アッシリアの宮殿と芸術(前9世紀)

簡単なまとめ

このビデオでは、古代メソポタミアのアッシリア帝国の首都ニムルドの宮殿、壁面を飾った芸術、そしてアッシリアの王妃の墓について解説します。ISによる遺跡破壊、新アッシリア時代の幕開け、ニムルドの発掘調査、北西宮殿の構造と装飾、王の業績、そして王妃の墓から出土した貴重な装飾品について詳しく説明します。

  • ニムルドの遺跡破壊と復興への動き
  • 新アッシリア時代の建築と芸術
  • 王妃の墓から発見された貴重な遺物

ニムルドの紹介

ニムルド、古代名カルフは、イラク第2の都市モースルの南30kmに位置し、アッシリア帝国の中心地でした。アッシリアはメソポタミア北部を中心に栄え、トルコ南東部の山々やザグロス山脈が見える肥沃な丘陵地帯です。

ISISによる遺跡破壊

2014年6月、ISIS(イスラム国)がモースルを占拠し、支配地域を拡大しました。博物館や遺跡で文化財を意図的に破壊する映像が報道され、2015年にはニムルドの遺跡がダイナマイトで破壊されました。ISISは偶像崇拝の破壊を名目に文化遺産を破壊しましたが、2016年にアメリカ軍が遺跡の状況を調査した結果、最悪の事態は免れていました。現在、イラク北部の治安はまだ不安定ですが、欧米の考古学者たちが現地調査に戻りつつあります。

新アッシリア時代の幕開け

アッシリアはテグリス川沿いの都市アッシュに始まり、新アッシリア時代には首都が3回変わりました。アッシュルナツィルパル2世がアッシュルからニムルドに遷都した後、サルゴン2世がコルサバードへ、そしてニネベへと遷都しました。紀元前9世紀には領土拡大政策により富を集中させ、帝国主義の典型を築きました。アッシュルナツィルパル2世は新たな首都で壮麗な宮殿を建設し、建物の内外を彫刻や貴重な財宝で装飾しました。

ニムルドの発掘調査

19世紀後半に遺跡を調査したオースティン・ヘンリー・レイヤード、彼の後を継いでニネベの発掘を継続したホルムズ・ラッサム、そして新たにバグダッドの国総督代理に任命されたヘンリー・ローリンソンの紐入りでイラクの博物責任者に任命されたウィリアム・ロフタスなどがニムルドの発掘に携わりました。ジョージ・スミスは粘土版文書の中から旧約聖書のノアの箱舟に似た大洪水伝説を発見しました。1950年代にはマックス・マロワン、デイビッド・オates、ジェフリー・オーチャードらが発掘を行い、アガサ・クリスティも夫のマックス・マロワンと共に調査に参加しました。1956年以降はイラク考古局が中心となって調査が継続されました。

ニムルドの北西宮殿

アッシュルナツィルパル2世の北西宮殿は紀元前879年に完成し、10日間に及ぶ宴が催されました。王は宮殿の詳細と祝賀会の様子を楔形文字の碑文で残し、宮殿の土台を築くために瓦礫を取り除き、地下の体水槽まで掘り下げて120層のレンガを積み上げました。応急には7つの大広間を作り、天井には杉など5種類の木材を使用し、壁面を鮮やかな青に塗装しました。門の上にはラピスラズリ色のレンガで飾り、制服した周辺地域の住民をニムルドに強制移住させました。ザブ川から運河を引き、庭園には様々な種類の植物を集めました。

宮殿の落成祝賀会

宮殿の落成を祝う祝賀会では、子羊、羊、鹿、ガゼル、カモ、ガン、鳩、魚、イナゴ、卵、ビール、ワイン、野菜などが振る舞われ、4万7000人以上の人々が招待されました。帰る際にはお土産も持たせました。

宮殿の浮き彫り

アッシュルナツィルパル2世の宮殿には、石の浮き彫りが大胆に取り入れられました。王の玉座が置かれた広間は「玉座の間」と呼ばれ、壁面には浮き彫りが絵巻物を広げたように展開していました。浮き彫りには、聖なる木の両側に王が描かれ、王の背後には精霊が清めの儀式を行っています。中央に描かれた植物は「聖なる木」と呼ばれ、生命の概念を表していると解釈されています。

碑文とテーマ

浮き彫りの下半分には、アッシュルナツィルパル2世の業績を記録した碑文が楔形文字で刻まれています。碑文には王の名前、肩書き、軍事遠征、ニムルドの増築、宮殿の建築事業などが詳しく述べられています。宮殿に描かれた主要なテーマは、戦闘の場面、王の狩猟の場面、宮殿や神殿の建設であり、これらは王の年代記にも繰り返し語られています。

アッシリア軍の戦闘と儀式

アッシリア軍が敵の要塞を攻める場面や、野営するキャンプの中の様子が描かれています。キャンプの中では、羊の内臓を取り出して占いを行う内臓占いの場面も見られます。アッシリアの戦争はアッシュル神の命令で行うという名目で行われ、神の意思を占いで知ろうとしました。

ユーフラテス川を渡る軍隊

アッシリア軍がユーフラテス川を渡って西側へ進軍する場面が描かれています。戦車を船に積み込む兵士や、泳いで川を渡る兵士たちの姿が見えます。王はボートに乗せた戦車と共に描かれ、神の意思を実現する神の代理人としての役割を果たしていることが表現されています。

ライオン狩りの場面

アッシュルナツィルパル2世の玉座の間に最も近い場所には、ライオン狩りの場面が描かれた浮き彫りが置かれていました。王は戦車の上から矢を放ち、ライオンを仕留めます。狩りの後には、ライオンの死体の上にワインを注ぐ儀式が行われます。

王妃の墓の発見

1988年、イラクの研究者たちがニムルドの遺跡を修復していた際に、床下からアッシリア王妃たちの墓を発見しました。墓は宮殿内のプライベートな一角に作られており、3つの墓室がありました。

第1墓と第2墓

第1墓からは、衣の上に縫い付けた飾り、印象版、腕輪、イヤリングなどが出土しました。第2墓はレンガを使ったアーチの天井を持つ構造で、紀元前8世紀後半のティグラトピレセル3世の王妃ヤバ、サルゴン2世の王妃アタリアの遺体が発見されました。王妃ヤバの墓には、墓を暴く者への呪いの言葉が刻まれた碑文がありました。

