0:00 はい、先ほどは清少納言の好きなもの達をね いいね!というもの達をたくさん見てきました 今度はあまり好きではない、好ましくないという風に思っているという 嫌なもんということですね 大体こういうことを書く時の方が筆が乗ったりもしますけれども そういうものもようさん『枕草子』の中に書いているんですね これがなかなかね 上手いなというのが多いので、幾つか見てみましょうね まず1つ目「にくきもの」もう読んで文字の如くですね 憎らしいものということですね 「いそぐ事あるをりに来て、長言するまらうど。」と 何かもう訳さなくても分かるよね 急いでいる時にやってきて、長話をする 「まらうど」お客さんということですね
0:48 「急いでいるのに、もう私すぐ出掛けなあかんのに!」とかね 「もうこれ、はよせなあかんのに!」という時に やってくるお客さんで、しかも話が長いというね その後、適当に扱っていい人やったら 「あとで」という風に言って帰すことが出来るんだけれども 立派な方がそういう時にやってきた時は もうかなわんなぁ、厄介だと 「はよ帰って、後でね」と言えない人が来た時ですね そういう人に限って話が、何かしょうもない話が ずっと長かったりする訳ですね、「もぉ~!」と思う訳ですね 次、「ねぶたしと思ひて臥したるに、 蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。」と これも皆分かるよね、夏
1:35 寝ている時にブ~ンっと、音がする訳ですね 眠たいと思って、横になっていたら蚊がですね 細い声でわびしげに「名のる」 何か蚊を擬人化しているところも面白いですね 蚊が細い声でわびしい感じで名乗っていると 存在をですね、アピールするということですね そして顔の辺りで 顔の辺り、来るよね? 「飛びありく」飛び回ると 「もうかなわん、嫌やわぁ」と それでその後が面白い 「羽風までも蚊の身体相応にあるのが、ひどく憎らしい。」 と書いてあるのね その羽の風ですね、風までも 蚊は小さいんだけれども 「その身体相応に風まで起こしよって!」とね
2:21 「もう憎たらしいわ!」という風に書いているんですね 「また、物語するに、さし出でして、われ一人さいまくる者。」 これ分かるよね また、皆でおしゃべりしていた時ですね おしゃべりしている時にさし出てくる人 我も我もと、私が私がと出てくる人いてますよね そして、自分一人がしゃべりまくる人ということですね そういう人は嫌だなぁ、ですね 「さいまくる」はしゃべりまくるとか 話の先だね、「さき」というのは「先」「先い」ですね だから、話の先をどんどん言うてしまうと こういう人は嫌だなぁと
3:08 ちょっと自分がね、オチを言おうと思っているのに 先に言われてまうのは、もう一番嫌ですよね そういう感覚でもありますよね 「すべてさし出では、童も大人もいとにくし。」と さし出た振る舞いというのは それが小さい子供でも大人でも 大人はもちろん、小さい子供でもだよね 「いとにくし」「とっても嫌!」という風に言っている訳ですね 他にも色々あるんやけど、その後、こんなん書いてありますね ちょっと遊びに来た子供をかわいがって 面白がるような物を与えているうちにと たまたまちょびっとね、やってきた子供にですね かわいいわねと思って最初はちょっとね やっていたらかわいいなと思って こんなんで遊んだらどう?みたいなね おもちゃを与えたと、そうするとだんだんその子がですね 慣れてきていつもやってくる、ほんでまた片付けないのよね
3:57 そして散らかしていくというのはすごく癪にさわると さっきね、子供がハイハイして、というのを かわいいわぁと書いていたけれども 子供がとても好きと 子供は無条件で好きという訳ではないんですね 子供でもですね、さし出るとか そして私のテリトリーにずんずん入ってくるような子供ですよね 遠慮なく、子供だからといって許されると思うなよ的なですね そういうような感じがありますね 散らかしていくのは、もうすごく癪にさわるという風に書いていますね そして2つ目、似つかわしくないもの 「にげなきもの」というのは似つかわしくないということだね 似つかわしくない その人にぴったりふさわしくないもの
