日本の名作を読む 第11講 1 風姿花伝

簡単なまとめ

この動画では、世阿弥の『風姿花伝』を読み解き、能の芸術論を通じて、現代人が生きる上でのヒントを探ります。 世阿弥は能を大成した人物であり、「初心忘るべからず」「秘すれば花なり」といった名言を残しています。 動画では、稽古の心得として「好色・博奕・大酒」の三重戒を挙げ、情識を排し、常に学び続ける姿勢の重要性を説いています。 上手な人も下手な人も互いに手本とし、人の悪い所さえも学びの機会と捉えることで、最高の境地に至るための真理を明らかにします。

  • 世阿弥の芸術論から現代へのヒントを抽出
  • 稽古の心得と情識を捨てる重要性を解説
  • 上手と下手がお互いに手本となる考え方を紹介

風姿花伝とは?世阿弥とは?

『風姿花伝』は、室町時代に世阿弥によってまとめられた能楽論であり、能という芸道の真髄や芸術論が述べられています。 世阿弥は能を大成した人物として知られ、能役者・能作家としても活躍しました。 能は、猿楽という滑稽な物真似を中心とする芸能に、歌や舞などの技巧的な要素を加えて発展したもので、観阿弥・世阿弥親子によって確立されました。 世阿弥は、足利将軍の後援を得て、能を幕府の芸能として確立するために、自分たちの芸を磨き上げ、そのハウツーを『風姿花伝』として後世に伝えました。

稽古の心得:三重戒

世阿弥は、稽古の心得として「好色・博奕・大酒」の三重戒を挙げています。 これは、色好み、賭け事、大酒を飲むことを戒めるもので、昔から言われている掟です。 また、「稽古は強かれ、情識はなかれ」という言葉も紹介され、一生懸命稽古に励むことと、情識を持つことを戒めています。 情識とは、感情や先入観にとらわれた判断のことであり、慢心や驕りの気持ちを持つことを指します。

情識はなかれ:上手は下手の手本、下手は上手の手本

「情識はなかれ」とは、上手な人でさえ慢心すれば芸は下がり、ましてや下手な人が慢心するのはもってのほかであるという意味です。 世阿弥は、「上手は下手の手本、下手は上手の手本なり」という言葉を引用し、上手な人は下手な人の悪い所から学び、下手な人も上手な人の良い所から学ぶべきだと説いています。 下手な人の良い所を取り入れて自分のテクニックに取り入れることが、最高の境地に至るための真理であると述べています。 人の悪い所を見るのでさえ自分の手本になると考え、感情に左右されず、常に学び続ける姿勢が重要であると強調しています。

Summarize any YouTube video in seconds

Get summaries like this one for any video, in your language, with the free Summ app.

Download on the Apple Store
Get it on Google Play

文字起こし

YouTube Transcript Generator

0:00 はい、こんにちは。今日は『風姿花伝』という また今までと全然ジャンルの違う物を読んでいきたいと思います ちょっと先に文学史的なことを押さえておきましょうね 『風姿花伝』とは?ということですけれども、これはジャンルでいうと 「お能」能楽論になります 成立は室町時代、中世ですね それで作者は、世阿弥という、名前は聞いたことがある人が多いかな 世阿弥という人がまとめた「お能」という芸道ですね それの真髄と言いますか そういう芸術論と言いますかね そういうものになります 非常に奥深いものですけれども 現代の私達が生きるための何かこう参考になる

0:48 ヒントになるようなことも書かれているので 今日その部分を一緒に読んでいきたいという風に思います ポイントは、この世阿弥ですね 世阿弥が著した芸術論ということになります この世阿弥という人はこの「お能」を大成した人として 文学史的には知られている人なんですけれども そのお能とは何ぞやと言いますと 見たことがある人もいてるかな あの能面をつけてゆっくりとこう舞うものですよね ちょっと後でまたご紹介しますけれども お能とは何かというと、室町時代に大成した演劇になる訳ですね 元々は、もっと古くからあって「猿楽」というもの

