0:00 [音楽] 今実は死んで天国みたいなとこに行ったんじゃないかっていうぐらいもう感じたことない爽会感を感じたんですよ。 今まで経験したことはないので いやもしかして死んじゃったのかなと思ったんですよ。 本当にある朝で、しかもその 4を抜くともう3時半とか4 時とかですね。やったら早く目覚めるようになっ、ま、それで今クリニック朝 7時からやってんですけども、 父親の採決の数字を見ると成長範囲入ってるんです。もうたっ 4ヶ月ですよ。4 ヶ月何をやったって普通に 4°抜いて2 号半ご飯を食べるって結構大変なんです。 83 ですからね。歌詞状態になっちゃった組織が何週間かけて徐々に戻していくてことはもありますけど。
0:47 もう30 年インスリン出してなかった水の機能が戻るなんてありえない話なんですよね。だからもうこれから何が起きるか楽しみでしょうがないというかですね。 [音楽] 日本の病を直すよの俊明です。今回は北口内科クリニック石で内そしてえ銀座エルディアクリニックでも非常金で働いていただいております先生に来ていただいております。船先生よろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。 ま、船先生はあのエルディアでも本当にいろんな治療をもう先生はオールラウンダーなので本当にありとあらゆる疾を見ていただいてますけども、ま、 4 族抜きに関しても非常にいろんな知験を持ってるようなので今回は身内ですけども来てお話をしていただくことになりました。よろしくお願いします。
1:34 ありがとうございます。 まずあのこのチャンネルではですね、つも定義と歴史というお話をしてるんですけども うん。 く先生の定義と歴史ということで、まずなぜこの石という道を選んだのかとその辺からちょっと聞いてみたいと思うんですけども。 いや、ま、よく聞かれますけれども うん。 そもそも私は意思っていう職業に興味持ったきっかけがやっぱり、ま、母親からですね、聞かされていたことで、 私あの歌詞状態で生まれてるんですよね。 は。もう多分ダなんかなんとかま、その当時の参加の先生が頑張ってくださって、 ま、なんとか命取り止めてで、多分 今思えばですよ、私が思うに
2:20 何らかの障害を持って生まれてくるだろうっていうことを予測してたと思うんですよね。 [音楽] はい。 ですけど、ま、栽培することもなく、あの、ま、なんとかうん。 生きて生まれてこられたんですけれども はい。 本当に覚えている限り幼稚園の年少組ぐらいまで うん。 多分幼稚園に通ったスよりも休んだの方が多かったぐらいもしょっちゅ風を引き あのま、今で言うま期生ってあの自価中毒ですね。それを繰り返して うん。 もう家の天井を見ながら幼稚園が近くだったのでそっから聞こえてくる友達の声を聞いて家で寝てる方が多かったんですよね。 なるほど。 で、まあ、小学生ぐらいになったら、まあ、なんとか元気になっていきましたけど、今度はいわゆるアレルギー性美炎ですか?あの、当時、ま、母親も何の病気だかよくわからないままに、もうすごく怖い先生、あの、ジカの先生のところにですね。
3:17 うん。 通わされて、ま、小学 3年生の時なんですけども、 半年ぐらい経った時に 結局鼻の中になんかこう、あの、ネバネバしたもの塗られて、あの、ネブライザーっていう うん。あれ、こうされるのを 1 週間に一ぺんやったからって言ってこれ何になるんだろうなって思い始めたんですけれども、ま、親が行けって言うからずっと通ってたんですけども全然良くならないんですよ。 僕も全く同じですよ。 そうなんですよ。あの、僕週 4ぐらい言ってましたよ。 あの、やっぱお金かかるので多分医療費はただあだったんですけど、薬て何十円か払ってたと思うんですよね。ま、後にその結局薬もらわないでオケに入れるようになったんですけど。 えっと、ただそこの名前言えないんですけれども、実はその後にもう本当に不思議なことなんですけど、それから