4:42 下衆の家に雪が降っている、月がさし込んでいるのも もったいない感じと 「歯もなき女の梅食ひて酸がりたる。」 これは何か分かるよね、絵が浮かびますよね 「下衆の、紅の袴着たる。」 最近は、こんなのばっかりだわ もうかなわんわという風に言っているのね ここへ下衆という言葉が出てきますね 下衆ってあの最近 音楽のグループのバンドの名前にありましたね ゲスの何とかの何とかってありましたね あれで皆さんたぶん耳慣れていらっしゃる 耳慣れている言葉かなという風に思いますけれども 「下衆」は下と書いて、下のやからと書いている訳ですね 「衆」は大衆ですね 身分が下のやから、身分が低い人ということですね
5:30 それをいう言葉になります 身分が低い人の家に雪が降っている いいじゃん、雪降るよね? 誰の家でも屋根があったら、雪は降ってくると思うんやけれども 雪が降っていると、それはふさわしくない 下衆の家に雪なんか降るなという感じなんですね 月がさし込んでいるのも、もったいないと 月の光が、しょうがないよね だけれども、それももったいないと 下衆の家なんかに月の光がさし込むなんて、もったいないわ 「歯もなき女の梅食ひて酸がりたる。」 すっぱい梅をですね 歯がない女が、口元がしわしわな女が
6:16 さらに梅を食べてですねシューっとなっているという それももうそんなん食べんでも、という感じですね なんか面白いね そして「下衆の、紅の袴着たる。」と 身分の低い女がということですね 紅の袴を着ていると、付けているということですね 紅の袴は身分の低い者が付けるものではないという そういうことですね お前なんかが着るなと、そういう風に言っている訳ですね 最近はこんなのばっかりだわぁと言っています こうすると何か清少納言って すごい差別しているなという風に思われるかもしれないけれども それはちょっと 今の感覚で考えるとそういう風になってしまいますけれども 平安時代というのは基本的に貴族社会ですよね
7:01 『源氏物語』の世界も貴族の世界ですよね だから貴族社会なんですね 平安というのは基本的には貴族文化の社会ですから 貴族社会な訳です、貴族が中心なんですよね だから貴族でない人 それが下衆になるという風に考えてもらったらいいと思います 貴族か貴族でないかという、そういうことなんですよね 貴族である宮中にいてる人にとっては 人間というのは貴族か貴族でないかという そういう区別をしているということです だから別にそんなに差別的な発言でもなくて
7:47 当時の常識的にはそういう見方をしていたということですね 身分が低い人の家に雪が降っているとか 下衆が紅の袴を着ているというのは 本来なら貴族が付けるものを そういう人が着付けるなんて合っていないわと 己の身分にふさわしくないわよ 似つかわしくないわよ、という風に言っている訳ですね その下衆への攻撃というのは この『枕草子』の中で結構何カ所かあるんですけれども 例えばこんなものもあります 「若くよろしき男の、下衆女の名呼びなれて言ひたるこそ、にくけれ。」 若くて、「よろしき」感じがいい、悪くない男ということですね
8:38 何かちょっといい感じと思っている男の人が 「下衆女の名」貴族ではない女の名前を 「呼びなれて」馴れ馴れしく言っていると 「何々ちゃ~ん」みたいに言う訳ですね それは「にくけれ」と 嫌気がさすという風に言っている、嫌だわぁというね 知ってても、その女の名前を知っていたとしても 半分ぼかして言った方がいいという風に言っている訳ですね これは何を言っているんだろうかということですよね その後、こういう風に続きます 「よろしき男を、下衆女などのほめて、 「いみじうなつかしうおはします」など言へば、 やがて思ひおとされぬべし。」と さっきの悪くない男ですね
9:25 悪くない男の子、ちょっといい感じねと思っている男のことを 下衆女が褒めると それで「いみじうなつかしうおはします」と とても「なつかし」というのは 今だと懐かしい故郷とかね 何か昔を振り返って懐かしいなという感じで訳しますけれども 基本的には心が惹かれる そっちの方に心が行っちゃうというのが 「なつかし」の元々の本来の意味なんですね だから、下衆女なんかがそういうちょっといい男のことを 「ああ、このお方に私心惹かれるわ、素敵だわ!」 なんていう風に言ったら 「やがて思ひおとす」 「おとす」というのは、下になるということですね
