0:07 こんにちは。え、今日は古代メソポタミア に栄えたアッシリア帝国の都ニムルドに 混流された宮殿のお話。え、そしてその 壁面を飾った芸術と、え、今からおよそ 37年前に発見されたアッシリアの王妃 たちのお墓について、え、お話しさせて いただきます。 え、目次です。え、初めに、え、今から およそ10年ほど前にニムドがISですと かアイシスと呼ばれるイスラム過激派に 破壊された話題に触れた後で、え、新 アシリア時代の幕明けとして紀元前
0:52 1000年期の歴史背景と、え、19世紀 に始まったニムドの発掘調査について簡単 に触れた後、え、ニムルドに混流された 宮殿と芸術についてお話しして、え、最後 に、え、大部のお話に触れて、え、進めて いきたいと思います。 え、ニムルドは古代名をカルフと言います 。え、場所はですね、イラク第2の都市、 もうすぐの南30kmに位置しています。 え、アッシリアはメソポタミア北部を中心 に栄えた、え、帝国で、え、この一体は、 え、遠くにトルコ南東部の山々や、え、東
1:38 にはザグロス山脈が見え、え、なだらかな 給料地帯が広がっています。え、この写真 はモスルの北製部で、え、背景は ティグリス側になります。え、そして川の 近くに、え、ポツポツと見える白い点は羊 の群れになります。 え、ここから、え、アイシスによる遺跡 破壊についてお話しします。 2014年、え、6月、え、ま、通称 イスラム国と呼ばれるアイシスが、え、 モースルを吸収しました。え、イスラム国 の支配地域はまた琢間にこの地図の オレンジ色で示される範囲まで広がって
2:25 しまいました。やがて博物館や均衡の遺跡 において、え、意図的に文化財を破壊する 映像が報道されるようになりました。で、 その組織的な破壊はこれまで前例がない ほどの規模で、え、人類共通の文化遺産が 次々と破壊されていく条情が世界中に 広がって、え、私たちは戦立しました。え 、2015年にはアッシリア帝国の都宮子 ニムルドの遺跡に多数のダイナマイトが 仕掛けられて、え、そしてその遺跡が破壊 されました。え、ISISは偶像崇拝を 破壊するという、そういう名目のもで、え 、文解遺産の破壊を意図的に行ったわけ
3:13 です。え、隣のシリアでも世界遺産に登録 されたパルミラはめ、え、多くの文化遺産 が破壊され失われてしまいました。 え、この写真は翌年2016年に、え、 イラク北部のイスラム過激派の勢力が急速 に衰えた後で、え、アメリカ軍の兵士が 遺跡の状況を調べている場面です。 え、私たちはもう何も残っていないのでは ないかと壊滅的な状況を予測していました けれども、え、この報道の後で、え、研究 者たちも米軍の護衛と共に現地入りする ことができて、とりあえず、え、最悪の
3:59 事態は免がれているというニュースが 伝わってきました。 え、現在イラク北部の治安はまだあの良く ない状態が続いていますが、え、欧米の 高校学者たちが少しずつ現地調査に戻り つつある状態にあります。 え、ここから新アシリア時代の幕明けに ついてお話しします。 え、アッシリアは元々テグリス川の当に 位置する都市アッシュに始まりましたが、 え、約300年間に及ぶ新アッシリア時代 の間、アッシリアの都子は3回にわって 変わっています。 アッシュルナチルパル2世が都を アッシュルからニムルドに移した後、え、
4:47 紀元前706年にはサルゴン偽星によって コルサバードに移され、え、ほどなくして 、え、紀元前700年頃、え、アッシリア 最後の都子ニベに移されます。え、紀元前 9世紀になりますと、アッシリアは領土 拡大政策によって富を集中し、え、後の 帝国主義の典型を築づいたと言われてい ます。 え、この時代を新アッシリア時代と呼び ます。え、この時代の幕明けは紀元前 883年に即有意した王 アッシュルナチルパル2世によって もたらされます。 え、この時代歴代の王たちが競い合うよう に総霊な宮電を混流して、え、宮電内外の
5:35 装飾やちょうど品などに税の限りが尽くさ れました。え、この図は、え、19世紀に 描かれた想像復元図で、え、実際とは かなり異なってる部分があります。え、 アシルナチュルパル2日2日世はこの 新しい都でそれまでにないような宮電を 混流して、え、建物の内外を彫刻や最有 レガで装飾しました。 え、ニムドの遺、あの遺跡の丘と書きます が、え、その北製側に立てられた宮殿の ため、え、今日私たちはこれを北製宮殿と 呼んでいます。 この部分になります。
6:23 えー、そしてニムルドの発掘に携わった 主な高校学者を簡単にご紹介します。え、 これは19世紀後半にこの遺跡を調査した イギリスの高古学者オースティンヘンリー レイヤードです。え、左側の肖像側、え、 イランを旅行中バフティ、バフティアリ族 の衣装を身につけた姿の若き日の レイアードで、え、イラクの高古調査で、 え、後に一躍時の人となったレイアードは ですね、え、その後高古学を離れて、え、 政治家、そして大使として活躍しました。 え、ここで左から、え、ホルムズム、左の
7:08 あの写真はホルムズラッサムなりますが、 え、彼はレイアードの後を引き継いで ニネベの発掘を継続します。え、この ラッサムはイラク人なんですね。え、 モールでキリスト教の家に生まれ、え、 レアドの女子として働いていました。 で、中央はウィリアムロフタスで、え、 イギリス人ですけれども、彼はラッサムの 後で、え、新たにバグダットの、え、 国総徳代理に任命されたヘンリー ローリンソンの紐入りで、え、イラクの 博物責任者に任命されました。 え、そして画面右側、これはジョージ スミスで、え、彼は整理していた粘土版 文所の中に、え、旧約聖書のノアの箱舟に