4:07 うん。50 年近く経ってですね、そこのジカの委長先生の娘さんに うん。 会うことになったんですよ。私が意思として。うん。 それがこちらのエルディアクリニックさんでの出本当にそうなんですよ。 その先生のところにはあのものすごい患者さんがいらしてとにかく混んでるんですけど僕がものすごくそこに通うのを嬉しく思ったのはとにかく漫画がたくさんあること 昔の病ありました。 ありました。その中にですねジャックっていうあの手塚お先生の漫画が全巻揃ってたんです。 それを夢中になって読んでそのうち治療を受けないでこれ別に診察権出さなくてもも全然バレないやってことに気づいて前読んだんですよ。もう知らない間になんとなく美炎の症もなくなってしまって通わなくなったんですけどそのブラックジャックのことがずっと頭にもうへりついていてその自の医者にはなろうと思ったことはないですけどもやっぱりその外界ですよね。
5:06 意の中でもていう仕事をやっぱり憧れたんですよね。で、中学に進んだ時に、ま、私元々とにかく鉄道が好きですね、もう小学生の頃はもうちょうど路沿いの、ま、マンションに住んでいて学校も線路の脇の学校だったんですよ。うん。うん。 でもずっと授業地もその行き列車を見ながら授業を受けてたんですけれども、中 1 の夏休みから、ま、夜行列車を使っても中学高校の休みは全部旅行に行ったんですよ。鉄道旅行にですね。 ま、もちろんお金にあの、そんな余裕はないので、座席者に寝たり、ま、駅に止めてもらったり、ま、宿したこともありますけれども、その中でですね、ローカル戦、本州と北海道の国鉄路線に私前線乗ってるんですけれども、
5:55 朝のローカル戦って 通学する高校生と病院に向かう人たちしか乗ってないっていうぐらいで結構混んでたんですよ、当時は。 秋田県と青森県を結ぶあの五線っていうローカル線があったんですけれども、ちょうど朝 1番2 番ぐらいの列車に乗ってる時なんですが、ま、地獄表見てたらここで青森から秋田に変わるんだなっていうところをちょうど通ってる時に たまたま前に座っていた全然物を言わないでぼっとして半分寝てんのかなと思った年がはっきりわかんないけど、ま、小学生から中学生ぐらいの女の子とおばあちゃんが一緒にいてそのおばあちゃんと何かの きっかけて話すことになったんですけれども、その中でおばあちゃんは実はこの子を連れて病院に行くんだと
6:42 いうことはあれですか?青森から秋田の病院まで行かなきゃだめなんですかとも病院がないからって言ってでちょっと難しい病気でっていう、ま、農性麻痺だったんですよね。 ずっと通ってるんですかって言ったら ずっとだんですよ。本当に田舎ですよ。 無人駅がずっと並んで行って何時間かけて通ってるわけですよね。 この生まれてからずっと続けてきてたんだなっていうことを見てですね、もうそのおばちゃんたちが降りていくの見送った後 うん。 本気であの医者になって うん。 私はもう本当か田舎に住んで、ま、そこで好きな生活していこうっていう希望を持ってましたんで、当時あった言葉でも壁医療も人がいないところでむしろそこに腰落ちて 働きたいなと思って全国回ってこう
7:28 1 番スキンだったのが私生まれたのも北海道なんですけれどもやっぱり 1番こう やっぱりもさらに北の旭川イカ大学っていうところに進学することができたんです。ま、そのまま北海道でも東北でも、ま、田舎の方で、ま、医療の仕事に十字したいなっていうところの希望がようやく叶ったことになりますね。 うん。 で、ま、大学入って卒業する時がありますよね。 先生とか僕たちの頃っていうのは大学卒業すると研修位ってのがあってそれで普通は当時は 例えばジカならジカだとか政形外科なら政科画とこに組み込まれてしまって
8:14 ま、いわゆるストレート研修っていうですね。はい。 ですね。で、それでもう他の世界を知らないとでそこの世界だけで生きていって大体何年かすると地方に飛ばされてで、行って帰ってきて大学に残れる人は残るけどそうじゃない人は開業しなさいと そうですね。 っていうパターンだったわけですよね。ですから、ま、その後宇先生の頃かな、僕う先生僕の共済ぐらいしたから、あの頃になったらちょっと変わってね、あ、人権問題だってね、勝手に職業を決めていいのかとかね、それからあそこに行ってこいとかっていうのがいけないんだっていう風に変わったわけですけど、それより前は高校の部活みたいにも入ってしまったらもう、もうその世界で ほぼ部活ですよ。そう、部の先輩に誘われたから 内だけで3 つに分れてましたから先生によっては肝臓しか見てない。