10:10 すぐにその男をですね、人は下に見る これは軽蔑するということですね 皆はその男のこと ちょっといい男だったとしても 下衆女に褒められる男ということで 皆がその人のことを軽蔑するようになるに違いないというね つまり下衆の好みに合う男になってしまう訳ですね それは情けないと 下衆の好みという 下衆の好みのレベルに合う男に成り下がってしまうということですよね だからそれはちょっと良くないなと
10:57 むしろですね 褒められるよりも悪口を言われる方がいいと 下衆に褒められるのは女でも あまり良くないことですよという風に言っているんですね むしろですね、褒められるより悪口を言われるということは そのいいという男の価値というものを 下衆というものは理解することができないだろうと いいものの価値が下衆に分かるのかという そういうニュアンスなんですよね
11:42 下衆には、本当の男の価値なんかは分からないだろうから むしろ、分からないと悪口を言われている方がむしろいいんだと 貴族にしかね、分からない男の価値というものがあるんだからと 下衆に理解されない、その方がいいという風に言っているね そういう風に下衆に褒められるのは 男でも女でもあまり良くないことですよという風に言っているんですね こういうのを読むとなんか 「清少納言って、何かちょっとね~」 と思われる方もいるかもしれないけれども これは物事の本質的には何なのかということを ちょっと考えてあげないと清少納言に対してですね 皆が悪いイメージを持ってしまったらいけないと思うんだけれども これはね、つまり何が基準になっているかということですね
12:28 いいもんと悪いもんの判断基準になっているのは何なのか 一つは、急いでいるというタイミングに タイミングに合わない人が来るという 「これちょっと嫌だわ!」ということですね 眠たい時にそのタイミングに合わない 蚊がブ~ンっとやってくると嫌だわと 一つはタイミングですね、ふさわしいタイミング 物事にはふさわしいタイミングがあると そのタイミングを外す人ですね それはマイナスになってくる訳ですね
13:14 私が言いたいと思っている時に先に言うてしまうとか そういうタイミングを先に取ってしまう人ですね 物事にはそういうふさわしい この話をこうやってやろうと思っている こういう時にバンって言ったらおもろいやろ、うけるやろなと思っている そういうふさわしいタイミングがあるのに それを先取りしてしまうという そういうタイミングを外してしまう人ですね それを外すとマイナスになってしまうと 同じように、人間にもタイミングではないけれども 「程」というものがある訳ですよね 人のことで言うとそれは
14:06 人間の分際と 分際という言葉が何かの本のタイトルになったことがありましたけれども 簡単に言うたら身の程ということですね 人間には、その人、その人にふさわしい 身の程というものがあるでしょうということですね その身の程を外すと 超える、逸脱するような行為は許せないという風に思う訳ですね 下衆には下衆にふさわしい身の程というものがあるでしょうと ということでね 貴族には貴族の身の程があると その身の程、自分の、己の程というね 己の身の程というものを超えるなよということを すごく、それを超えてしまうということを すごく清少納言は嫌がったのかなという風に思いますね 何ごとにもそれにふさわしい程というものがあるでしょうと
14:56 そういうことを、たぶんね、たぶん 清少納言は判断基準にしているのではないかな という風に思うんですよね それでですね そういう風に身の程というものを感じるというね 意識するというのはなぜかということだけれども 清少納言自身がですね いわゆる高貴なお生まれではなくて 学者の娘、中流階級の娘ですから宮中に出て行ってですね もっと高貴な身の程の人々もいる中にいてる訳ですよね だから己の分際というね 身の程をわきまえて生きていかないと 宮中ではなかなかやっていけないところもあったでしょう そういう風に、いつも身の程というものを