7:54 ものすごくよく似た大光伝説が書かれて いることを発見します。え、それは、え、 後にギルガメ女士の第11番目の所盤で あることがわかりますが、え、当時、え、 聖書に書かれた物語が証明されるかのよう な、え、古い記録が見つかったことは、え 、社会に大きなセン起こし ました。 え、1950年代、50年前後からは、え 、マックスマロワン、え、デイビッド ウォーズ、そしてジェフリー オーチャードラが、え、発掘を行います。 え、右側に映っているカップルと中央の 写真に映っているのはマックスマルワンと 、え、アガサクリスティです。
8:40 え、名探偵ポアロで有名な作家のアガサ クリスティは、え、1930年に旅行した 先の中東で、えー、ま、14歳年下の マックスマロワンと出会い、え、そして、 え、再婚します。え、夫が指揮している 発掘調査体の中の、え、人間関係などを ちゃっかりネタにして、え、メソポタミア 殺人事件などの名作を書き上げています。 で、彼女はインタビューで、え、自分より もずっと年下の若い男性と再婚したことに ついて、え、聞かれますと、え、夫は高古 学だから私が古ければ古いほど彼にとって の価値は高くなるのと語ったと言われてい
9:26 ます。 え、画面右側は、え、ニルドから出動した ばかりの、え、ゾ下工の写真を撮影する クリスティの姿で、え、その右隣にいる 若い女性は、え、私の指導教授だった ジョーン大津博士です。 大津先生は当時ケンブリッジ大学で マックスマロワンの指導のも博士論文を 書いているところでした。で、ちょうど この頃のニムルド調査にも参加していたの で、え、私が受けた授業のスライドには よくあサクリスティの姿が映っていました 。 え、1956年以降はイラク高古局が中心 となってニムルドの調査が継続されました
10:11 。 え、ここからは任ルドの北製宮殿のお話、 そしてその、え、壁面など、え、飾った 彫刻について簡単にご紹介します。 え、アッシュルナチュルパル2世の北製 宮殿が完成したのは紀元前879年で、え 、その落生を記念して、え、当時10日間 に及ぶ宴が模様されました。 え、王は祠らしげにその新しい宮殿や都の 詳細と、え、その落性を祝う宿賀界の様子 を、え、楔方文字の碑分で残しています。 え、それによりますと、え、宮電の土台を
10:57 築くために、え、表面の瓦礫を取り除き、 え、そして地下の体水槽まで掘り下げて、 え、そこから120層のレガを積み上げた とされます。え、そして応急には7つの 大広間を作り、え、天井には杉 など5種類の木材を使って、え、聖の飾り をつけた扉を取り付け、え、そして壁面を 鮮やかな青に塗装したと言います。 え、門の上にはラピスラズリー色の最有 レガで飾って、え、制服した周辺地域の 住民をこの新しい都ニムドに強制移住させ
11:43 ました。え、さらに、え、ザブ川という あのザグロ山脈から流れてくる、え、 ティグリス川に注ぐ私流なんですけれども 、え、その川から町に運河を引くために山 にトンネルを掘り、え、そして外設備を 整えて、え、カ樹エを作り、え、また杉屋 ナ目、え、コタ、玉ド、オリーブ、オーク 、柳、え、ザクロ、一軸、プラム、ブド など、え、様々な種類の植物を集めて庭園 を作り、え、かわしい香りがそこには 満ち溢れていたと言います。 え、ニムルドには宮殿だけではなくて神々 に捧げる神殿も混流され、え、建築に用い
12:29 た恵りの木材と、え、これ大体あの レバノンの方から、え、ぶんどってきて いる木材なんですけれども、え、また神の 像には準金と、え、輝く石材が使われたと 記されています。 え、積材はおそらく、え、この地域で算出する、え、石膏、え、切石候、雪の花と書く切のことであろうと考えられます。 え、そしていよいよ新しい宮殿が完成する と、え、その落生を祝う宿賀会が10日間 にわって模様され、え、その席で振る舞わ れたご馳想を大分から引用しますと、え、 総春生まれの個質線引、え、おそらくあの
13:20 なんですか、え、特に価値の高い個小羊な んですね。え、そして普通の羊1万匹。え 、小羊1万5000匹。え、そして鹿 500匹、ガゼル500匹。え、カモ 1000、ガ長500、え、鳩ト1万、 諸々ろの小と1万、色々な魚1万、 びネズミ1万引き、卵1万個、え、ビール 1万ツ、え、川袋入りのワイン1万個、え 、野菜後、え、油300ツなどなどが、え 、振る舞われ、え、領土のあちこちから 集まった、え、4万7000、飛んで74
14:08 人の人々や、え、VIPVIP5000人 、え、そして他国からの施設団、え、 ニムドの住民1万6000人、え、そして 宮殿の役人1500人など、え、合わせて 6万9574 人がこの共演でモテなされたと言います。 また帰る時には、え、丁寧にもですね、お 土産を持たせてあげたということが記録さ れています。 え、アッシュルナチルパル2世がニムルド に気づいた宮殿にはそれまでにない斬新な 一面がありました。え、それは宮殿の 大広間の内装に石の浮き彫りを大胆に 取り入れたことです。