アタリアの謎

アタリアの遺体は埋葬される前に150℃から250℃の高温に数時間さらされたことが判明しています。墓の壁眼にはアラバスターの壺が納められており、脳の組織が入っていたと考えられています。

墓から出土した装飾品

墓からは大量の金属性製品が出土しており、アッシュルバニパル王妃やアッシュルナツィルパル2世も使用していた器の実物である可能性が高いものも含まれています。ブレスレット、アンクレット、黄金のネックレス、胸飾り、ダイアデムなど、様々な装飾品が見つかりました。

第3墓と王妃無理者

第3墓は前室と支出の構造で、紀元前9世紀のアッシュルナツィルパル2世の王妃無理者と2アであることが分かっています。墓からは大量の黄金製品が出土しており、クリーニング後の状態も良好です。冠には開花門、ブルーベリーのような身、パッションフルーツの花、ブドの蔦、翼を持つ女性の精霊が描かれています。

王妃の装飾品と儀式用の器

墓からは、ロータスの花をかたどった儀式用の器や、狩猟の場面が描かれたピッチャーなどが出土しました。これらの墓から出土した黄金製品だけで総量55kgに及び、エジプトのツタンカーメン王の墓から出土した黄金の量に匹敵します。

ニムルドの復興に向けた動向

2015年のISISによる破壊行為で大きなダメージを受けましたが、アメリカのペンシルバニア大学博物館では「シリアとイラク戦下の中の文化点」という展示会が開催され、専門家による会議も開かれました。国際アッシリア学会では、復興に向けた取り組みが議論され、バーチャルリアリティを使った復元などが話し合われました。最近では、王妃の骨のDNA分析も計画されています。

参考文献

ニムルドに関する参考文献として、大英博物館古代文明展カタログ、古代オリエント美術館、日本オリエント学会が編集した時点、前川先生が編集した本、デイビッド・オates教授とジョノーツ博士のご夫婦が書き上げた本などが紹介されました。

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文字起こし

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0:07 こんにちは。え、今日は古代メソポタミア に栄えたアッシリア帝国の都ニムルドに 混流された宮殿のお話。え、そしてその 壁面を飾った芸術と、え、今からおよそ 37年前に発見されたアッシリアの王妃 たちのお墓について、え、お話しさせて いただきます。 え、目次です。え、初めに、え、今から およそ10年ほど前にニムドがISですと かアイシスと呼ばれるイスラム過激派に 破壊された話題に触れた後で、え、新 アシリア時代の幕明けとして紀元前

0:52 1000年期の歴史背景と、え、19世紀 に始まったニムドの発掘調査について簡単 に触れた後、え、ニムルドに混流された 宮殿と芸術についてお話しして、え、最後 に、え、大部のお話に触れて、え、進めて いきたいと思います。 え、ニムルドは古代名をカルフと言います 。え、場所はですね、イラク第2の都市、 もうすぐの南30kmに位置しています。 え、アッシリアはメソポタミア北部を中心 に栄えた、え、帝国で、え、この一体は、 え、遠くにトルコ南東部の山々や、え、東

1:38 にはザグロス山脈が見え、え、なだらかな 給料地帯が広がっています。え、この写真 はモスルの北製部で、え、背景は ティグリス側になります。え、そして川の 近くに、え、ポツポツと見える白い点は羊 の群れになります。 え、ここから、え、アイシスによる遺跡 破壊についてお話しします。 2014年、え、6月、え、ま、通称 イスラム国と呼ばれるアイシスが、え、 モースルを吸収しました。え、イスラム国 の支配地域はまた琢間にこの地図の オレンジ色で示される範囲まで広がって

2:25 しまいました。やがて博物館や均衡の遺跡 において、え、意図的に文化財を破壊する 映像が報道されるようになりました。で、 その組織的な破壊はこれまで前例がない ほどの規模で、え、人類共通の文化遺産が 次々と破壊されていく条情が世界中に 広がって、え、私たちは戦立しました。え 、2015年にはアッシリア帝国の都宮子 ニムルドの遺跡に多数のダイナマイトが 仕掛けられて、え、そしてその遺跡が破壊 されました。え、ISISは偶像崇拝を 破壊するという、そういう名目のもで、え 、文解遺産の破壊を意図的に行ったわけ

3:13 です。え、隣のシリアでも世界遺産に登録 されたパルミラはめ、え、多くの文化遺産 が破壊され失われてしまいました。 え、この写真は翌年2016年に、え、 イラク北部のイスラム過激派の勢力が急速 に衰えた後で、え、アメリカ軍の兵士が 遺跡の状況を調べている場面です。 え、私たちはもう何も残っていないのでは ないかと壊滅的な状況を予測していました けれども、え、この報道の後で、え、研究 者たちも米軍の護衛と共に現地入りする ことができて、とりあえず、え、最悪の

3:59 事態は免がれているというニュースが 伝わってきました。 え、現在イラク北部の治安はまだあの良く ない状態が続いていますが、え、欧米の 高校学者たちが少しずつ現地調査に戻り つつある状態にあります。 え、ここから新アシリア時代の幕明けに ついてお話しします。 え、アッシリアは元々テグリス川の当に 位置する都市アッシュに始まりましたが、 え、約300年間に及ぶ新アッシリア時代 の間、アッシリアの都子は3回にわって 変わっています。 アッシュルナチルパル2世が都を アッシュルからニムルドに移した後、え、

4:47 紀元前706年にはサルゴン偽星によって コルサバードに移され、え、ほどなくして 、え、紀元前700年頃、え、アッシリア 最後の都子ニベに移されます。え、紀元前 9世紀になりますと、アッシリアは領土 拡大政策によって富を集中し、え、後の 帝国主義の典型を築づいたと言われてい ます。 え、この時代を新アッシリア時代と呼び ます。え、この時代の幕明けは紀元前 883年に即有意した王 アッシュルナチルパル2世によって もたらされます。 え、この時代歴代の王たちが競い合うよう に総霊な宮電を混流して、え、宮電内外の

5:35 装飾やちょうど品などに税の限りが尽くさ れました。え、この図は、え、19世紀に 描かれた想像復元図で、え、実際とは かなり異なってる部分があります。え、 アシルナチュルパル2日2日世はこの 新しい都でそれまでにないような宮電を 混流して、え、建物の内外を彫刻や最有 レガで装飾しました。 え、ニムドの遺、あの遺跡の丘と書きます が、え、その北製側に立てられた宮殿の ため、え、今日私たちはこれを北製宮殿と 呼んでいます。 この部分になります。