15:41 もしかしたら感じていたのかもしれないし もう一つはこの後に申し上げる ちょっと身の程を超えた行為によって 私の大好きな中宮定子様が悲しい目に遭うということもあるんですね そういうことで何かとその程というものですね 適当なタイミングとか位とか そういうものを意識するということが もしかしたら清少納言自身が多かったのかもしれないな という風にも考えられるんですね もうちょっと続きを読んでみましょう いたたまれない感じのこと 「にくげなるちごを、おのが心地のかなしきままに、 うつくしみ、かなしがり、 これが声のままに、言ひたる事など語りたる。」と
16:26 「にくげなるちご」子供だよね ここも子供の話をしているんですけれども かわいい子供じゃないね 「にくげなる」もうかわいげのない子供ということですね 子供は、無条件に何でもかわいい訳ではないですね かわいげな~いと 全然あんまりかわいいないなっちゅう子供を 「おのが心地のかなしきままに」自分のというね 自分の気持ちは「かなしい」という 古語の「かなしい」というのは愛しい だから、自分は愛しいと思える、これは親がということですね 子供のことを愛しいと思っている親が、ですね 親が、自分の気持ちではその子供のことをとてもかわいいので
17:13 かわいがって、愛しがってということですね 「うつくしみ、かなしがり」そして子供の声真似をすると 「私の何々ちゃんがね、何々でちゅって言ったの~」みたいなね そういう声真似をしてですね 声のままに言ったことなどを語ると 子供の言ったままにということですね 子供の声真似をしてですね 子供が語ったままで、「何々でちゅ」とかね 「何々できまちたって、あたしの何々ちゃんが言ったのよ」みたいに 言うてくる、というね いわゆる親ばかっちゅうやつですね そういうのはちょっといたたまれない 聞いていられないわという風に思う訳ですね その時に「ああ、ほんまにかわいいわね~!」と
18:02 なかなか一緒に賛同してですね 心の底から言えないという心がある訳ですね 何となく分かるようなところもありますね、というようなこと これもやっぱり、かわいげがないんですよ 他人の目から客観的に見るとね そういう目というものを失ってしまう、見失ってしまうというね そういうことに対するズレですよね、ズレに対して ちょっと嫌だわ、いたたまれないわと思ってしまう訳ですね 特に上手いとも思えない自分の歌が、人に褒められた話をするのも 聞いていられないと 自分でですね、あんまり上手いことでけへんなぁと思っている 私の和歌が人から褒められると
18:48 その和歌のレベルに合わないですね それ以上の評価を得てしまうという、このギャップですよね このギャップというのがやっぱり居心地が悪い訳ですね それもやっぱりいたたまれないわと 聞いていられないわという風に言う訳ですね そして、きまりが悪いもの 「はしたない」というのはきまりが悪いという古語なんですね 「あはれなる事など、人の言ひ出でうち泣きなどするに、 げにあはれなりなど聞きながら、 涙のつと出で来ぬ、いとはしたなし。」と もう胸にジ~ンとする感動ストーリーですね それを人が言って 話しながらその人はもう感動で涙もワ~ッと泣いている訳ですよ 涙を流していると その話を聞いていて「ああ、ほんまにジ~ンとするわ!」
19:34 という風に思いながら聞いているんですよね 私もジ~ンとしているのよ、だけれども涙が出てこないと 同じように涙が一緒に流せたらいいのに タイミング悪くですね そのタイミングで、涙が出てほしいタイミングで 出てこないということだよね 「いとはしたない」きまりが悪いと 泣き顔を作って悲しそうな顔をしてみるけれども全然意味がないと 素晴らしいことを見たり聞いたりした時には 涙がやたらと出てくるのに、という感じなんですね なんか分かるよね 清少納言はどっちかというと嬉しい時に 感動の涙を流す方の人やったみたいですね 悲しいという、そういう共感の涙よりも 感動の涙の方がよく出てくる人みたいでしたね