14:56 え、王の玉座が置かれていた広間はザ座の 魔と呼ばれていて、え、この平面プランで はBの部屋に相当します。え、図の ちょうど上部になりますが、玉座が置かれ ていた台座が残されています。 え、これはアメリカの研究者サミエル ペイリー教授が中心となって2006年に 作成したラーニングサイトの教材です。え 、バーチャルリアリティで、え、広間の奥 に王の姿も見えます。 え、台の上に置かれた台座玉座にごめん なさい。台の上に置かれた玉座に座る王と 、え、それから手前にはアッシュリアの ストーブが描かれています。え、イラクは
15:43 夏はあの世界でも1番あの、え、最高の 気温を記録するほど暑いんですけれども、 え、冬場は、え、特にザグロス山脈の方に なりますと、え、雪が降るくらい寒くなり ます。 で、このストーブは、あの、金属性で床に 敷かれたレールの上を移動させられるよう な作りになっていました。で、実際に 任ルド近衡のフォートシャルマネッセルと いうところから出動した鉄性のストーブが 知られています。 え、玉座の間の壁面には浮き彫りが壁市 一面にちょうど絵巻き物を広げたような 状態で展開していました。で、この
16:29 浮き彫りはちょうど来が、え、この玉座の 間に入って、え、最初に目にする壁面に はめ込まれていました。え、この彫りに なります。え、来車は宮殿の中庭を通って 、え、この図の下側に位置している入り口 から入ります。え、そして玉座の間に入っ て正面に、え、見える位置に、え、設置さ れているのが今ご覧いただいた浮き彫りに なります。 え、そしてそこから90°左に方向を変え て王に向かい合いますと、え、玉座の背後 にはまた同じ浮き彫りが、え、どちらも 壁眼にこう、あの、はめ込まれた形で、え 、設置されていました。
17:20 で、オアッシュルナチルパル2世は、え、 成熟聖なる木と書くんですけれども、え、 この中央に描かれた木の両側に、え、2階 にわって表現されています。で、画面左手 に描かれた王は本人の右側面を、え、 私たちに見せていてですね、画面右手に 描かれている王は本人の左側面を私たちに 見せています。 え、左側の王は右手を上げて、その指は成 に向けられています。え、ちょうど指差し 確認のような形で、え、政治を指してい ます。え、そして反対側右側の王は、え、
18:10 政治の上に浮かんでいる有欲日輪の神を 指さしています。 で、どちらも王の背後には精霊がいて、え 、手にしたあの、松さのようなものをです ね、おそらく左手に持った、え、バケツの 中には水が入っていただろうと考えられて いるんですが、え、それを振り注ぐような 清めの儀式を行っています。 え、この中央に描かれた、え、植物なん ですけれども、え、成と私たち一般に呼ん でいますが、え、この植物が何なのかに ついては、ま、いろんな解釈があります。 1番一般的なのは、え、夏目の新目を、え
18:57 、様式化したものであろうというのがです ね、え、大体定着したあの解釈で法上の 概念を表しているものと、え、解釈する人 が多いです。ま、中にはあのエジプトの ロータスをアシリア風にアレンジしたん じゃないかというような意見もあったり するんですが、あんまり指示されてはい ないようです。 で、え、この古代ギリシャで、え、非常に あの頻繁に使われた、え、パルメットの 紋用というのは、え、このアッシリアの、 え、このモチーフの影響を強く受けてい ます。 で、玉座の間の中で、え、特別な位置を
19:44 占めた浮き彫りですので、え、ここには おそらくアッシリアの国家とか王剣という ものですね、え、ま、世界観に関する重要 なイデオロギーが表現されていると、え、 考えられます。え、そして、え、ま、政と 並んで非常に重要な位置を占めているのが この有欲日輪の姿で描かれた神なんです けれども、え、これが何の神なのかという ことについても、え、研究者の意見は必ず しも一致してはおらず、え、アッシリアで 1番重要な神は神アッシュルであるという ことからこれはアッシュル心神だという説 がある。とかにいや太陽だから太陽神 シマシだと考える研究者もあのいます。
20:33 え、そして、え、浮き彫りのちょうどあの 下半分のあのパーツになるんですけれども 、え、そこにはアッシュルナチルパル2世 の、え、大分、これ標準版分スタンダード インスクリプションと呼んでいますけれど も、え、これが楔び型文字で刻まれてい ます。 え、O碑分は王の成し遂げた業績を記録し た年代期なんですけれども、え、王の知性 に生じた重要な出来事が記録されています 。 え、具体的な内容としては、え、最初に王 の名前とその王の数々の肩書きで始まって 、え、そしてアシリア軍が行った軍事遠征 ですね。え、そして、え、
21:21 アッシュルナチュルパル2世の場合、新た な首都ムルドの増、え、宮殿の建築事業に ついて、え、詳しく述べられています。 で、ただ、あの、この、え、標準版分なん ですけれども、え、この北製宮殿では 浮き彫りに使われた石板1枚ごとに、え、 最初の王の名前から繰り返し同じことが あの刻まれているので、え、内容が何度も 重複して書かれていて、え、ま、浮き彫り に表現されている図のテーマとは、え、 関係ない、え、文字情報になっています。 で、ま、当時のあの大部分の人たちは 読みかきができなくて、え、いわゆる式地