6:23 えー、そしてニムルドの発掘に携わった 主な高校学者を簡単にご紹介します。え、 これは19世紀後半にこの遺跡を調査した イギリスの高古学者オースティンヘンリー レイヤードです。え、左側の肖像側、え、 イランを旅行中バフティ、バフティアリ族 の衣装を身につけた姿の若き日の レイアードで、え、イラクの高古調査で、 え、後に一躍時の人となったレイアードは ですね、え、その後高古学を離れて、え、 政治家、そして大使として活躍しました。 え、ここで左から、え、ホルムズム、左の

7:08 あの写真はホルムズラッサムなりますが、 え、彼はレイアードの後を引き継いで ニネベの発掘を継続します。え、この ラッサムはイラク人なんですね。え、 モールでキリスト教の家に生まれ、え、 レアドの女子として働いていました。 で、中央はウィリアムロフタスで、え、 イギリス人ですけれども、彼はラッサムの 後で、え、新たにバグダットの、え、 国総徳代理に任命されたヘンリー ローリンソンの紐入りで、え、イラクの 博物責任者に任命されました。 え、そして画面右側、これはジョージ スミスで、え、彼は整理していた粘土版 文所の中に、え、旧約聖書のノアの箱舟に

7:54 ものすごくよく似た大光伝説が書かれて いることを発見します。え、それは、え、 後にギルガメ女士の第11番目の所盤で あることがわかりますが、え、当時、え、 聖書に書かれた物語が証明されるかのよう な、え、古い記録が見つかったことは、え 、社会に大きなセン起こし ました。 え、1950年代、50年前後からは、え 、マックスマロワン、え、デイビッド ウォーズ、そしてジェフリー オーチャードラが、え、発掘を行います。 え、右側に映っているカップルと中央の 写真に映っているのはマックスマルワンと 、え、アガサクリスティです。

8:40 え、名探偵ポアロで有名な作家のアガサ クリスティは、え、1930年に旅行した 先の中東で、えー、ま、14歳年下の マックスマロワンと出会い、え、そして、 え、再婚します。え、夫が指揮している 発掘調査体の中の、え、人間関係などを ちゃっかりネタにして、え、メソポタミア 殺人事件などの名作を書き上げています。 で、彼女はインタビューで、え、自分より もずっと年下の若い男性と再婚したことに ついて、え、聞かれますと、え、夫は高古 学だから私が古ければ古いほど彼にとって の価値は高くなるのと語ったと言われてい

9:26 ます。 え、画面右側は、え、ニルドから出動した ばかりの、え、ゾ下工の写真を撮影する クリスティの姿で、え、その右隣にいる 若い女性は、え、私の指導教授だった ジョーン大津博士です。 大津先生は当時ケンブリッジ大学で マックスマロワンの指導のも博士論文を 書いているところでした。で、ちょうど この頃のニムルド調査にも参加していたの で、え、私が受けた授業のスライドには よくあサクリスティの姿が映っていました 。 え、1956年以降はイラク高古局が中心 となってニムルドの調査が継続されました

10:11 。 え、ここからは任ルドの北製宮殿のお話、 そしてその、え、壁面など、え、飾った 彫刻について簡単にご紹介します。 え、アッシュルナチュルパル2世の北製 宮殿が完成したのは紀元前879年で、え 、その落生を記念して、え、当時10日間 に及ぶ宴が模様されました。 え、王は祠らしげにその新しい宮殿や都の 詳細と、え、その落性を祝う宿賀界の様子 を、え、楔方文字の碑分で残しています。 え、それによりますと、え、宮電の土台を

10:57 築くために、え、表面の瓦礫を取り除き、 え、そして地下の体水槽まで掘り下げて、 え、そこから120層のレガを積み上げた とされます。え、そして応急には7つの 大広間を作り、え、天井には杉 など5種類の木材を使って、え、聖の飾り をつけた扉を取り付け、え、そして壁面を 鮮やかな青に塗装したと言います。 え、門の上にはラピスラズリー色の最有 レガで飾って、え、制服した周辺地域の 住民をこの新しい都ニムドに強制移住させ

11:43 ました。え、さらに、え、ザブ川という あのザグロ山脈から流れてくる、え、 ティグリス川に注ぐ私流なんですけれども 、え、その川から町に運河を引くために山 にトンネルを掘り、え、そして外設備を 整えて、え、カ樹エを作り、え、また杉屋 ナ目、え、コタ、玉ド、オリーブ、オーク 、柳、え、ザクロ、一軸、プラム、ブド など、え、様々な種類の植物を集めて庭園 を作り、え、かわしい香りがそこには 満ち溢れていたと言います。 え、ニムルドには宮殿だけではなくて神々 に捧げる神殿も混流され、え、建築に用い

12:29 た恵りの木材と、え、これ大体あの レバノンの方から、え、ぶんどってきて いる木材なんですけれども、え、また神の 像には準金と、え、輝く石材が使われたと 記されています。 え、積材はおそらく、え、この地域で算出する、え、石膏、え、切石候、雪の花と書く切のことであろうと考えられます。 え、そしていよいよ新しい宮殿が完成する と、え、その落生を祝う宿賀会が10日間 にわって模様され、え、その席で振る舞わ れたご馳想を大分から引用しますと、え、 総春生まれの個質線引、え、おそらくあの

13:20 なんですか、え、特に価値の高い個小羊な んですね。え、そして普通の羊1万匹。え 、小羊1万5000匹。え、そして鹿 500匹、ガゼル500匹。え、カモ 1000、ガ長500、え、鳩ト1万、 諸々ろの小と1万、色々な魚1万、 びネズミ1万引き、卵1万個、え、ビール 1万ツ、え、川袋入りのワイン1万個、え 、野菜後、え、油300ツなどなどが、え 、振る舞われ、え、領土のあちこちから 集まった、え、4万7000、飛んで74

14:08 人の人々や、え、VIPVIP5000人 、え、そして他国からの施設団、え、 ニムドの住民1万6000人、え、そして 宮殿の役人1500人など、え、合わせて 6万9574 人がこの共演でモテなされたと言います。 また帰る時には、え、丁寧にもですね、お 土産を持たせてあげたということが記録さ れています。 え、アッシュルナチルパル2世がニムルド に気づいた宮殿にはそれまでにない斬新な 一面がありました。え、それは宮殿の 大広間の内装に石の浮き彫りを大胆に 取り入れたことです。