20:20 出てほしいタイミングに出ないという これはやっぱりタイミングのズレですね ふさわしいタイミングとの、このズレという そのズレに対して鋭く清少納言は切り込んで書いている訳ですね 見た目は特別でもないのに、文字にすると大げさなもの こういうものもあるんですね 「覆盆子」甘くておいしいいちごですね 漢字で書いたら、こんなに仰々しくなるのね 「鴨跖草(つゆくさ)」「水茨(みずふぶき)」「蜘蛛(くも)」 「胡桃(くるみ)」「文章博士(もんじょうはかせ)」というね 見た目はたいしたことない、特別でもないものなのに 文字にすると、えらい何か仰々しくなってしまうと これも見た目とその漢字とのアンバランスだね 不一致ですよね、合っていない訳ですね そういう違和感というもの
21:07 合っていないな、という感覚というものを キャッチするというのが、清少納言は非常に上手だったんですね そしてそれを色々書き付けているということですね さあ、最後はちょっと話がまた変わりますけれども こんなことも書いています 「男って分からないわ」と書いているね これも皆の共感を得るところではないでしょうか 「男こそ、なほいとありがたくあやしき心地したるものはあれ。 いと清げなる人を捨てて、にくげなる人を持たるもあやしかし。」 男「こそ」と強めている訳ですね やっぱりということですね 「いとありがたし」と
21:53 やっぱり、「いと」は very だよね それに強意もしているから、強く思っている訳ね 「男って」と心から、心底、清少納言は思っていることです どない思っているか 「ありがたく」は漢字で書くとこうなりますよね 「有り難い」有るということが難しい 存在することが難しい、というのが言葉の原義 元々の意味ですよね そんなことがある、ということがありえない ということにもなる訳ですね だから、滅多にない、滅多にないぐらい 「あやし」というのは不思議な気持ち、心を持っていると
22:46 男ってもうあんまりないぐらい、ありえないぐらいに 不思議な気持ちを持っている生き物ね という風に言っている訳ですね もう私の理解の及ばないような もう不思議、不思議な存在だわ 「男って分からないわ!」という風にね 心底、清少納言は思っている訳ですね 「いと清げなる人を捨てて」とても美しい女の人を捨てて 「にくげなる人を持たる」と そういうのは不思議、分からないわと 何でこの美人を捨てて こんな「にくげなる人」 そんなに何か美人でもないし、気立てがいい訳でもない 「何でこんな人と一緒になってんの?」という
23:33 カップルたまにいますよね 大きい声では、授業では言えませんけれども 何であの俳優さんとこの人がくっつくのという 組み合わせたまにありますよね、そういうことですね 女の目から見ても「わろし」と思う女を愛するのは どうしてなんだろうという風に言っていますね これもやっぱりその男に合う女というのがいてると 清少納言は思っている訳ですね それからちょっと外れる訳ですね そこがもう大いなるクエスチョンだという風に 分からないわという風に清少納言は書いているんですよね 「男って分からない」というのは もう1000年前から言うてはることですから やっぱり分からない生き物なんでしょうね
24:19 ということも思ったりもいたします さあ、こういう風にですね こういうことを書いている時というのは 清少納言の筆が非常に冴えていて 今日紹介したのはごくごく一部分ですから本当にパラパラッとね 原文で分かるものもあるよね 梅干しのお話とか原文で読んで面白いというのもあるし ちょっと分かりにくいのは、今日ご紹介するような現代語訳でね 皆さん、ちょっとリモートに疲れた時なんかに見ていただくと へへへっと笑えるのではないかという風に思いますね さあ、こういう面白い部分ばかりではなくて そういう面白いのを書いた清少納言の背景にはいったい
25:05 何があったのかということをもう一歩ね 深掘りして考えてみたいと思います その背景にはとても辛い過酷な現実というものも あったということは やっぱりね、踏まえておいてあげないと 清少納言のこの『枕草子』というのを ちゃんと理解することが出来ないという風に思うんですね それはお仕えした、もう清少納言が大大大好きな定子様 この人は本当に悲しい、若いのに苦労をしている人なんですね 定子様は14歳の時に一条天皇の元に入内して中宮になります 一条天皇と中宮定子はすごいラブラブ 一条天皇はとても大好き、定子ラブラブで 大好きでラブラブだったんですけれども