22:08 というものは非常に限られたエリートに あのしか、あの行き渡っていませんでした 。ですからこの作業についても、え、 浮き彫りを担当した職人たちと、え、文字 を書き込む初期との間には、あの、全く こう別の集団が関わっていたということが 考えられています。 え、足屋の宮殿に描かれた、え、主要な テーマというのは、 え、浮き彫りのあの主要なテーマというの は、え、1つはまず戦闘の場面です。え、 そして、え、王の狩猟の場面もあの登場し ます。え、そして3つ目にあの多いのが、
22:56 え、宮殿や神殿の混流といった、え、建築 にまつわる場面、え、この3つが主要な 浮き彫りのテーマとなります。で、これら はちょうどあの文字で書かれる王の年代期 にも繰り返し語られる次第でありますので 、え、浮き彫りというのはそれらを資格的 に表現した、こう非常にメッセージ性の 高い芸術だったことが言えます。 で、メソポタミアの美術というのは、え、 芸術か個人の何かを表現するという現在の 芸術とは違って、え、ま、当時ですね、 見る人を共端させたり意の念を起こさせる という、そういう意図がありました。で、
23:41 特にあの外国からの施設団ですとか、え、 国内の用人などが出入りする主要なあの 広間の壁面にはアッシリアの王がいかに 偉大で、え、強力な権力と軍隊を有して、 え、そのアシリアに逆らうとどんな 恐ろしい目に合うかということを 見せつけるための政治的プロパガンダの 役割もあったわけです。 で、これは王に引き入られたアッシュリア 軍が、え、画面左側から敵の要塞を攻める 場面なんですけれども、え、王の姿は、え 、左から3人目、え、弓を引き絞る、え、 姿勢で描かれています。で、王の周囲には
24:28 、え、丸い盾を手にした兵士が2人います けれども、王のあの背合と後ろに1人ずつ います。え、彼らはこのOを護衛するSP です。 え、これは当時最新の武器であった、え、 白攻めの走行者なんですけれども、え、 それを使って、え、敵方の要塞の壁を破壊 している場面が描かれています。え、 そしてこの走行者のうん、上部から、え、 上半身を乗り出した兵士たちが、え、ま、 あの城の中にいる敵と同じような高さで ですね、え、対等にこう矢をいる姿で描か
25:13 れて、で、またその矢をいる兵士の奥側に は四角い盾を手にした兵士が描かれてい ます。え、このように、え、弓矢を使う 社種は彼をガードする盾を手にした兵士と 2人組で戦っていたことがわかります。 え、この場面はアッシリア軍が野営する キャンプの中の様子を長図的に描いてい ます。え、食事の準備のようですが、ま、 大鍋をかけて、え、何かきをしている姿も あります。え、この中で特に興味深いのは 、え、左下の部分なんですけれども、え、
25:59 左側にですね、え、新刊が、え、台の上に 、え、羊を乗せてこう何かしている場面が あの描かれてます。これはあの羊の内臓を 取り出して占いを行う内臓占いの場面だと 考えられています。で、えー、その右側は 助手らしくて、え、羊の足を押えています 。 え、これは粘土性の内臓の模型なんです けれども、え、左側よく見ますと、え、 肝臓のそれぞれの部位に、え、名前がつけ られて、あの、細かい字で刻まれているん ですね。ま、例えば王の門といったあの
26:45 その部位の名前があって、え、その犠牲の この内臓を取り出してその形を観察して、 え、ま、中には危形があったり色々する わけなんですけれども、え、その形によっ て、え、神の意思を知るという、え、そう いう占いが行われていました。で、 アッシュリアの戦争というのは、え、 アッシュルシの神の命令で行うという、 そういう取りましたので、え、神が何を 望んでいるか、え、ま、具体的には足田兵 を南に進めるべきかとか、それとも待機す べきかとか、えー、北に進めるべきかとか 、そういった事柄を、え、神のあの指示と して占いからしろうとしたようです。
27:35 え、これはユーフラテス川を渡って西側に 向けて神軍している場面です。え、画面の 右手には、え、戦車を船に積み込む兵士 たちの姿、え、泳いで川を渡っていく兵士 たちの姿が見えます。え、細かく見ていき たいと思います。え、これが画面左手に 描かれた、え、指揮感と、え、その後ろに 髭のない姿の人物が描かれていますが、え 、これは女性ではなくて看がだと一般に 考えられています。 え、そして、え、この兵士は今川袋に息を 吹き込んで浮き袋を作っているところです 。で、その作った浮き袋を、え、使って、
28:23 え、泳いでいる姿の兵士、えー、その傍原 には、え、お魚の姿も見えます。で、え、 お魚はおそらく恋ではないかと思われます 。で、恋はあのイラクのご馳、現在でも ご馳になっています。え、また水の流れは 非常に繊細な波線の渦巻で描かれています 。 え、そしてこの場面では、あの、王の一光 が川を渡っている場面なんですけれども、 え、4等の馬がですね、それぞれ、えー、 なんとなくぎこちない馬きで、え、ボート の後ろから泳いでいく様子が、あの、 見えると思います。
29:10 え、近寄ってみるとこんな感じですね。2 等ずつあのセットで、え、泳いでいます。 え、そして王は、え、ボートに乗せた戦車 と一緒に描かれていて、え、王の、え、 前後に、え、看がの側近を従えています。 え、そして王は右手に、え、矢をこう縦 方向に握っていて、え、左手に弓を持つと いう、そういう姿で表現されていますが、 え、これは一般に勝利を意味する、え、 姿勢だ、ポスチャーだという風に解釈する 研究者もいて、え、ま、して、え、凱旋し ている場面を表現したものだとも考えられ
