0:00 皆さん、こんにちは。東海大学理学部物理 学科の岸田です 。今日は天文学が文明の発症と発展にどの ように関わりがあったのかについてお話し します 。この講義では古代から現代に至るまで どのように宇宙と我々の地球を理解してい たのか。そしてそれらの知識と技術がどう 人類社会に影響したのかについて話します 。初めに天文学とは何かについてお話しし た後、3つの時代を順番に見ていきます
0:49 。最初は初代から1500年頃までです。 文明の発症にどう天文学が関わってきたの でしょうか? 続いて大公開時代が起こった1500年 から1800年頃です 。この頃天門学的にも天道説から自動へと 大きな発想の転換がありました 。そして現代に至る1800年 以降我々は人工衛星やロケットを開発し、 地球を飛び出して宇宙へと進出しました
1:38 。素晴らしい科学技術を生み出した一方で 地球を脅やかす問題も起こっています 。この講義の中で宇宙の中でも生命が育ま れる貴重な環境を持つ地球について改めて 考えていきましょう。 目に天文学とはどのような学問かについて お話しします 。天文学とは宇宙の構造や天体の運動、
2:28 科学の蘇生などを研究する学問です 。空に輝く星を見ることは我々の生活には 関係ないんじゃないのかと思うかもしれ ませんが 、天文学はまだ文明が起こる前の最古の 時代から私たちの生活に大きく関わってき ました 。なぜならば太陽そして地球も宇宙の一部 であり天文学の対象だからです 。どちらも人類が生きていく上で欠かせ ない存在です
3:16 。まだ文明が起こる前に太陽の動きを 詳しく調べることで生活の根本となる時刻 や歴を決めました 。また牛表として公開術が発達し、人々は 海に進出し、自分たちの世界を広げていき ました 。また星星を結んで星座を作り、神話を 生み出すなど天文音学は多くの文明の文化 や芸術にも影響を与えてきました 。異なる文化を持った社会でそれぞれ理解
4:04 してきた宇宙という共通の認識を互いに 理解し合うこと から異分化の交流と理解を促進する手段と なりました。 私たち人類はいつから夜空を眺めるように なったのでしょうか ?そしていつから天文学は始まったの でしょう ?これらの質問には明確な答えはありませ
4:50 んが、運良く記録に残ったものとして フランスの南西部にある脱ス洞窟の壁画が あります。 こちらの写真の壁画は牛と推測されてい ます 。この牛の肩の周りに小さな点の集まりが 描かれています 。その形と牛の一関係からこの点の集まり はプレアデス星団ではないかという説が あります。 また月の道かけを示すと推測される黒い点
5:37 の列や夏の第三角形を描いたと思われる 造形巨大な水星の衝突を記録したとされる 壁画なども残っています 。これは1つの仮説で、この壁画が天体を 示したものかどうかを明確に確かめる方法 はありません 。しかし古代から星は神秘的な存在であり 、そして身近な存在であったのではない でしょうか 。人類は文明が起こるより前の愛古の時代 から宇宙に興味を持ち、天体について高度
6:26 な知識を身につけていたのかもしれません 。我々にとって最も身近な天体は太陽、月 、そして地球です 。特に我々の生活、食べ物を得るために狩 をして急速のため睡眠を取る。その生活を する上で日ので日の入りをすることは重要 になってきます 。人々は太陽を詳しく調べることで1日の
7:16 周期を測りました 。太陽は眩しいため直接見ることは困難 です 。そのため人々は地面に落ちる影を利用し て1日を測り始めました 。これがヒです。 現在4000年頃のエジプトでは地上に まっすぐに棒を立てて昼間の時間を細かく 刻んだヒがあったとされています 。古代エジプトの時代から昼間と夜を それぞれ12等分に分けて1日24時間に