25:52 5年後よ、5年後にお父様が亡くなるんですね だから前もやりましたように 女の人の実家のバックボーンというのがなくなる訳ですね これは非常に大きな痛手だった訳です お父さんが亡くなった後、翌年お兄さんと弟がいるんだけれども そのお兄さんと弟が左遷されてしまうということですね いわゆるその中宮定子の後ろ盾になるべき お父さんの後、後ろ楯になるべき兄弟達も左遷されてしまって この道隆一族というものがですね もう日陰の存在になってしまうというね それで、定子様は出家します その時に、道長、藤原道長が左大臣になるんですね
26:43 ここでちょっとこれを見ておきましょう 定子様がいるよね、清少納言が大好きな定子様がいます お仕えしていますよね その定子様のお父さんが道隆 それで、兄弟がいてる訳ですよね 道隆が亡くなった後に、この兄弟が支えればいいんだけれども そうすると、この定子の勢力はずっと永続しますよね それを良く思わなかったのが この道隆の兄弟、弟分に当たる道長なんですね
27:40 道長がいてる訳ですね この道長が実は彰子様のお父さんに当たるんですね 自分の娘ですね 彰子という娘がいるんだけれども その彰子を同じくこの一条天皇のところに入内させるんですね そして権力を得ていきます 権力を得るために兄ちゃん、そしてその息子達は 言うてみればこれは邪魔なんですね この定子さんのこの一族というのが 天皇と結び付いているからね だから左遷させた訳です
28:25 道長が手を回してですね、この人達を失脚させた訳ですね そして自分の娘を天皇の所に入れてですね、自分が権力を得ていくと この世は満月のように欠けたとこはないみたいな歌を詠んでいますよね 道長というのは、そういう風にして栄華というものをゲット 得ていく訳ですね そしてこの道長、彰子に仕えたのが 紫式部、『源氏物語』のね 前回やりました紫式部な訳ですね ですから、ここは本当にライバル そういう意味でもライバルなんですよね 同じ天皇に仕える定子と彰子 それぞれにお仕えしているということで そういう意味でも、宮中の対立構造というのがある訳です
29:14 それで定子様はそういう風にして、お父さんは亡くなった お兄さん達は左遷させられたということで 後ろ盾が全然なくなってしまったので出家しますね それに対して一方の道長一族というのは どんどん栄華を極めて上り詰めていく訳です 道長が左大臣になり そして定子の御実家も火事でなくなってしまうんですね そしてそのことがショックでお母さんも亡くなってしまいます だから、この19、20のこの定子様はもう辛すぎますね その悲しみの中、一条天皇との間に第一皇女を出産します その後ですね、21歳の時 定子様は「職の御曹司」というところに移ります
30:01 これはちょっと聞き慣れない言葉ですね 「職の御曹司」というのは これは「職」というのは中宮職ということで 中宮のお世話をする人ですね 中宮様のお世話をするポジションにいる お役人の人の家ということです そういうところに移ります だから、これは非常に高貴なお方のところに 大豪邸に移るという訳ではないんですね 身分の低い、中宮様よりは身分が低い人ですね
30:47 そういう人の家に移るということだから もうこれは、とても辛い悲しいことなんですね それで、23歳の時に内裏が焼けて 道長の娘、ここで彰子様が入内してくる訳ですね 定子もいてるのに無理くりです、彰子も入内させると 二人の正妻というものを持つことになる訳ですね そのために、中宮は定子様一人ですから 中宮定子のままやったら彰子が中宮になれませんから 定子は皇后という、肩書上は上がる訳ですけれども これは彰子を中宮にさせるためですね 道長が、無理くり自分の娘を入れた訳です 24歳、定子は2人目の娘を産みます
31:33 だから、一条天皇はずっと愛し続けているんですね だけれども、お産みになった後 定子様はお亡くなりになってしまうという 非常になんだか、もう急激にこう落ちていく訳ですよね もう悲しすぎる訳です そういう定子様に清少納言はずっとお仕えしている この人のこういったことを、ずっとそばで見ている訳ですよね 悲しみも本当に、大好きな定子様ですから どれだけ清少納言は悲しかったか もう想像に余りありますよね だけれども、そういう悲しさというものは 『枕草子』を読んでもあまり感じさせない 楽しい、むしろ楽しいこと、楽しいことで