29:56 ます。 え、非常に興味深いのは、え、この王の姿 の前にですね、え、有欲日輪の、え、神が 描かれていることです。この部分になり ます。で、ま、王は神の意思を実現する神 の代理人としての役割を果たしていること が、ま、このように資格的にも表現されて います。 で、同じことはこの画面でも言えます。え 、王と神はほぼ同じ姿勢で描かれています 。 え、そして、え、アッシュナツルパル2世 の玉座の間の浮き彫りではですね、玉座に 1番近いところに、え、狩の場面、狩猟の
30:44 場面が、え、描かれた浮き彫りが置かれて いました。で、これはあのライオン狩りの 場面なんですけれども、え、この戦車の 後ろから、え、襲いかかるライオンに、え 、王は戦車の上から矢を放つ、そういう姿 で描かれています。 で、ライオンは、え、胸や首筋とか背中に 、え、複数の矢を受けた姿で描かれてい ますが、え、戦車のこの車軸に前足をかけ てですね、え、今にも噛みつかんばかりの 、え、姿で、え、ここに表現されています 。 え、このようにして、え、王に、え、狩ら
31:30 れた、え、ライオンはですね、仕留められ てしまったライオンは、え、狩の後で観点 と呼ばれる儀式を行っています。え、これ は一見すると、あの、王が、え、逆月きを 手にして乾杯をしているようにも見えるん ですけれども、 えー、約200年後のアッシュルバニパル の同じライオン狩りの場面に、え、 ちょうどこの、え、獲物の死体の上に液体 を注ぎかける場面が、あの、非常に はっきりと描かれておりまして、え、また このちょうど、え、上部に刻生まれた名文 にはですね、え、王が殺したライオンの上 に捧げ物としてワインを注いでいるという
32:19 ことが、え、記述されているので、ま、 ここから注がれている液体がワインである ことが知られています。で、ワインは シュメール語でゲシュティン、アッカル語 でキャラナと言いますが、え、ま、当時の メソポタミアの飲み物というのは、え、 庶民もこう気軽に飲めるのはビールだった んですが、え、ワインは、え、ま、あの、 武道が特にメソポトミア南部ではそれほど 一般的ではありませんでしたので、え、 高級品で、え、神への捧げ物であったり、 え、貴族の飲み物として、え、しか流通し ていなかったんじゃないかと考えられてい ます。 で、ここでは、え、碑分に、え、記された
33:05 通りライオンの死体の上に女神イシュタル ゆかりの、え、弓を立ててですね、え、 ワインがその上に注がれるという場面が 表現されています。 で、アッシュルーナチルパル2世、200 年ほど遡りますけれども、え、その時代に もおそらく同じ儀式が行われていたのでは ないかということが推測されるわけです。 え、最後にあのニルドから発見された王妃 のお墓について、え、お話ししたいと思い ます。え、1988年に、え、イラクの 研究者たちがニムドの遺跡を修復していた 最中に偶然なんですけれども、え、床下に
33:52 アッシリア王妃たちの墓があることを発見 しました。え、この右側の平面プランでは 、え、左上の移行が北製宮殿で、え、宮殿 内の非常にプライベートな一角の、え、 床下部分にお墓が作られていました。で、 湿室は第1菩から第3菩まで合計3つ発見 されています。 え、第1の車は分からないんですけれども 、ここから出動した服装品は、え、左上 の図からですね、何かこうぶら下げる形の 、え、飾りでおそらくあの、うん、衣の上 から縫い付けたものではないかと思われ
34:38 ます。え、そして右上の白黒写真なんです けれども、え、これあの印象反抗になって います。え、それと腕輪です。え、下は イヤリング、え、こういったものが第1 物質から、え、副総品として発見されてい ます。で、このイヤリングなんですけれど も、え、この王妃の、え、これは アッシュルバニパルの王妃なんですけれど も、え、彼女の耳元を飾っているのでも ですね、同じような形で、え、分かります 。 え、第2母は、え、このようにレガを使っ たアーチの天井を持つ構造になっていまし た。で、ここからは、え、紀元前
35:24 80008世紀後半のティグラトピレセル 3世の王妃やバート、え、サルゴン2世の 、え、王妃アタリアの2つの遺体が発見さ れています。で、元々このお墓はあの王妃 やバーのお墓として作られていたんです けれども、え、その、え、母室の壁眼に 納められていた、え、碑分があります。 え、この碑分の内容なんですけれども、え 、引用しますと、え、王妃やバーの碑分、 え、明解の偉大な神々であるシャマシュ エレシキガるアヌンナキの名において、 えー、王妃やバーは寿命を全倒して主を
36:10 迎え、クソたちの道へと進んだ。これから 後誰であれ?それが王妃の座につくもので あれ。例え王の愛するものであろうとも私 を墓から起こしたり他のものを私と共に 葬ったり邪を持って私の装飾品に手を 伸ばしたり母室の封印を解いたりするもの はえ死護に資料として地上の太陽の元では 乾きを覚えて上外を彷徨いでは飲み物や 食べ物を受け取ることがないようにという そういう呪いの言葉がこの後も続きます。 え、ですから、え、他のものを私と共に 葬ってはいけないとかですね。え、どんな ものであろうとも、え、自分の墓をこう