9:01 ようなコースに入る選手もいらっしゃいましたね。 で、そこでどういう大学卒選択をしたんですか? 私はですね、 やっぱりもう根っこにあるのは、ま、他にそんなに先生がいない、ま、簡単に言ったら自分が 1 人でも働けるようにっていうこと考えれば、ま、一通りのことを意思としてできるようにならなきゃならないっていう思いがあってですね。 当時は大学に残ってもそれも他の大学でも同じですけれども内科も研修し外月外科も研修しってことはほとんどできなかったでしょ。で できなかったのであこにいてもしょうがないなと思ってかと言ってなる本州な有名な病院ありますよね。ま、西化国際病院とか三記念病院とかそういうところはあの試験があるんですよね。 で、私その試験に受かる自信もなかったので、で、やっぱり北海道で、ま、好きな場所で暮らしたいなっていう思いがあったので、北海道内のやっぱり民間病院で、ま、救急から各の研修ができるってところが何件かあったんですよね。その
10:01 1 件に入れてくださいっていうお願いをしていいよって言ってもらえたのがきっかけな。うん。 今は研修しなきゃだめじゃないですか。 はい。 あの、いきなり就職って普通は今でき確かできないです。 それこそう先生がその最後の時だったらしくて確か経由病院かなんかのに入ったつったけどもそんなことする人はう先生しかいなかったって言ってました。 僕の学年で 3人でしたね。あの100人いて3人うん ですよね。だからその当時ですら非常に珍しいことですよね。 ま、ただ私の場合その国家試験にの必ず受かって免許をもらってきてこの病院でこの春からお世話になりますって言ったんですけども、ちょっとあの国家試験に落ちてですね、落ちたはいいんですけど今度も食べていかなきゃならないので延どうやって稼ごうかなっていうことを考えて、ま、朝起きるのは別じゃなかったので早く起きてさっさと昼ぐらいまでに終わって後を勉強しようと国家試験の合格発表見に行ったその帰り道あの北海道
11:00 アルバイト情報っていうのを買ってきてですね、もうそれでずっともう探して何件も受けたんですよ。 そしたらですね、あの余計なこと言う人たちだなと思ったんですけども、あなたはそんな働くよりもちゃんと勉強した方がいいんじゃないですかみたいな。そう、そう、ま、言いますよね。 いや、あの、断るなら断ってくればいいの。そんな余計なことを言うなよってこんな感じなんですけども。そしたらですね、一見やもう明日からでも働けるかみたいなノりの、ま、今考えばそこのナンバー 2の部長さんだったと思うんですけど。 も来てくれっていうのをことでですね、雇ってもらったところが、 ま、花のおろし売り市場だったんですよ。 うん。 で、花って私例えば運送会社のこう仕訳なんか夜中やってるけどもあとしんどそうじゃないですか?重いしでちょっと腰あんまり強くなかったんで鼻だったら軽いし大丈夫かなと思って言ったらこれが間違いだったんですよ。
11:51 あの菊の花なんて 30km ぐらいの箱に詰まってくるんですよね。 ええ、で、それをもうくつも積んだその車っていうこういう向こうが見えないのに運べって言われるんですよね。で、ま、セリが終わったらもう昼で終わりっていう約束で入ったんですけども、人足りないから配送もやってくれなみたいな感じでどんどんどんどん終わりが長くなっていってですね。当時私アルバイトけて 30万ぐらい稼たんですよ。 うん。 いや、それ今の金額で言ったらすごい金額ですよね。 でもそんなに失われた30 年で変わってないと思うんですけども。ですけどそこで本当に働く楽しみって言うんですかね。 うん。 家帰ったらもうクタクタなんて勉強なんかできなかったんですよ。結局もう本と最終的には社長さんがうちに入んないかお前。あのよく働くってま、評判いいからって言ってだからもうよく考えといてくれてもう毎回リクルートに来ていただいていやちょっとそういうわけに行かないちょっと事情がありましてってこと言ったバイトなのに夏のボーナスもくれてですね給も
12:47 150 円上げてくれたんですよね。それでもダメかみたいな。 私もうちょっと勉強しなきゃならないんでってことで遅い秋にようやくそこのバイトやめて結局 3 ヶ月ぐらいしか勉強できなかったんですけども死抜きで勉強してもうギリギリ 2回目で合格したっていう感じです。 すごいですね。羽になっちゃったかもしれなかった。 いや、花は未だに好きですね。 [音楽] ま、それで、ま、就職してそこはどういう治療のシステムだったんですか? 研修期間が3 年間あってですね。ま、ちょっと病院の名前は言えないんですけども。 その3 年間常に救急の患者様の受け入れを、ま、あの研修が、ま、 1 番手で受けて自分で治療できるんだったらもうそれでいいし、分かんなかったら次のセカンドコールってその次の検証を呼べでそれで分からなかったら上位が内科系、外科系がバックアップがいてっていうその救急の研修をしながら並行して内科とか外科私はもう願とか皮膚化も研修受けたんですけどもうずっとあの半年とか