32:19 皆が読んでアハハっと笑えるようなことを書いているという それはやっぱりね、書ける人だから書こうと思ったら 辛いこともどんだけ書けたかと思うんですよね それを書かない 書くこと、書いていることだけを見るのではなくて やっぱり書いていないことに思いを馳せるというのも 一つの作品の読み方だと思うんですよね 何を書いていて、何を書いていないのか、という視点ですよね そういう風に思った時に やっぱりこの『枕草子』の深さというものが 出てくるんだろうなという風に思いますね そういう辛い現実にはあまり触れずに 楽しかった思い出 定子様がとても素敵だったということをたくさん書こう という風にしている、そういう姿勢ですよね
33:07 やっぱりそういうところの強さというか、姿勢というか それは性格的なものによるのかもしれないし 意識的にそういう風に心を向けていったのかもしれないし それはもう清少納言でないと分からないところですけれども そういう背景もあるんだということを思いながら 読んでいただけるといいのではないかなという風に思います 今日は『枕草子』を見てきました 『枕草子』は「春はあけぼの」だけではないんだよということを ちょっとは感じていただけましたでしょうか 四季の素晴らしさというのはもちろん 清少納言は色々書いていますけれども そういうことだけではない 色々な人の心の中ですね、内面というものを こういう風に語っている作品であるということですね
33:55 その切り口の鋭さ そして、今の人でも共感できるような視点ですよね そして、それを言葉にしていくという そういう作業をすることによって もしかしたら清少納言自身が 慰められたところもあるのかもしれませんね 書くことによって そういう辛い現実というものを乗り越えていったというところが もしかしたら あるのかもしれないなというようなことも思ったりもいたします さあ最後、読書ガイドですね いつものように『ビギナーズ・クラシックス』でも出ています 『枕草子』は見ましたように ちょっと単語として 知らない単語で分からないところもあるけれども 分かるところもあるから 古文のままでも分かるところもありますから
34:42 そういうところをちょっと拾い読みするという 読み方もいいかもしれませんね あと、しっかりと宮中の行事とか そういうことについて注が付いているのは 『新編全集』かなという風に思います もちろん他にもたくさんね 現代語訳やら注釈というのは出ていますから またいつも言うてますように、自分の相性の良いものを選んで 読んでくださったらと思います 作家が手がけたものもたくさんありますが 有名なものとしては 橋本治さんの『桃尻語訳 枕草子』 これを読んだ時の衝撃は忘れられませんね 春はあけぼのというのを 「春って曙よ!」という風に訳しているというね 女子語というのかしら、女子言葉で訳しているという
35:32 もう古典の現代語訳の中では 非常にセンセーショナルな訳の1冊です 宮中の伝統的なお着物がどうとかね 仏教の講釈というのはこうとかね そういうようなことも、詳しく解説がされていますから そういうことも知りたいという人は一度ね 手に取ってみられるのもいいかもしれません 最近では、酒井順子さんが色々手がけておられますよね『枕草子』 酒井順子さんは『枕草子』だけではなくて 紫式部のことなんかも書いておられますけれども 女性のエッセイストが エッセイを訳すとどうなるのかということですね そういう意味では、面白い訳になっていると思います
36:19 後は、これは文学研究者です 山本淳子さんの 『枕草子のたくらみ「春はあけぼの」に秘められた想い』という そういう研究者の『枕草子』の背景の本 だからちょっと作家とは違いますよねこれね 後は、田辺聖子さんの『むかし・あけぼの』 これも小説で読めて、面白いですよ、いいですよ などなどと、たくさんありますから またちょっと興味を持たれた方は 読んでみていただけたらいいのではないかなという風に思います それでは、今日はここまでにしたいと思います お疲れ様でした