14:56 え、王の玉座が置かれていた広間はザ座の 魔と呼ばれていて、え、この平面プランで はBの部屋に相当します。え、図の ちょうど上部になりますが、玉座が置かれ ていた台座が残されています。 え、これはアメリカの研究者サミエル ペイリー教授が中心となって2006年に 作成したラーニングサイトの教材です。え 、バーチャルリアリティで、え、広間の奥 に王の姿も見えます。 え、台の上に置かれた台座玉座にごめん なさい。台の上に置かれた玉座に座る王と 、え、それから手前にはアッシュリアの ストーブが描かれています。え、イラクは

15:43 夏はあの世界でも1番あの、え、最高の 気温を記録するほど暑いんですけれども、 え、冬場は、え、特にザグロス山脈の方に なりますと、え、雪が降るくらい寒くなり ます。 で、このストーブは、あの、金属性で床に 敷かれたレールの上を移動させられるよう な作りになっていました。で、実際に 任ルド近衡のフォートシャルマネッセルと いうところから出動した鉄性のストーブが 知られています。 え、玉座の間の壁面には浮き彫りが壁市 一面にちょうど絵巻き物を広げたような 状態で展開していました。で、この

16:29 浮き彫りはちょうど来が、え、この玉座の 間に入って、え、最初に目にする壁面に はめ込まれていました。え、この彫りに なります。え、来車は宮殿の中庭を通って 、え、この図の下側に位置している入り口 から入ります。え、そして玉座の間に入っ て正面に、え、見える位置に、え、設置さ れているのが今ご覧いただいた浮き彫りに なります。 え、そしてそこから90°左に方向を変え て王に向かい合いますと、え、玉座の背後 にはまた同じ浮き彫りが、え、どちらも 壁眼にこう、あの、はめ込まれた形で、え 、設置されていました。

17:20 で、オアッシュルナチルパル2世は、え、 成熟聖なる木と書くんですけれども、え、 この中央に描かれた木の両側に、え、2階 にわって表現されています。で、画面左手 に描かれた王は本人の右側面を、え、 私たちに見せていてですね、画面右手に 描かれている王は本人の左側面を私たちに 見せています。 え、左側の王は右手を上げて、その指は成 に向けられています。え、ちょうど指差し 確認のような形で、え、政治を指してい ます。え、そして反対側右側の王は、え、

18:10 政治の上に浮かんでいる有欲日輪の神を 指さしています。 で、どちらも王の背後には精霊がいて、え 、手にしたあの、松さのようなものをです ね、おそらく左手に持った、え、バケツの 中には水が入っていただろうと考えられて いるんですが、え、それを振り注ぐような 清めの儀式を行っています。 え、この中央に描かれた、え、植物なん ですけれども、え、成と私たち一般に呼ん でいますが、え、この植物が何なのかに ついては、ま、いろんな解釈があります。 1番一般的なのは、え、夏目の新目を、え

18:57 、様式化したものであろうというのがです ね、え、大体定着したあの解釈で法上の 概念を表しているものと、え、解釈する人 が多いです。ま、中にはあのエジプトの ロータスをアシリア風にアレンジしたん じゃないかというような意見もあったり するんですが、あんまり指示されてはい ないようです。 で、え、この古代ギリシャで、え、非常に あの頻繁に使われた、え、パルメットの 紋用というのは、え、このアッシリアの、 え、このモチーフの影響を強く受けてい ます。 で、玉座の間の中で、え、特別な位置を

19:44 占めた浮き彫りですので、え、ここには おそらくアッシリアの国家とか王剣という ものですね、え、ま、世界観に関する重要 なイデオロギーが表現されていると、え、 考えられます。え、そして、え、ま、政と 並んで非常に重要な位置を占めているのが この有欲日輪の姿で描かれた神なんです けれども、え、これが何の神なのかという ことについても、え、研究者の意見は必ず しも一致してはおらず、え、アッシリアで 1番重要な神は神アッシュルであるという ことからこれはアッシュル心神だという説 がある。とかにいや太陽だから太陽神 シマシだと考える研究者もあのいます。

20:33 え、そして、え、浮き彫りのちょうどあの 下半分のあのパーツになるんですけれども 、え、そこにはアッシュルナチルパル2世 の、え、大分、これ標準版分スタンダード インスクリプションと呼んでいますけれど も、え、これが楔び型文字で刻まれてい ます。 え、O碑分は王の成し遂げた業績を記録し た年代期なんですけれども、え、王の知性 に生じた重要な出来事が記録されています 。 え、具体的な内容としては、え、最初に王 の名前とその王の数々の肩書きで始まって 、え、そしてアシリア軍が行った軍事遠征 ですね。え、そして、え、

21:21 アッシュルナチュルパル2世の場合、新た な首都ムルドの増、え、宮殿の建築事業に ついて、え、詳しく述べられています。 で、ただ、あの、この、え、標準版分なん ですけれども、え、この北製宮殿では 浮き彫りに使われた石板1枚ごとに、え、 最初の王の名前から繰り返し同じことが あの刻まれているので、え、内容が何度も 重複して書かれていて、え、ま、浮き彫り に表現されている図のテーマとは、え、 関係ない、え、文字情報になっています。 で、ま、当時のあの大部分の人たちは 読みかきができなくて、え、いわゆる式地

22:08 というものは非常に限られたエリートに あのしか、あの行き渡っていませんでした 。ですからこの作業についても、え、 浮き彫りを担当した職人たちと、え、文字 を書き込む初期との間には、あの、全く こう別の集団が関わっていたということが 考えられています。 え、足屋の宮殿に描かれた、え、主要な テーマというのは、 え、浮き彫りのあの主要なテーマというの は、え、1つはまず戦闘の場面です。え、 そして、え、王の狩猟の場面もあの登場し ます。え、そして3つ目にあの多いのが、

22:56 え、宮殿や神殿の混流といった、え、建築 にまつわる場面、え、この3つが主要な 浮き彫りのテーマとなります。で、これら はちょうどあの文字で書かれる王の年代期 にも繰り返し語られる次第でありますので 、え、浮き彫りというのはそれらを資格的 に表現した、こう非常にメッセージ性の 高い芸術だったことが言えます。 で、メソポタミアの美術というのは、え、 芸術か個人の何かを表現するという現在の 芸術とは違って、え、ま、当時ですね、 見る人を共端させたり意の念を起こさせる という、そういう意図がありました。で、