36:57 暴いちゃいけないというようなことがここ に、え、強くあの言われているわけです。 また、え、装飾品というのは服装品ですね 。一緒に痛いと一緒に、え、納められた ものに手を出してはいけないということが あの書かれていて、そういうことをすると 、え、恐ろしいあの運命が待ってますよと いうことがあのここに書かれているわけな んですけれども、ま、ちょっとあのその 背景を説明いたしますと、え、 メソポタミアの死護の世界っていうのは、 え、エジプトとかなり違って、えー、全然 バラ色じゃなかったんですね。で、え、人 が死にますとメソポタミアでは7日間に わる早々議例が行われて、え、その7日間
37:42 という、え、時間は死者が、え、亡くなっ てから明解に入るまでの過きと考えられて いました。え、仏教では49日になります 。で、その間、え、残された遺族は、え、 泣き叫ぶ、え、急国議例を行います。え、 そして死者は地下の世界を西、西と進んで 、え、そして、え、川が出てきます。 フル川というのが出てきます。これ ちょうどサズの川みたいなものなんですが 、え、それを渡って7つの門をくぐって、 そして明解に入るとされます。 で、その明解は、え、熱くて乾燥して誇 りっぽいところだと考えられていました。
38:30 で、死者は明界で、え、チリを食べて、 えー、喉の乾きは、え、地上で遺族が行っ てくれる観点の綺れによって飲み癒される とされていました。ですから、え、遺族が 十分な苦を行わないと、え、死者はゾンビ となって地上に現れて生きてる者たちに悪 さをすると考えられていたので、え、遺族 は、え、3つの非常に重要な、え、死者の ための苦用を行ってはいけないという風に されていました。え、その3つの、え、 苦養とは何かと言うと、え、ニク目角ど語 でニク名という、え、水の観点、え、 そしてキスプンと呼ばれる。え、そして、
39:19 え、じキル収民、え、死者の名前を唱える という、え、この3つの苦だったわけです 。で、観点を行う場面は、え、排水溝の ような設備が失らえてあって、え、そこは キアナぐ水場という意味なんですけれども 、キアナぐという名前で、え、知られてい ました。 え、やバーのあの碑分に、え、戻りますと 、え、他のものを私と一緒に葬ってはいけ ないと言っているのに、え、後から、え、 サルゴン2世の沖先であったアタリアの 遺体が、え、同じ墓に、え、葬られて しまっているわけです。で、このアタリア
40:04 の遺体は、え、非常にミステリアスなん ですけれども、埋葬される前に150° から250°くらいの高温に数時間さらさ れたということが、え、あの、 ゲッティング大学の調査で分かっています 。何か、え、かなり訳けありで慌たしく、 え、バタバタとですね、すでにあった、え 、やバーのあのお墓に、え、葬られて しまった。え、ま、何かちょっとあの ミステリーのサクリスティだったら何か 小説がかけそうな、えー、 状況で亡くなった沖先だったようです。え 、そして、え、お墓の壁眼には、え、この アラバスタの壺が納められていました。で
40:52 、えー、エジプトだと聖なる臓器という ものが、え、カノポスの壺に納められてい たりするんですけれども、え、こちらは ですね、あの、ま、あの、ちょうど 湾ンガン戦争の前に泡正しく、えー、行わ れた分析、ゲッティング大学で行われた 分析で、え、臓器ではない、え、脳の組織 であろうということが、え、言われてい ます。 で、また私の装飾品に手を伸ばさないよう にとある通り、え、このお墓からは 帯び正しい量の基金属製品が、え、出度し ています。え、これはあの第2歩から出度 した装飾品の、え、中の、え、底朝のあの
41:41 容器なんですけれども、こういったあの 容器、これ準金性ですが、え、 アッシュルバニパル王妃が手にしていたり ですね。あるいは先ほどもご覧いただいた アッシュルバニパルも使っていたり、え、 そしてアッシュルナチュルパル2世も手に した器の、ま、実物であった可能性が大い にあります。え、そして異なる形の容器も 、え、出動していて、え、全て、え、準金 線になっております。え、ブレスレットの 類いも色々あってですね、えー、これは こうパッとあの、なんて言いますか、あの 、外して装着した後縦に、え、釘のような ものを差し込んで、え、止めるという作り
42:27 のものであったり、えーえ、これはですね 、え、 非常にあの、上はえっとですね、これは あの、うんと、ちょうど裏側にライオンの 顔があ 向合っていて表側は、え、その右側にある 、え、円形のものだったり、え、下は非常 に保存状態のいいものですけれども、えー 、なんか目玉のようなものがギョロギョロ ギョロとたくさんついていますが、 おそらくお守りの役割を果たしていたもの だと考えられます。で、え、浮き彫りに 登場する王の腕にはですね、色々な形の ブレスレットが描かれています。え、この ように腕時計のように見えるものもあり
43:14 ますし、え、このライオンが利用する アシルバニパルの腕の部分を拡大しますと 、え、上腕と手首に、え、それぞれ、え、 腕輪を装着しているのがわかります。 で、また大母から出度したブレスレットに は、え、ライオンの頭部が向かいになった ものとかですね、え、珍しい石材が はめ込まれた、え、腕輪などもあります。 で、この浮き彫りのアッシュバニパルの、 え、腕輪ではですね、こう腕に巻きつく ようなデザインのものが描かれていて、ま 、いずれにしてもこれだけ装着しますと、 え、相当な重量になったと思われます。 えー、1つの重さが1kg近くなるものも あったという風に、え、言われています。