1:36 これは滑稽な物真似です、猿真似とかも言いますよね 物真似を中心とする芸能というね こういった芸能がずっと伝統的に行われてきていて それに歌とか舞とかそういうものを更に、技巧的なものをプラスして 一つの芸という風にしていったのが この観阿弥と世阿弥という親子になるんですね 元々この猿楽というのは、日本で行われた芸能で 御神事なんかでよく行われていた訳ですね、田植えのときの神事とか そういうもので何かこう神様に祈りを捧げると言うんでしょうか そういう意味として行なわれることが多かったんですね

2:44 神様に何か奉納する為にですね 稲が育つようにとか、雨が降りますようにとかですね そういった時に神様に何かを捧げるという意味で行なわれる それが元々の原点なんですけれども それを皆が見て楽しめる要素も多かったので 一つの芸能、演劇、パフォーマンスとしてですね 皆が楽しめるようにしていこうという風に極めた人ですね それが観阿弥と世阿弥の親子ということになる訳です 世阿弥という人は、能役者・能作家 このお能の脚本も手がけているんですね として活躍しています

3:29 室町幕府の足利将軍の後援を得ると 幕府のバックアップですね、それを得るという だから、それを得る為の戦いというのがある訳ですね そのお能みたいなことをやっている色々なグループがある訳ですよ その中でこの観阿弥・世阿弥一派というものがしっかりと この幕府のバックボーンを得なくてはいけないということだから 自分達の芸というものをしっかりと確立していかなくては、という そのライバルを意識してですね 自分達の流派というものを固めていく、認めてもらうという その為にはしっかりとしたハウツーというものが必要だということですね あるいは自分達が経験で培ってきたものを後世に伝えることによって 自分達の家の流れというものを代々永遠に、未来に渡ってですね

4:20 繋げていかなくてはいけないというそういう意識ですね そういう意識を持って世阿弥がですね 書き表わした書き残したものが『風姿花伝』ということになる訳ですね この世阿弥は『風姿花伝』以外にも 色々なこういう芸術論を残していますけれども その中には名言ですね 今の我々も知っているような名言が色々あるんですね 例えば「初心忘るべからず」とかよく言うよね こういうのもこの世阿弥が言っている言葉なんですね あるいは「秘すれば花なり」という、こういった言葉も 世阿弥のこの芸術論の中に出てくる言葉で、今の私達にも通じるし 何かこう今の企業の経営者なんかが

5:07 「自分のモットーとしています。実は世阿弥の言葉を…」 とかいうこともよくあることなんですね 今日はその『風姿花伝』の中からお能という一つの芸を極めるためには やっぱり日々のこの練習が大事ですよということですね その練習というのは、どういう風に積んでいかなくてはいけないのか どういう風に修行をしていくのかという その部分を一緒に読んでみたいと思います さあ、皆さんも色々なお稽古事を 今もしていらっしゃる、あるいは小さい時にやった また大学で色々なことを学ぶというのを「学び」ですよね その時の心得というのは、どういう風に持ったらいいんだろうかということ

5:53 世阿弥はこういうことを言っているんですね 「稽古の心得」序文にまずこういうことを書いています 「好色・博奕・大酒。三重戒、これ、古人の掟なり。」ということですね 皆さんまだ若いからこれにはまだ当てはまらないかもしれないけれども 色好みですね、それで博打・賭け事 そして酒をいっぱい飲む大酒飲みですね これはもう「三重戒」三重の戒めですね、絶対ダメと これは古人、昔の人からずっと言われている「三重戒」掟ですよと それでその後「稽古は強かれ、情識はなかれ」 という風に言っているんですね 「稽古は強かれ」というのは何となく分かるよね

6:38 一生懸命稽古しなさいよと、稽古はハードにということですね しっかり稽古しなさいよ、というのが分かるよね それでその後の「情識はなかれ」 情識を持ってはいけないよと言っていますね この「情識」とは何なんだろうね 私達は「じょうしき」というと、この「常識」 一般常識の「常識」というのが思い浮かびますよね その「常」「世間で普通に言われていること」 として認識していることという この常識とはちょっと漢字が違いますね 情け、「情」という漢字を使っています この「情識」というのは、一体何なんだろうかということ それを、また後の部分でちょっと説明しているんですね