13:49 3ヶ月とかういうローテーションを3 年間繰り返して、最後の 3 年間は自分がこの道で行きたいっていうところをメインでやるっていう期間に当てて、ほぼ病院の中にあった前さ、夫婦人家とか小児家も含めてですね。いや、本当楽しかったですね。 羨ましいですね。 私あの同期が 3人か4人いたんですよ。3 年目までに全員やめたんですよね。 で、その理由がもうきつくてもうやってらんないということだったんですけども。 うん。 いや、確かに疲れますよ。 開けても次の日の仕事休みにならないので確かに辛いけどもこれだけいろんなこと見せてもらってである意味上の先生がいるから私たちは直接の責任取らなくていいわけじゃないですけども常に自分が全責任を終わなきゃならないっていう立場でもなくてで分からないことを教えてもらえてで患者さんには結構滅たにないですけども多少は感謝されてっていうのでいいやもういい仕事だなと思いましたよね。それあれですよね。
14:47 今だと多分労働基準法違反ですよね。 いや、全く違反でしょうね。月に 8回とか9回とかしてましたから。 ま、僕は昭和42 年生まれなんですけど、先生と何歳に違うのかな? 4 つですよ。 僕の頃もそうでしたけど、もう夜大学にそのまま残って止まるなんても当たり前で僕も週にそうだな、 2回3 回ぐらい止まってたしそれを大学卒業して博号を取るためにずっといわゆるあれですよ、乙ですよね。 で論文提出するために、え、夜の7時まで 仕事して、そっから横浜からイカに行って 、え、大体もう終電で帰ってこれないから 夜1時2時までやって、よくできて仮眠 最悪の場合はそのまま徹夜でやってとかと かってずっとやってましたけど、そういう ことを今はできませんよね。今は全然ダめ
15:33 でちゃんと8時間だけでお給料を絶対 ちゃんと出さなきゃいけない。 時間だけっていうのはもう無理だと思うんですけども、あの、普通に週 100 時間はいるのが当たり前っていうか、もうそうなっちゃってたぐらいにしてよね。うん。僕ね、あの、イシ科の医学部、市学部の研修両方教えるっていう、そういう非常金行士やってたんですよ。授業をやるんですけど、それが勤務時間を超えるとダメだから絶対オープしないでくださいって。ちょっと待ってくださいよ。勤務時間超えてもう教えてるんだったらじゃないですか?ただで教えてもらえるでしょう。もう時代が違うんです。 絶対に夜の7 時を超えないでください。ダメなんですって。 1 秒も超えないでくださいと思って。でも来るの遅れてくるやついっぱいいんですよ。それもう昔話になっちゃいますけども、どの職業もね、そうだと思うんですけどね。昔はだからただで教えてもらえてラッキーとか夜中まで勉強できて嬉しいってのがなったけど、今はそうじゃなくなっちゃったんですよね。
16:21 本当に夜中の手術に呼ばれてその後飲みに行くからぜひ取っとけよって言ってそしたら護師たんたちが本当もうあそこの電話のとこにちゃんと一覧出てるじゃんみたいなこと言ってなんで手術室に飲み屋の番号がここに貼ってあるんだっていうとこなんですけどでもそれが研修員の仕事だったんですよね。 それでも今だとパワハですね。 いやもうそんなこといくらでもありましたよ。 だからこそどこの病院か言えないですけどね。ま、でも当時当たり前です。 当たり前でしたよね。それがいいとか悪いとかってことじゃないんですけどね。今はそういう時代じゃなくなったということなんですけど。 [音楽] ま、その後ずっと行きまして先生と僕との出会いがあって 4 抜きっていうのがあるんですけど、その前に先生は内分の専門とかでろんなその 4族をまだ知る前ですよ。 いろんな科学的な治療をご専門でやってたと思うんですけど、今思えばこんなことだったんっていうのがあるかもしれませんけども、その専門職をやってる時の仕事の内容ですとか研究の内容とかかって教えてもらえませんかね?