23:41 特にあの外国からの施設団ですとか、え、 国内の用人などが出入りする主要なあの 広間の壁面にはアッシリアの王がいかに 偉大で、え、強力な権力と軍隊を有して、 え、そのアシリアに逆らうとどんな 恐ろしい目に合うかということを 見せつけるための政治的プロパガンダの 役割もあったわけです。 で、これは王に引き入られたアッシュリア 軍が、え、画面左側から敵の要塞を攻める 場面なんですけれども、え、王の姿は、え 、左から3人目、え、弓を引き絞る、え、 姿勢で描かれています。で、王の周囲には

24:28 、え、丸い盾を手にした兵士が2人います けれども、王のあの背合と後ろに1人ずつ います。え、彼らはこのOを護衛するSP です。 え、これは当時最新の武器であった、え、 白攻めの走行者なんですけれども、え、 それを使って、え、敵方の要塞の壁を破壊 している場面が描かれています。え、 そしてこの走行者のうん、上部から、え、 上半身を乗り出した兵士たちが、え、ま、 あの城の中にいる敵と同じような高さで ですね、え、対等にこう矢をいる姿で描か

25:13 れて、で、またその矢をいる兵士の奥側に は四角い盾を手にした兵士が描かれてい ます。え、このように、え、弓矢を使う 社種は彼をガードする盾を手にした兵士と 2人組で戦っていたことがわかります。 え、この場面はアッシリア軍が野営する キャンプの中の様子を長図的に描いてい ます。え、食事の準備のようですが、ま、 大鍋をかけて、え、何かきをしている姿も あります。え、この中で特に興味深いのは 、え、左下の部分なんですけれども、え、

25:59 左側にですね、え、新刊が、え、台の上に 、え、羊を乗せてこう何かしている場面が あの描かれてます。これはあの羊の内臓を 取り出して占いを行う内臓占いの場面だと 考えられています。で、えー、その右側は 助手らしくて、え、羊の足を押えています 。 え、これは粘土性の内臓の模型なんです けれども、え、左側よく見ますと、え、 肝臓のそれぞれの部位に、え、名前がつけ られて、あの、細かい字で刻まれているん ですね。ま、例えば王の門といったあの

26:45 その部位の名前があって、え、その犠牲の この内臓を取り出してその形を観察して、 え、ま、中には危形があったり色々する わけなんですけれども、え、その形によっ て、え、神の意思を知るという、え、そう いう占いが行われていました。で、 アッシュリアの戦争というのは、え、 アッシュルシの神の命令で行うという、 そういう取りましたので、え、神が何を 望んでいるか、え、ま、具体的には足田兵 を南に進めるべきかとか、それとも待機す べきかとか、えー、北に進めるべきかとか 、そういった事柄を、え、神のあの指示と して占いからしろうとしたようです。

27:35 え、これはユーフラテス川を渡って西側に 向けて神軍している場面です。え、画面の 右手には、え、戦車を船に積み込む兵士 たちの姿、え、泳いで川を渡っていく兵士 たちの姿が見えます。え、細かく見ていき たいと思います。え、これが画面左手に 描かれた、え、指揮感と、え、その後ろに 髭のない姿の人物が描かれていますが、え 、これは女性ではなくて看がだと一般に 考えられています。 え、そして、え、この兵士は今川袋に息を 吹き込んで浮き袋を作っているところです 。で、その作った浮き袋を、え、使って、

28:23 え、泳いでいる姿の兵士、えー、その傍原 には、え、お魚の姿も見えます。で、え、 お魚はおそらく恋ではないかと思われます 。で、恋はあのイラクのご馳、現在でも ご馳になっています。え、また水の流れは 非常に繊細な波線の渦巻で描かれています 。 え、そしてこの場面では、あの、王の一光 が川を渡っている場面なんですけれども、 え、4等の馬がですね、それぞれ、えー、 なんとなくぎこちない馬きで、え、ボート の後ろから泳いでいく様子が、あの、 見えると思います。

29:10 え、近寄ってみるとこんな感じですね。2 等ずつあのセットで、え、泳いでいます。 え、そして王は、え、ボートに乗せた戦車 と一緒に描かれていて、え、王の、え、 前後に、え、看がの側近を従えています。 え、そして王は右手に、え、矢をこう縦 方向に握っていて、え、左手に弓を持つと いう、そういう姿で表現されていますが、 え、これは一般に勝利を意味する、え、 姿勢だ、ポスチャーだという風に解釈する 研究者もいて、え、ま、して、え、凱旋し ている場面を表現したものだとも考えられ

29:56 ます。 え、非常に興味深いのは、え、この王の姿 の前にですね、え、有欲日輪の、え、神が 描かれていることです。この部分になり ます。で、ま、王は神の意思を実現する神 の代理人としての役割を果たしていること が、ま、このように資格的にも表現されて います。 で、同じことはこの画面でも言えます。え 、王と神はほぼ同じ姿勢で描かれています 。 え、そして、え、アッシュナツルパル2世 の玉座の間の浮き彫りではですね、玉座に 1番近いところに、え、狩の場面、狩猟の

30:44 場面が、え、描かれた浮き彫りが置かれて いました。で、これはあのライオン狩りの 場面なんですけれども、え、この戦車の 後ろから、え、襲いかかるライオンに、え 、王は戦車の上から矢を放つ、そういう姿 で描かれています。 で、ライオンは、え、胸や首筋とか背中に 、え、複数の矢を受けた姿で描かれてい ますが、え、戦車のこの車軸に前足をかけ てですね、え、今にも噛みつかんばかりの 、え、姿で、え、ここに表現されています 。 え、このようにして、え、王に、え、狩ら

31:30 れた、え、ライオンはですね、仕留められ てしまったライオンは、え、狩の後で観点 と呼ばれる儀式を行っています。え、これ は一見すると、あの、王が、え、逆月きを 手にして乾杯をしているようにも見えるん ですけれども、 えー、約200年後のアッシュルバニパル の同じライオン狩りの場面に、え、 ちょうどこの、え、獲物の死体の上に液体 を注ぎかける場面が、あの、非常に はっきりと描かれておりまして、え、また このちょうど、え、上部に刻生まれた名文 にはですね、え、王が殺したライオンの上 に捧げ物としてワインを注いでいるという