44:02 で、これは足首につけたアンクレットだと 言われています。え、黄金のネックレス。 え、これもですね、あの、ちょうど、え、 頭のなん、これ蛇の頭の部分こうで、え、 装着外したり、え、するようになってい ます。え、これは、え、胸飾りなんですね 。え、細い金の糸で、え、編まれている 非常に繊細な作品です。で、ちょうどあの 左側の長方形の部分ですね。これがあの胸 の部分に来てで、えっと、丸いところは ちょうど頭を通してですね、え、後ろの 尻尾みたいなのが背中に垂れるようになっ
44:47 ています。で、え、ここにもあのギロっと した目玉のようなものがあって、で、え、 これはあの、え、王妃を邪悪な例などから 守る、そういう役割を果たしていたのだと 考えられます。え、現在でも中東のお土産 なんかにものすごくリアルな目玉を持した ものがあったりするんですけれども、え、 お守りだよって言われてもちょっとね、 あの、ギょっとするようなあのリアルさな んですが、え、当時からこういうものは 使われていました。 え、これはダイアデムという、え、帯の 王冠で、え、細かいロゼット、え、開花門 ですね。え、あの、ま、日本の皇室の、え 、菊のご問というのもありますが、それに
45:33 似たような、え、形の、え、何のお花かは 分からないんですけれども、え、花の、え 、一がデザインがですね、施されています 。え、このアッシュルバニパルの王妃の 頭部にも同じようなスタイルの王冠が描か れています。 で、え、さて、第3菩ですけれども、 こちらは前室と支出の構造になっていて、 え、この墓の悲装者は、え、紀元前9世期 のアッシュルナチュルパル2世の王妃無理 無理者と2アであることが分かっています 。え、これは出動した直後の副装品を まとめて、え、テーブルの上に置いている その状態を移したものです。え、この墓
46:18 からも、ま、非常に帯び正しい量の、え、 黄金製品が出度しているんですが、え、今 黄金だけご覧いただいてますが、もちろん 銀星のものなどもあります。え、これは、 え、ちょうど出動した直後のあの状態なん ですけれども、えー、クリーニングを施し た後の、え、状態がこのような形になり ます。え、非常にあの、素晴らしい作りで ですね、え、即頭部って言いますかね、 側面部のところには、えー、またこの開花 門ですね。え、花びのたくさんあるお花と それから、えー、な、なんとなく
47:05 ブルーベリーのようにも見える、え、身が ですね、え、交互に並べられていて、え、 そして冠りのてっぺんにはですね、え、 これはパッションフルーツの花であると 考えられていますが、え、お花、 パッションフルーツというのは時計層です ね、時計層のお花があって、その周囲には 、え、ブドの蔦が広がっています。え、 そして盗朝部と即頭部とをつぐところには 、え、翼を持つ猶欲、あの、翼を持つ、え 、女性の精霊が描かれています。 で、これはあの、真上から見たあのところ です。え、武ドの刃が一面に広がっている 様子と、え、即頭部のあの
47:52 身とお花が、え、どのようにこの冠に、え 、結合されているかというのが、え、よく 見て取れます。 え、そしてこれがちょうどあの、え、間の 、え、女性の精霊なんですけれども、えー 、右側の写真では、え、ブドの刃の様子、 つがこう伸びてるところとかですね。え、 それから、えー、こう身の1つ1つ、それ から、え、このお花ですね。え、全部花び のように見えるんですけれども、え、花び と花びの間に何か額のようなものが描かれ ていて、えー、そしてその先端などに、え
48:38 、非常に細かいつぶつぶ、金のつぶつぶが あの、装着されていて、え、なんか学生を がこれを見て花粉じゃないかとか言ったん ですけれども、えっとですね、あの、実際 に何の植物ものすごくリアルなんです けれども、え、さっきの政と同じように ものすごくリアルなんだけれども、え、何 の植物、何のお花を描いたものかというの は、あの、特定されていない。あの、現在 に至るまで特定されておりません。 え、そしてこれはですね、え、下から覗い てみたところです。え、冠りのあの骨組と 言いますか、それがどのようになっている かというのがよくわかります。え、全て金
49:25 、金で作られています。え、そして、え、 青っぽく見えるもの、え、あのお分かりだ と思いますが、え、外からは見えないよう な部の下にもついていて、え、これはです ね、ブドのみをあのラピスラズーりで、え 、かったあの飾りがこうこう動くように ですね、プラプラするように、え、 ぶら下げられているものです。 え、素晴らしいあの王冠で、え、あのこの 写真でもこの1つ1つのあの、ま、金の グラニューラって言うんですが、細かい 点々てのところがあの身の部分に見て 取れるかと思います。