17:15 元々は外科なろうと思っていたんですけれども、ちょっとあの外科の最長の手術でここまでやってらないなと思ってですね。 うん。 その後非尿機化の医者になろうと思ったんですよ。 で、非尿置き化になってもでも、ま、一取りの内科的なそかも身につけた上で大体のことをやりながらでもやっぱり自分のスペシャリティ専門としてはこの分野でってことを考えて、ま、日き化手術もできるし、そんなにとんでもなく長い手術もないしっていうことで考えていたんですけれども、その中で私が言った北海道では非尿機下の先生があまりにもその内科の医者が足りないエリアが多くてですね、投石も一緒 [拍手] に見るっていうのも、ま、北海道全体でそういう習慣があったんです。下科の先生が投席の見る日家の先生が、ま、人造繋がりで見るっていうことがちょ色々行われていたので、ま、それはもう仮に後々そういうことになってもいいようにと思って大学の時に全然、ま、自習あんまり真剣に行ってなかったので投席って見たことなかったんですよ。
18:17 それを最初の3 年間の中で勉強させてもらおうと思って、いわゆる人造ないかって言ってその投積部門を扱う領域の勉強を始めたんですけれども、これがやっぱりね、もうあまりにもこう興味を引き立てられることもあと普段からちっちゃなこう結果結んだりする手術もできるしっていうことでもう自分がやりたいことも全部人通りできる領域で勉強すればするほど人造の臓器としてのその病気もそうですしそれを悪くする例え 糖尿病だったり、こう血圧だったりっていう内科の勉強が急に面白くなってきたんですよね。 うん。 私あの大学卒業の時の卒業試験で うん。 人造病と高結発だとかこう循環機なんかを扱う、ま、第一かっていうところの卒業試験で学年で
19:04 2人かな。 うん。 後にそれが自分は専門にしようとはもう夢にも思わなかったんですけれども教授室で受けさせられましたからね。ただま実際にもその臨床の患者さんを見るのはもう全然違ってうん。 うん。 ここまで人の体をこれほ的にくできるていうその技術ってのはすごいなっていうことをもう感じるうちにもう内になろうと思ってもっと詳しい勉強させてもらうために東京の大学に来たのがま、 4年目ですね。 うん。 で、そこでどういう治療とか研究とかしてたんです、 ま、あの、もちろん当石に限らずですね、ま、血液浄化療法って言うんですけれども、血液を取って綺麗にして戻してやるっていうのに種類があって、少なくとも地球上で行える治療っていうのはもうほぼ全部自分でできるようになったんですけれども、対象となる病気はもちろん性人造病っていう人造くした方が中心になりますけれども自己免疫疾患とかですね、特に神経疾患
20:03 あの、そういった病気も血液化で最大腸とかクロ病っていう病気も血液化療法の対象になってたんです。 ですから血液浄化療法っていう治療を勉強 するうちにもういろんな病気のことを見る ようになってその患者さんたちのその先も 自分で大学病院のその内川の外来で見る ようになっていううちにまを除くほぼ全体 の病気を見るようになったっていうのが 大学病院に行ったも10数年間の 中での生活だったんですよね。 この血液浄化療法というのは炎少性会をコントロールするか? そうですね。はい。簡単に言うとそういうことですね。 炎症性会っていうのはあの発揮血が出す生理活性物質ですよね。細胞だとか臓器だとかよくも悪くもこう攻撃をするようなものですけどもそれこそ
20:53 TNFアルファなんかもそうですよね。 それをま、多い時は除去するわけですか? えっとですね、本当にこれがもう発想の転換っていうか、もうこれ最初に考えた人本当すごいなという風に感じるんですけれども、体の中で暴れてるなんか間違った情報を植え付けられた発血球中心とするその炎少細胞をカラムって言って血液を送り込んだその容器の中でもう暴れさせるんですよ。わざと。 だから新しい敵だよみたいな敵を見せてやったら八血球はこいつもダメなやつだって言ってもう戦いまくってヘロヘロになってほとんどもう何もできない状態になって戻っていくんですよね。 うん。 それを繰り返すだけで体の中で暴れる炎症が激するんですよ。 なるほど。 それを繰り返していくうちに俺たちは何やってたんだろうみたいな学習をしてですね、