32:19 ことが、え、記述されているので、ま、 ここから注がれている液体がワインである ことが知られています。で、ワインは シュメール語でゲシュティン、アッカル語 でキャラナと言いますが、え、ま、当時の メソポタミアの飲み物というのは、え、 庶民もこう気軽に飲めるのはビールだった んですが、え、ワインは、え、ま、あの、 武道が特にメソポトミア南部ではそれほど 一般的ではありませんでしたので、え、 高級品で、え、神への捧げ物であったり、 え、貴族の飲み物として、え、しか流通し ていなかったんじゃないかと考えられてい ます。 で、ここでは、え、碑分に、え、記された

33:05 通りライオンの死体の上に女神イシュタル ゆかりの、え、弓を立ててですね、え、 ワインがその上に注がれるという場面が 表現されています。 で、アッシュルーナチルパル2世、200 年ほど遡りますけれども、え、その時代に もおそらく同じ儀式が行われていたのでは ないかということが推測されるわけです。 え、最後にあのニルドから発見された王妃 のお墓について、え、お話ししたいと思い ます。え、1988年に、え、イラクの 研究者たちがニムドの遺跡を修復していた 最中に偶然なんですけれども、え、床下に

33:52 アッシリア王妃たちの墓があることを発見 しました。え、この右側の平面プランでは 、え、左上の移行が北製宮殿で、え、宮殿 内の非常にプライベートな一角の、え、 床下部分にお墓が作られていました。で、 湿室は第1菩から第3菩まで合計3つ発見 されています。 え、第1の車は分からないんですけれども 、ここから出動した服装品は、え、左上 の図からですね、何かこうぶら下げる形の 、え、飾りでおそらくあの、うん、衣の上 から縫い付けたものではないかと思われ

34:38 ます。え、そして右上の白黒写真なんです けれども、え、これあの印象反抗になって います。え、それと腕輪です。え、下は イヤリング、え、こういったものが第1 物質から、え、副総品として発見されてい ます。で、このイヤリングなんですけれど も、え、この王妃の、え、これは アッシュルバニパルの王妃なんですけれど も、え、彼女の耳元を飾っているのでも ですね、同じような形で、え、分かります 。 え、第2母は、え、このようにレガを使っ たアーチの天井を持つ構造になっていまし た。で、ここからは、え、紀元前

35:24 80008世紀後半のティグラトピレセル 3世の王妃やバート、え、サルゴン2世の 、え、王妃アタリアの2つの遺体が発見さ れています。で、元々このお墓はあの王妃 やバーのお墓として作られていたんです けれども、え、その、え、母室の壁眼に 納められていた、え、碑分があります。 え、この碑分の内容なんですけれども、え 、引用しますと、え、王妃やバーの碑分、 え、明解の偉大な神々であるシャマシュ エレシキガるアヌンナキの名において、 えー、王妃やバーは寿命を全倒して主を

36:10 迎え、クソたちの道へと進んだ。これから 後誰であれ?それが王妃の座につくもので あれ。例え王の愛するものであろうとも私 を墓から起こしたり他のものを私と共に 葬ったり邪を持って私の装飾品に手を 伸ばしたり母室の封印を解いたりするもの はえ死護に資料として地上の太陽の元では 乾きを覚えて上外を彷徨いでは飲み物や 食べ物を受け取ることがないようにという そういう呪いの言葉がこの後も続きます。 え、ですから、え、他のものを私と共に 葬ってはいけないとかですね。え、どんな ものであろうとも、え、自分の墓をこう

36:57 暴いちゃいけないというようなことがここ に、え、強くあの言われているわけです。 また、え、装飾品というのは服装品ですね 。一緒に痛いと一緒に、え、納められた ものに手を出してはいけないということが あの書かれていて、そういうことをすると 、え、恐ろしいあの運命が待ってますよと いうことがあのここに書かれているわけな んですけれども、ま、ちょっとあのその 背景を説明いたしますと、え、 メソポタミアの死護の世界っていうのは、 え、エジプトとかなり違って、えー、全然 バラ色じゃなかったんですね。で、え、人 が死にますとメソポタミアでは7日間に わる早々議例が行われて、え、その7日間

37:42 という、え、時間は死者が、え、亡くなっ てから明解に入るまでの過きと考えられて いました。え、仏教では49日になります 。で、その間、え、残された遺族は、え、 泣き叫ぶ、え、急国議例を行います。え、 そして死者は地下の世界を西、西と進んで 、え、そして、え、川が出てきます。 フル川というのが出てきます。これ ちょうどサズの川みたいなものなんですが 、え、それを渡って7つの門をくぐって、 そして明解に入るとされます。 で、その明解は、え、熱くて乾燥して誇 りっぽいところだと考えられていました。

38:30 で、死者は明界で、え、チリを食べて、 えー、喉の乾きは、え、地上で遺族が行っ てくれる観点の綺れによって飲み癒される とされていました。ですから、え、遺族が 十分な苦を行わないと、え、死者はゾンビ となって地上に現れて生きてる者たちに悪 さをすると考えられていたので、え、遺族 は、え、3つの非常に重要な、え、死者の ための苦用を行ってはいけないという風に されていました。え、その3つの、え、 苦養とは何かと言うと、え、ニク目角ど語 でニク名という、え、水の観点、え、 そしてキスプンと呼ばれる。え、そして、

39:19 え、じキル収民、え、死者の名前を唱える という、え、この3つの苦だったわけです 。で、観点を行う場面は、え、排水溝の ような設備が失らえてあって、え、そこは キアナぐ水場という意味なんですけれども 、キアナぐという名前で、え、知られてい ました。 え、やバーのあの碑分に、え、戻りますと 、え、他のものを私と一緒に葬ってはいけ ないと言っているのに、え、後から、え、 サルゴン2世の沖先であったアタリアの 遺体が、え、同じ墓に、え、葬られて しまっているわけです。で、このアタリア

40:04 の遺体は、え、非常にミステリアスなん ですけれども、埋葬される前に150° から250°くらいの高温に数時間さらさ れたということが、え、あの、 ゲッティング大学の調査で分かっています 。何か、え、かなり訳けありで慌たしく、 え、バタバタとですね、すでにあった、え 、やバーのあのお墓に、え、葬られて しまった。え、ま、何かちょっとあの ミステリーのサクリスティだったら何か 小説がかけそうな、えー、 状況で亡くなった沖先だったようです。え 、そして、え、お墓の壁眼には、え、この アラバスタの壺が納められていました。で