7:26 そこをちょっと読んでみようね 「情識はなかれ」とは? 「されば、上手にだにも、上慢あらば能は下がるべし。 いはんやかなはぬ上慢をや。よくよく公案して思へ。」 「だから、上手でさえ」と、「だに」というのは「さえ」ということですね 上手な人でさえ、上慢「俺上手やわ~うまいわ~」という慢心ですよね 自慢の心、いい気になるということですよね 自慢の心を持ったら「能は下がるべし」と そのレベルは落ちてしまうよということですね 「いはんや」「まして」ということですね

8:12 「かなはぬ上慢をや」上手にかなわない、ということだよね 下手な人の、ということですね まして、下手な人が「上慢す」得意になる・慢心するなんてもってのほかだと 「よくよく公案して思へ」と このことをよくよく 「公案」というのは禅の言葉なんですけれども、ある命題ですね ある問題について深く深く考えることを公案と言いますね よくよくこの言葉を考えなさいよ、心にしておきなさいということですね よくよくこの言葉を自分の心に留めておかないといけませんよ、ですね

8:59 上手でさえ慢心があれば芸は下がるだろうと ましてや下手の慢心においては言うまでもないと よくよく次の言葉を考えよと 「「上手は下手の手本、下手は上手の手本なり」と工夫すべし。」と これもよう今言いますよね 上手な人というのは、下手な人の手本になると 一方、下手な人も、上手な人にとってはお手本になるんだよ、ということですね 上手というのは「もう俺できてるわ~」と思ってですね 下手な人を「なんや下手くそやな!」と思うのではなくて 下手な人がやっていることの中にも学ぶべきことがあるんですよ という風に言っている訳ですね 「(「上手は下手の手本、)下手は上手の手本なり」と工夫すべし。 下手の良き所を取りて、上手の物数に入るる事、

9:48 無上至極の理なり。」ですね すみません、これを消すのを忘れていました。消してくださいね 無上至極の理なり。」ですね 下手の良い所を取って、下手にやっている人の中でも何か取り所があるだろうと そこのところを盗んでですね そして自分の上手の、手数の中に入れなさい テクニックの中に取り入れなさいよ、ということですね これは「無上」この上なく「至極」極めの「理」道理・理屈なんですよと こういう風にして、下手な人がやっていることでも、何か自分が

10:35 学ぶべき所があるんじゃないかと思って 自分の芸の肥やしにしていくということですね これが至極に至るための真理なんですよ、ということですね 「無上至極」最高の境地に至るための真理なんですよと 「人の悪き所を見るだも、我が手本なり。」と 人の下手くそな所を見るのでさえ、自分の手本になるんやと

11:23 「いはんや良き所をや。」ましてや人の良い所は もうどんどん自分のお手本として学んでいかなくてはいけないと 「「稽古は強かれ、情識はなかれ」とは、これなるべし。」 という風に言う訳ですね 「稽古は強かれ、情識はなかれ」と ここに先程の言葉が繰り返されてくる訳ですね というのはこのことですよと 稽古においては慢心をしてはいけないということですね 自分がもうできていると思って 他の人が一生懸命やってはる時にちょっとね 休みとか休憩時間とか、そういう風にしてはダメですよということですね もうハードに、何事もすべてのことがお稽古だと学びだと思いなさいよと その時に情識を持ってはいけないよという、この「情」というのは

12:11 感情の「情」ですね、自分の情で判断するという 自分の感情で「ああ俺できてるわ」と「あれ下手やわ」 という風に勝手に判断してはいけませんよ、と言うんですね そういう驕りの気持ち、というのかしらね そういうのはもう絶対に持ってはいけないよと そういうのは芸の最高の境地に至るためには、マイナスになるものですよ という風に言っている訳ですね だからこの「情識」これは人間が情で判断する、こういうことでしょうかね 勝手に自己判断してはいけませんよ、という訳ですね

13:00 そういう風に視野が狭くなってしまうと 視野の狭い心で勝手に判断してしまったら なかなか最高のトップレベルには 到達できないんですよ、ということを言っている訳ですね 「なるほどな」と よく言われてることかもしれませんけれども 実はこれは世阿弥も言っていると ああいった「能」という芸を極めたような人でも大事にしている ということは非常にシンプルな原理だったりもするんですね さあ、この後もちょっとこの世阿弥のお言葉というのを読んで行きましょうね 一旦ここで切りますね

Share

YouTube動画の要約