21:41 3回とか5 回とか繰り返していくうちに暴れることやめちゃうんですよね。 ま、それがあの血液あの直接管流とかあの療法っていうの治療のその基本的な概念になるんですけど、 えっとその要するに乗脈血を取って投石みたいにしてまた戻すその時間ってどのぐらいの時間やるんですか? ま、そうね。治療内によりますけど、大体 1 時間とか処理する血液の量にもよりますけども、まあ 1時間、2時間ぐらいの ぐらいまさに投石みたいな感じなんです。 投石はまあでも大体4 時間かかりますからね、2回に。 うん。で、それを例えば1週間に2回とか 3回とかやるんですか? いや、もう例えば海洋性大腸園だと、 あの、週1回1時間の治療が、ま、5回が 1クールで、それが 1クールか最大2 クールやってほとんど人良くなっちゃいます。
22:27 はあ。 そこでもダメだった人は今度手術も考えんなきゃならなくなりますけど、 火流級着両方とか八卦血球着両方っていう治療が世に出てからはもう手術の対象になる患者さんがも激減したんです。 うん。 ですけども一方でそれでも感知しないっていう人たちの問題が、ま、その後もまたこうぶり返すことに恐れおきながらっていう方をずっと外来で見ていったんですよね。もうそ 5年とか10 年とかってお付き合いになる。やっぱり薬はやめられない ていう人たちがもう各病気の方も自己メ騎士館で言ったら入り友ですとか うん。もちろん関節町の方もそうですし、 もうありとあらゆる自己免疫館の方、 もちろん大部分は人造病の方ですけども、
23:14 私またいつかぶり返すんでしょうかって いうことを、もうしょっちゅ聞かれる患者 さんとか実際にそれぶり返し患者さん、ま 、残念ながらその手術になってしまう患者 さんをも見ながらのも15年ぐらいでした ね。その時は原因除するとかっていう発想 は先生の中にあんまりなかった。 全員除去なんてできないっていうのがもうすり込みというもそもそも指定難病っていう名前がついてる通り国の少なくとも私よりもはかに偉い先生たちが絶対治らないって認めた病気ですからもう治るわけないと信じてましたよね。 うん。なるほどなるほど。で、そういう治療をしながら、え、どっかで 4度く抜きに出会ってくわけですけども。 はい。そんな治療しながら、ま、1 つは大学病院の 1 つの限界がですね、専門にしていたほぼ大部分の患者さんは定期的に、ま、週
24:00 23 回とか、ま、幕投席って言って家で自分でできるんだけど、例えば家族がいないとか帰る家がないっていう方についてはずっと入院を続けざるを得ないような方が家に帰れないっていう別の問題を抱えてたんですよね。 ですから体としてはその治療を置かないさえしたらもう普通の生活ができるはずなのにでも家に返せないっていう方たちがたくさんいらっしゃったんです。 で、なんとかそれを当時ま、ちょうど 2000 年から介護保険制度ができてとにかくお家に変そうっていうことがあの進められていたのになかなかそれが進められなかったてのは最後は当石の患者さん、人造病の患者さんの領域でなんとかその人たちを家に返せないかなっていうことをもう先生に聞いたり当たったりしたんですけれども都内でも誰もやってなかったんですよ。
24:48 だったら自分でやろうかなと思ってですね。それでま、 2011 年ですか、あの東日本大震災のですね。 年にその前の月なんですけども、もうクリニックをやろうと思ったのが海名のきっかけですね。 うん。 で、そこではどういう治療をしてたんでしょう? 基本的にお家でできる覆統とま、訪問診療っていうそこに重いてトラブルを解決したり、普段の検査したり指導したりっていうことで、ま、とにかく入院しっぱなしだけど家で面倒見る人がいないっていう、ま、簡単に言ったら家に見に行く医者がいないことで帰れなくなってた。 た、人たちをとにかくお家に返してですね、もうもちろん外覧来もやりながらほとんど毎日もう土日もお家に訪問して回ってましたね。 うん。
25:34 訪問診療をすると外来しかやってない人だとその家の中っていうのが見えるわけじゃないですか? 本当にそうなんですよ。もう本当にもう驚くことのもう連続で うん。 私、あの、医療ドラマでリアティがないからもほとんど見ないんですけれども、その中でもあまりにこう描かれてるものが駆け離れてるなって思うのはやっぱりもう在宅医療というかですね、もう普通の家の状態ですよね。ま、訪問したらなくなってたとか 基礎展開なことがもう次々次々起きるんですけれども、ま、その当時は、ま、それでもなんとかならないかなって思ったのはやっぱみんなの食べてるものですね。 うん。 ヘルパーさんが入ったり、ま、介護保険のんて、いろんなサポートっていうか、そういう炎上がありますけれども、やっぱりレトルト食品を使った調理だとか、