40:52 、えー、エジプトだと聖なる臓器という ものが、え、カノポスの壺に納められてい たりするんですけれども、え、こちらは ですね、あの、ま、あの、ちょうど 湾ンガン戦争の前に泡正しく、えー、行わ れた分析、ゲッティング大学で行われた 分析で、え、臓器ではない、え、脳の組織 であろうということが、え、言われてい ます。 で、また私の装飾品に手を伸ばさないよう にとある通り、え、このお墓からは 帯び正しい量の基金属製品が、え、出度し ています。え、これはあの第2歩から出度 した装飾品の、え、中の、え、底朝のあの

41:41 容器なんですけれども、こういったあの 容器、これ準金性ですが、え、 アッシュルバニパル王妃が手にしていたり ですね。あるいは先ほどもご覧いただいた アッシュルバニパルも使っていたり、え、 そしてアッシュルナチュルパル2世も手に した器の、ま、実物であった可能性が大い にあります。え、そして異なる形の容器も 、え、出動していて、え、全て、え、準金 線になっております。え、ブレスレットの 類いも色々あってですね、えー、これは こうパッとあの、なんて言いますか、あの 、外して装着した後縦に、え、釘のような ものを差し込んで、え、止めるという作り

42:27 のものであったり、えーえ、これはですね 、え、 非常にあの、上はえっとですね、これは あの、うんと、ちょうど裏側にライオンの 顔があ 向合っていて表側は、え、その右側にある 、え、円形のものだったり、え、下は非常 に保存状態のいいものですけれども、えー 、なんか目玉のようなものがギョロギョロ ギョロとたくさんついていますが、 おそらくお守りの役割を果たしていたもの だと考えられます。で、え、浮き彫りに 登場する王の腕にはですね、色々な形の ブレスレットが描かれています。え、この ように腕時計のように見えるものもあり

43:14 ますし、え、このライオンが利用する アシルバニパルの腕の部分を拡大しますと 、え、上腕と手首に、え、それぞれ、え、 腕輪を装着しているのがわかります。 で、また大母から出度したブレスレットに は、え、ライオンの頭部が向かいになった ものとかですね、え、珍しい石材が はめ込まれた、え、腕輪などもあります。 で、この浮き彫りのアッシュバニパルの、 え、腕輪ではですね、こう腕に巻きつく ようなデザインのものが描かれていて、ま 、いずれにしてもこれだけ装着しますと、 え、相当な重量になったと思われます。 えー、1つの重さが1kg近くなるものも あったという風に、え、言われています。

44:02 で、これは足首につけたアンクレットだと 言われています。え、黄金のネックレス。 え、これもですね、あの、ちょうど、え、 頭のなん、これ蛇の頭の部分こうで、え、 装着外したり、え、するようになってい ます。え、これは、え、胸飾りなんですね 。え、細い金の糸で、え、編まれている 非常に繊細な作品です。で、ちょうどあの 左側の長方形の部分ですね。これがあの胸 の部分に来てで、えっと、丸いところは ちょうど頭を通してですね、え、後ろの 尻尾みたいなのが背中に垂れるようになっ

44:47 ています。で、え、ここにもあのギロっと した目玉のようなものがあって、で、え、 これはあの、え、王妃を邪悪な例などから 守る、そういう役割を果たしていたのだと 考えられます。え、現在でも中東のお土産 なんかにものすごくリアルな目玉を持した ものがあったりするんですけれども、え、 お守りだよって言われてもちょっとね、 あの、ギょっとするようなあのリアルさな んですが、え、当時からこういうものは 使われていました。 え、これはダイアデムという、え、帯の 王冠で、え、細かいロゼット、え、開花門 ですね。え、あの、ま、日本の皇室の、え 、菊のご問というのもありますが、それに

45:33 似たような、え、形の、え、何のお花かは 分からないんですけれども、え、花の、え 、一がデザインがですね、施されています 。え、このアッシュルバニパルの王妃の 頭部にも同じようなスタイルの王冠が描か れています。 で、え、さて、第3菩ですけれども、 こちらは前室と支出の構造になっていて、 え、この墓の悲装者は、え、紀元前9世期 のアッシュルナチュルパル2世の王妃無理 無理者と2アであることが分かっています 。え、これは出動した直後の副装品を まとめて、え、テーブルの上に置いている その状態を移したものです。え、この墓

46:18 からも、ま、非常に帯び正しい量の、え、 黄金製品が出度しているんですが、え、今 黄金だけご覧いただいてますが、もちろん 銀星のものなどもあります。え、これは、 え、ちょうど出動した直後のあの状態なん ですけれども、えー、クリーニングを施し た後の、え、状態がこのような形になり ます。え、非常にあの、素晴らしい作りで ですね、え、即頭部って言いますかね、 側面部のところには、えー、またこの開花 門ですね。え、花びのたくさんあるお花と それから、えー、な、なんとなく

47:05 ブルーベリーのようにも見える、え、身が ですね、え、交互に並べられていて、え、 そして冠りのてっぺんにはですね、え、 これはパッションフルーツの花であると 考えられていますが、え、お花、 パッションフルーツというのは時計層です ね、時計層のお花があって、その周囲には 、え、ブドの蔦が広がっています。え、 そして盗朝部と即頭部とをつぐところには 、え、翼を持つ猶欲、あの、翼を持つ、え 、女性の精霊が描かれています。 で、これはあの、真上から見たあのところ です。え、武ドの刃が一面に広がっている 様子と、え、即頭部のあの

47:52 身とお花が、え、どのようにこの冠に、え 、結合されているかというのが、え、よく 見て取れます。 え、そしてこれがちょうどあの、え、間の 、え、女性の精霊なんですけれども、えー 、右側の写真では、え、ブドの刃の様子、 つがこう伸びてるところとかですね。え、 それから、えー、こう身の1つ1つ、それ から、え、このお花ですね。え、全部花び のように見えるんですけれども、え、花び と花びの間に何か額のようなものが描かれ ていて、えー、そしてその先端などに、え

