたと思うし、そういう層というのかな 文学の層、受け入れる層とか、あるいは文学の作り手の層とか そういうものの変化というものも、こういうカラーの違いとかね 文体の違いとか、そういうところにも表れているのかもしれませんね

15:13 さあ、もうちょっと色んな話を読んでみたいなと思われた方 『宇治拾遺物語』はそんなに難しくもないし ちょっと分からない言葉はネットなんかでパッと調べながら読める 『源氏(物語)』なんかよりもそんなに敬語がゴテゴテもしていないし 登場人物もシンプルだし、分かりやすいので 良かったら原文の、その生の、生きている言葉の力 というのにも触れていただけたらなという風にも思ったりもします 読書ガイドはいつも通り、いつものシリーズで 角川の『ビギナーズ・クラシックス』にも入っていますし 学術文庫みたいなものにも全訳注もありますし

15:59 しっかりとした小学館の全集とか、岩波のナントカとかね そういうハードカバーのものもありますから、こういうもので読まれてもいいです そして作家が手がけたものとしては 今日、この下段にも引いているのは町田康さんの訳で最近のものですね 私がよくここで使っていますけれども池澤夏樹さんの全集の中に収録されている 町田康さんの『宇治拾遺物語』という今までとまた全然カラーが違ってですね 非常に自由で自在で、そして楽しく読めるとても面白い訳です 今日はその一部分だけ おじいさんの踊りに目覚めたシーン というものをピックアップしましたけれども

16:46 「お爺さんのなかでなにかが弾けた。 お爺さんは心の底から思った。踊りたい。」というね ここのところをちょっと読んでいただいただけでもちょっと面白いなと いう風に思われると思います 今日やった授業とこの町田康さんの訳を引き比べながら読んでいただくと この町田康訳というのがどんなに上手かというね どんなに巧みかというのがよくお分かりいただけるんじゃないかと思うし 他の訳も読んでみたいと思える訳かと思います 町田康さんの『宇治拾遺物語』の中で、この瘤取り爺さんの話だけが ネットで、この河出書房が公開してくれているんですね ネット公開してくれていますから「町田康」で何か「瘤取り爺さん」とかで

17:35 検索なさったら皆さんネット上で全文ですね 瘤取り爺さんの町田康訳を読むことができますから この授業の後、ちょっと色んなオンライン授業で疲れたな、という時に 読んでいただけたらちょっと気分転換になるんじゃないかなと思います あとネット上には、この町田康さんが瘤取り爺さんの話を朗読なさっている 自分が訳されたものを朗読していらっしゃる そんな音源なんかもアップされていました これも、とても味があるんですよね 何か独特の朗読で間合いとか、間が絶妙ですね、本当にね 淡々と読んでいるんだけれど、何かすごくそこはかとなく面白いんですよ

18:22 これも是非聴いてほしいなという風に思います さあ、そして近代のそうそうたる作家達ですね 芥川と太宰の、これも名作ですよね 芥川の文庫で調べましたら、角川ソフィア文庫と新潮文庫の この芥川のものの中に「鼻」と「地獄変」というのが これは『宇治拾遺物語』が典拠になっている創作の小説が収められています 新潮の方は、「鼻」と「芋粥」と「好色」というのも収められています 太宰はですね『お伽草紙』という作品があるんですけれども その中に「瘤取り」というこの瘤取り爺さんの話を題材にした これもまた太宰の創作ですけれども、こういうものが入っています

19:10 芥川と太宰はだいぶ古い、というか近代の人になりますので 青空文庫で読むこともできますから ネットでも簡単に見れますから検索を是非してみてください それで、この町田康をお読みになった方は 是非その後、この太宰の「瘤取り」を読んでほしいね これとこれを比べてみて 全然違うことになっているから面白いよ これを読んで、これを読んでみてくださいね どちらもネット上で読むことができますからね また、読まれた方は今日の課題のペーパーに間に合わなかったとしても

19:57 後でも全然構わないので「先生読みました」という感想をですね また、是非聞かせてほしいなという風に思います さあ、今日はここまでにいたしましょう お疲れ様でした

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