26:23 Uご飯作っとけ、明日の朝はこれ食べてねって言ったらもう普通にパンとかあのコンビニのあのサンドイッチが朝用に置いてあったりっていうのがすごく普通ですよね。 うん。うん。 もうカップラーメンと うん。 ソフトドリンク定番です。あとクリームパンとか。 でもただ、あの、パンは、あの、本当になかなか厳しい上映談の方パサパサして飲み込めないので、 なんか栄養ドリンクみたいなのになっていくんですよ。 もう最後の最後まで加藤武ド島駅の入ったものを飲み続けて最後迎えるっていう方がほとんどでしたね。ええ。 うん。 僕もね、あの、大国卒業して、それで父親の仕事をちょっと手伝いみたいに呼ばれて、で、まだこれね、 1995 年とか6 年ぐらいですよね。まだ介護権がない時代。それで横浜は訪問診療をするっていうのはすごく心的にやってるグループがあって、え、僕も一緒に行くわけですよ。すともこんなことをやっていたのかっていう世界があって、もう老々介護でおじいさんが直装だらけなんですよ。
27:27 よね。で、おばあさんももう腰が曲がって 大変だと。それで今までずっとお医者さん に時々応信してもらってきてたんだけども 結局薬もらうだけだと口の中見たら当然歯 がないわけですよ。で入れ場を作ろうて話 になってネタ切りなのに入れるのかって 言ったからネタ切りの人は入れると自分で 願れが打てるようになるんだよって言って それでもう本当にこんなしかできない人が 入れば作ったら立って歩けるようになるん ですよね。そうですね。 これで今までずっと医者に 10 年来ててもらったの、これ一体何だったんだというようになったそんなエピソードもあったし、訪問心療をやるって言っても鹿ってどうしてもいい機会使うじゃないですか。だからもう今はいっぱいいね。訪問の会社とかそんなのもあるし、このエルディアの上層部もそういう舞台を持ってるんですけども、そん時なかったからバケツを改造してくっつけて水がこっちにトラップするやつ作ったりとかいろんなことやってたんですよ。
28:20 もうある程度になったらもうめんどくさいから訪問侵入しちゃくてもう連れてきた方が早いっていうになるんですよ。連トゲも取れないし。今ねポータブルのあるけどでそれやるようになって夫婦で普通に歩けるようになってね入れば入れてしたらねプレゼントくれるんですよ。何ったらねリポビタンデオで くれて 山ほでもいますね。これ何ですかったこれで命をついでってんですよね。噛めないともうあれで生きてるんですよね。 だからもこれ、これが命だったから先生に私の命あげるよってね、もらったことがあるぐらいにやっぱりそれこそ噛むこととか飲むこととかって人間の健康にとってとっても大事なんですけども最右死にそうになると航空ケア、航空ケア、航空ケア、航空ケアってことその前に航空ケアがあるんですよね。特に訪問看護の看護師さんたちはものすごい航空ケ案のこと詳しいんですよ。
29:08 ですけど、今の若い先生たちはもだいぶ変わってきてると思うんですけれども、昔はそれはもう看護師の仕事だろみたいな感じで石側が航空どころかその歯領域のことについて何も学ぼうとしなかったんで私もたまたまその鹿の先生の知り合いだったり訪問診療やり始めてから訪問診療に同時に入ってくださる先生と話すようになって家でもこれだけのことができるんだとかで下の治療でこれだけ ADL ってその全身のそのアクティビティも変わるんだっていうことが本当にもうびっくりするぐらいよくわかりましたね。こんなに変わっちゃうんだっていうことはですね。 うん。 僕もあの精神家病院で理長やってる時に鹿の診療室があったんですけど不妻さんだったのかな。やめちゃおうって言っててもう