48:38 、非常に細かいつぶつぶ、金のつぶつぶが あの、装着されていて、え、なんか学生を がこれを見て花粉じゃないかとか言ったん ですけれども、えっとですね、あの、実際 に何の植物ものすごくリアルなんです けれども、え、さっきの政と同じように ものすごくリアルなんだけれども、え、何 の植物、何のお花を描いたものかというの は、あの、特定されていない。あの、現在 に至るまで特定されておりません。 え、そしてこれはですね、え、下から覗い てみたところです。え、冠りのあの骨組と 言いますか、それがどのようになっている かというのがよくわかります。え、全て金

49:25 、金で作られています。え、そして、え、 青っぽく見えるもの、え、あのお分かりだ と思いますが、え、外からは見えないよう な部の下にもついていて、え、これはです ね、ブドのみをあのラピスラズーりで、え 、かったあの飾りがこうこう動くように ですね、プラプラするように、え、 ぶら下げられているものです。 え、素晴らしいあの王冠で、え、あのこの 写真でもこの1つ1つのあの、ま、金の グラニューラって言うんですが、細かい 点々てのところがあの身の部分に見て 取れるかと思います。

50:10 え、そしてこれはですね、え、朝底のあの 器で、え、ま、おそらく儀式に使われた ものであろうと思われますが、え、この デザインは、え、ロータスのお花をかって いてですね、そして、え、縁の部分には、 え、く字のような模様が刻まれて、え、 ロータスの花びと花びの間には、え、例の ロゼットですね、開花門が切り込み技法で 、え、表現されています。 え、これはあの裏側から見たところと、え 、器は中央部の丸い突器の部分なんです けれども、ま、丸い突起の部分もですね、 え、その周囲をギロシュと言いますが、え

50:56 、波もで、え、取り巻いていたりですね。 え、中央には、ま、あの、さっきのく尻の あの、書かれた、え、これはロゼットなの か、あの、それとも、え、 なんでしょうね。葉っぱのようなものなの か分かりませんが、えー、それが中央を 占めていて、え、そして、え、その周りに 、え、ロータスの花びが、え、打ち出し、 え、技法ですね、ルプセですね。で、あの 、表現されています。 で、これはあの注ぎ口のついた、え、 ピッチャーでおそらくワインなどを入れて いた容器だと考えられます。え、この側面

51:41 にはですね、狩猟の条件が、え、打ち出し 技法で表現されています。で、え、ま、 これらの募質、今ご覧いただいたの全部 じゃないんですけれども、え、これらの湿 から出度した黄金製品だけでですね、送量 55kmに及びます。で、これはエジプト のツタンカー王の墓から出度した黄金の量 に匹敵するものだと言われています。 え、残念ながらこれが、え、発見されて すぐに、え、イラクは湾ン岸戦争に突入し て、え、そして制裁家にずっと置かれた後 で、え、今度はイラク戦争、そして、え、 ISの侵略という、え、非常にあの不穏な

52:27 あの運命を辿どってきていてですね、未だ に、え、この、ま、秘法と呼んでいいのか どうか分かりませんけれども、え、大母 から発見された、え、素晴ら 黄金の品ジナですね。え、もうこのあの 加工技術は1つとってもですね、どれだけ のあの息にあったかということがお分かり いただけると思うんですけれども、え、 これがあの世界に、え、代々的にこう紹介 される機会というのが今日に至るまでまだ ないあのという状態であります。え、結び としてニルドの復興に向けた同向をお話し させていただきます。 え、ま、2015年のこのアイスの破壊

53:14 行為で測り知れないダメージを受けました けれども、え、このアイシスが対却した後 もイラクの北部は治安の非常に悪い状態が 続いていて、え、被害の前用がなかなか 伝わってきませんでした。で、ま、そんな 中ですね、え、アメリカのペンシルバニア 大学の博物館では2017年の4月から、 え、シリアとイラク戦下の中の文化点と いうものを開催して、え、専門家による 会議も、え、開かれました。で、同じ年の 7月には、え、国際アスリア学会が、え、 ドイツのマールブルク大学で開催されまし たが、え、その学会のテーマは文解遺産の 過去、現在、未来というもので、え、復興

54:01 に向けた取り組みが、え、様々な視点から 議論されました。え、そこではこの北制 宮殿についてこれまで組織的に行われた、 あの、ま、研究者無人スキーとか、え、 ペイリーといった研究者たちの調査を土台 に、え、バーチャルリアリティを使った、 え、複案とかですね、え、そういうものが 、え、話し合われました。 で、ええ、最近ではですね、あの、ニムド 大母 から出た、え、王妃のあの、うん、骨です ね。その分析もDNA、え、分析です けれども、え、それも、え、手がけると いうあのお話を、え、最近ちょうど聞いた

54:47 ばかりです。 え、そして、え、簡単ですけれども最後に もっと詳しく知りたい方のために、え、 ニムルドに関する参考文献の一部をご紹介 させていただきます。え、1番目に上げた ア大文明点カタログというのは、え、 1996年に日本で開催された時の法訳な んですけれども、え、元の本、これ今でも あの大博物館で売っています。え、これは あの当時、え、キーパーを務めていた ジョンカーティス博士が監修してですね、 え、当時活躍してた博物館の学芸院5名を 中心に、え、それぞれの専門分野について 書き下ろしたもので内容が非常に充実して います。で、2番は、え、おそらく現在に

55:36 至るまで、え、日本で出ている美術前収の 中で、え、ま、1番あの、着物の大きな ものじゃないかと思うんですけれども、え 、大博物館の作品だけではなくて、え、 その他ルーブルですとか、え、ベルリンの ペルガモン博物館ですとか、え、そして 貴重なイラク博物館の修造品も、え、修造 されて今、あの、ごめんなさい。掲載され ています。で、え、3番目はこれはあの 日本オリエント学会が編集した時点で、ま 、この分野の非常にあの基礎的な用語です とか、え、基本的な情報を得るのに非常に あの有益なあの時点であると思います。え

56:21 、そして4番目はですね、え、非常にあの 分かりやすい、たくさんの図犯が掲載され ている、え、袋の本なんですけれども、え 、日本を代表するシュメル学の、え、大価 であ、あの、前川先生が編集された本で、 え、とても読みやすいと思います。え、 そして5はあの英語ですけれども、え、 専門的に任ルドについて研究したい方向け のものになります。え、ね、長年ニムルド の博物調査に携わった、え、デイビッド オ津教授とジョノーツ博士のご夫婦が 書き上げた力です。え、以上で、え、 アッシリア殿 と芸術、任ルド北製宮殿と大母のお話を

57:06 終わらせていただきます。え、ご成聴 ありがとうございました。

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