50:10 え、そしてこれはですね、え、朝底のあの 器で、え、ま、おそらく儀式に使われた ものであろうと思われますが、え、この デザインは、え、ロータスのお花をかって いてですね、そして、え、縁の部分には、 え、く字のような模様が刻まれて、え、 ロータスの花びと花びの間には、え、例の ロゼットですね、開花門が切り込み技法で 、え、表現されています。 え、これはあの裏側から見たところと、え 、器は中央部の丸い突器の部分なんです けれども、ま、丸い突起の部分もですね、 え、その周囲をギロシュと言いますが、え
50:56 、波もで、え、取り巻いていたりですね。 え、中央には、ま、あの、さっきのく尻の あの、書かれた、え、これはロゼットなの か、あの、それとも、え、 なんでしょうね。葉っぱのようなものなの か分かりませんが、えー、それが中央を 占めていて、え、そして、え、その周りに 、え、ロータスの花びが、え、打ち出し、 え、技法ですね、ルプセですね。で、あの 、表現されています。 で、これはあの注ぎ口のついた、え、 ピッチャーでおそらくワインなどを入れて いた容器だと考えられます。え、この側面
51:41 にはですね、狩猟の条件が、え、打ち出し 技法で表現されています。で、え、ま、 これらの募質、今ご覧いただいたの全部 じゃないんですけれども、え、これらの湿 から出度した黄金製品だけでですね、送量 55kmに及びます。で、これはエジプト のツタンカー王の墓から出度した黄金の量 に匹敵するものだと言われています。 え、残念ながらこれが、え、発見されて すぐに、え、イラクは湾ン岸戦争に突入し て、え、そして制裁家にずっと置かれた後 で、え、今度はイラク戦争、そして、え、 ISの侵略という、え、非常にあの不穏な
52:27 あの運命を辿どってきていてですね、未だ に、え、この、ま、秘法と呼んでいいのか どうか分かりませんけれども、え、大母 から発見された、え、素晴ら 黄金の品ジナですね。え、もうこのあの 加工技術は1つとってもですね、どれだけ のあの息にあったかということがお分かり いただけると思うんですけれども、え、 これがあの世界に、え、代々的にこう紹介 される機会というのが今日に至るまでまだ ないあのという状態であります。え、結び としてニルドの復興に向けた同向をお話し させていただきます。 え、ま、2015年のこのアイスの破壊
53:14 行為で測り知れないダメージを受けました けれども、え、このアイシスが対却した後 もイラクの北部は治安の非常に悪い状態が 続いていて、え、被害の前用がなかなか 伝わってきませんでした。で、ま、そんな 中ですね、え、アメリカのペンシルバニア 大学の博物館では2017年の4月から、 え、シリアとイラク戦下の中の文化点と いうものを開催して、え、専門家による 会議も、え、開かれました。で、同じ年の 7月には、え、国際アスリア学会が、え、 ドイツのマールブルク大学で開催されまし たが、え、その学会のテーマは文解遺産の 過去、現在、未来というもので、え、復興
54:01 に向けた取り組みが、え、様々な視点から 議論されました。え、そこではこの北制 宮殿についてこれまで組織的に行われた、 あの、ま、研究者無人スキーとか、え、 ペイリーといった研究者たちの調査を土台 に、え、バーチャルリアリティを使った、 え、複案とかですね、え、そういうものが 、え、話し合われました。 で、ええ、最近ではですね、あの、ニムド 大母 から出た、え、王妃のあの、うん、骨です ね。その分析もDNA、え、分析です けれども、え、それも、え、手がけると いうあのお話を、え、最近ちょうど聞いた
54:47 ばかりです。 え、そして、え、簡単ですけれども最後に もっと詳しく知りたい方のために、え、 ニムルドに関する参考文献の一部をご紹介 させていただきます。え、1番目に上げた ア大文明点カタログというのは、え、 1996年に日本で開催された時の法訳な んですけれども、え、元の本、これ今でも あの大博物館で売っています。え、これは あの当時、え、キーパーを務めていた ジョンカーティス博士が監修してですね、 え、当時活躍してた博物館の学芸院5名を 中心に、え、それぞれの専門分野について 書き下ろしたもので内容が非常に充実して います。で、2番は、え、おそらく現在に
55:36 至るまで、え、日本で出ている美術前収の 中で、え、ま、1番あの、着物の大きな ものじゃないかと思うんですけれども、え 、大博物館の作品だけではなくて、え、 その他ルーブルですとか、え、ベルリンの ペルガモン博物館ですとか、え、そして 貴重なイラク博物館の修造品も、え、修造 されて今、あの、ごめんなさい。掲載され ています。で、え、3番目はこれはあの 日本オリエント学会が編集した時点で、ま 、この分野の非常にあの基礎的な用語です とか、え、基本的な情報を得るのに非常に あの有益なあの時点であると思います。え
56:21 、そして4番目はですね、え、非常にあの 分かりやすい、たくさんの図犯が掲載され ている、え、袋の本なんですけれども、え 、日本を代表するシュメル学の、え、大価 であ、あの、前川先生が編集された本で、 え、とても読みやすいと思います。え、 そして5はあの英語ですけれども、え、 専門的に任ルドについて研究したい方向け のものになります。え、ね、長年ニムルド の博物調査に携わった、え、デイビッド オ津教授とジョノーツ博士のご夫婦が 書き上げた力です。え、以上で、え、 アッシリア殿 と芸術、任ルド北製宮殿と大母のお話を
57:06 終わらせていただきます。え、ご成聴 ありがとうございました。