29:59 10 年ぐらい塩漬けになってたんですね。で、僕がこう見たら歯のない人だらけなんですよ。 で、私の部下の鹿の先生にとにかく売上を 上げるもんが目的ではないんですけどね。 もう1回歯下診療室を復活させて中に神田 さんいっぱいいるから発掘しろと。で、 1人ね、もう80ぐらいでね、暴れてどう しようもない人が統合失張症で。で、その 人がなんで暴れてるのかが分からなかった んね。で、ヒアリングしたら食べたいって 言うんですよ、自分の歯で。それでね、 そういれば葬儀師を作ってあげたらね、 暴れるのやめるんですよね。 で、とにかく死ぬまでにハンバーグが食べたかったとかね、そういう話をすごく言ってて、だからそれでね、随分ね、入院患者の QOL が上がるんですよね。そんなのも経験してて 思い返せば 例えば高血圧1つ、糖尿病1
30:46 つ、その増してはその何病って言った病気の 完全に直したことなんてないなっていうことを 度々考えることもあったんですよね。 だけどもこうふと結局自分薬出してもう検査して薬出してま、たまにちょっと薬減らしたりはしてるけれども うん。 こんなことずっと一生続けていくのかなっていうこともなんとなくこうぼんやり常に思いながらのもうこう何十年だったんですけれどもある時ですねまこれ実際去年なんですけれどもある患者さんがもう原因不明のですね体重現象ともうとにかく調子悪いと目がもう調子悪いしま普通に考えたらまが何か重大な病気抱えてるんじゃないかっていうような私たちはやっぱりその見た目だけじゃなくて肌の感触とか匂いとかです
31:34 ね、そういったものをトータルに感じるので、ある特定の病気、独特の匂いとか、ま、肝臓病とか人造病とか、あと、ま、癌の方っていうのをこう匂いで感じるんですよ。本当にまずいなっていうことを感じた患者さんが、でも調べても調べても何もないんですよね。で、その方がですね、ある日ちょっと久しぶりにひょっこり現れたというかですね。 うん。 姿を見た時にもう別人になってたんです。 うん。 簡単に言ったらもうの色もう見た目ももちろんも戻っていて独特のもなくなっていて私はもう結局自分には直せなかったけど [音楽] いい先生見つけたか何か新しい治療見つけてお金出して受けてきたのかなと思って聞いたんですよ。
32:20 だ違いますよ。先生、あの4 って吉野先生のことご存知ですかって言うからもなんかもしかしてあのなんか金髪のなんか昔見たことあるけどなんかあんまり記憶には残ってないあの鹿の先生かなって話したらそうですよって言ってもうあの先生の言う通りに私やっただけですっていうことをその患者さんがおっしゃっていてで私その当時ねも大体週 5 回ぐらいはラーメン食べたり中華料理食べたりして 4抜きどころか4 しか食べてなかったような生活してたんですよ。 その当時で去年の秋金まででしょ。で、その患者さんからその秋口にさ、話を聞いたんですよね。 ま、たまたまそれ体調にあったかもしれないけども 処私もラーメン行ってるのとか投稿してましたから、あのなんかも中華丼とかラーメンとかね、まとかそういうのばっかり食べて本当に突然ししてもおかしくないですよみたいなこと真顔で言われてですね。
33:14 いや、その素人にこ言われてもと思ったけども、でも実際自分でもなんとなくまずいなっていうのはずっともう何十年も思ってたんですよ。でもやめられなかった。でもこの人は実際良くなったのはもう事実だっていうことで 去年の10 月11 月ぐらいにかけて当時もうすでに配信されたよ野明チャンネルの動画はほぼ全部見たいなんですよ。 で、1 日ね、もう多い日はもう夜中までもう 6本とか8 本とかってのずっと見ていったんですよ。 でも1 つ思ったのは私も在宅でも見までやっていたのでうん。 でも在宅医療やってたわけでもない先生はなんでこの食生活のこととかこういう病気の人はどんなもの食べてるとかなんでこんなこと知ってんだろうなと思ったんですよ。だからなんかネタ元っていうかですね、ブレインの先生かなんかがなんかネタがあるんじゃないかなて。
34:01 [音楽] いや、本当にあの単純にもうそれぐらい話がリアルに私が現場で見てきたそのままだったのでご視聴ありがとうございます。え、公表いただいておりますよ明オンラインサロンのご紹介をします。え、毎月 1 回のライブセミナー、そしてこのライブセミナーがアーカイブで 1年間全てを見ることができます。 え、是非ともご入会いただきたいと思い ます。え、方法は、え、概要欄のとこに出 ていますので、是非そちらをご参照 ください。さらに種の年明式飲用5業、
34:49 これのコンテンツがございます。こちらも 概要欄から見ることができますので、是非 こちらもご登録いただいて見るようにして ください。よろしくお願いします。 [音楽]