8:03 する発想が生まれていました 。この写真はエジプトのルクソル神殿の前 にあるオベリスクです 。オベリスクは信仰を司さったり、記念費 の一種として古代エジプトからローマに かけて建てられましたが、実はヒとしての 役割も果たしていました 。またヒの影の様子を詳しく観察し、季節 によって影の長さが異なることにも気づい ていました 。古代メソポタミア文明の遺跡からも1
8:49 年間の影の長さの変化を記録した粘土版が 数多く出度しています。 系によって古代の人々は太陽の動きをほぼ 正確に記録する術を身につけました 。これにより季節が365日周期で変化を 繰り返すことを知り、季節変化を スケジューリングできるようになりました 。 季節の変化を知ることは濃厚民族にとって
9:37 は必要不可欠です 。エジプトではナイル川が毎年一定の時期 に氾濫を起こします 。氾濫により記憶な土が運ばれ、豊かな 実りをもたらします。 濃厚作業の準備のためにいつナイル側が 判断するかを知ることが重要になります 。そのためエジプトでは365日を1年と する太陽歴を用い始めました 。この写真は千ネジェムという名の職人の 墓に書かれた壁画です。
10:26 ライセの世界で濃厚をしている様子が描か れています。 脳を耕し、種を巻き、仮取りをし、香水の ような様子もあり、当時のエジプトで人々 に歴に沿った生活が浸透していたことが よくわかります 。エジプトで利用されていた歴は365日 を1日としていますが、実際に地球は太陽 の周りを 365.2422の周期で回っているため 365日を1年にするとずれてきます
11:14 。そのためウルードを制定したりしてずれ を補正したグレゴリオ歴を現在の我々は 利用しています 。夜空にはたくさんの輝く星があり、人々 は夜空を眺めては目立つ星をついで形を 作り物と結びつけてきました。 様々な文明地域で固有の星座が作られてい ます 。現在知られている星座の始まりは紀元前 3000年頃にメソポタミア 地方今のイラク周辺だったと言われてい
12:02 ます 。種を巻いて作物を育て収穫するには季節 を正しく知る必要があります。 そこで星を結んで竹や農具などの形に 見立て季節の目安にしたのが星座の始まり の1つだと考えられています 。その後動物や神話や伝説の英雄が描かれ 、様々な文化に引き継がれ、紀元前4世紀 頃のギリシャで現在用いられている88 星座の原型ができてきました 。地球から見て太陽がどこの星座を中して
12:52 いるのかを示す。太陽の動く道筋を行動と 呼びますが、1年間かけて通過する12の 星座を行動12星座と呼んでいます 。成暦150年頃アレクサンドリアの プトレマイオスによって分類されました 。12星座は運勢を占う星占いなどで有名 ですね。 この星占いも星座が作られたメソポタミア が発症 で当時は動物の振る舞い、脳作物の 出来の氾濫、雨や虹
13:41 、日の出日没 など自然に起こる様々な現象 占いの対象でした。 現在は占いと科学は別物ですが、古代では 占星術は科学的な観測とそれに伴った予測 と根拠のない余地が混ざったものでした 。当時の人々はその年の作物の出来や天候 が即精に関わるような不安定な毎日を送っ ていますから、余地や予測をより正確に しようと天体の観測を活発に行っていった
14:28 のかもしれないですね。 朝になると太陽が登り、夕方になると太陽 が沈む 。そして1年かけて様々な季節が回り、 農業を営む 。その毎日の繰り返しの中でいかに豊かに 安心して暮らせるかを追い求め、努力して いた人々にとって突発的な天体現象は大い に恐れを持って受け止められてきました
15:14 。特に我々にとって恵みをもたらす最も 身近な天体である太陽が急に暗くなる日食 現象は何も知らない人々にとってみれば 恐ろしい出来事の前ぶれに感じたに違い ありません 。この図を見 ていただきたいのですが、日食とは太陽と 地球の間に月が入り、月によって太陽の 一部または全部が隠される現象です 。太陽と月の通り道が5度傾いているため
16:03 、日食が新月の度に起こるわけではあり ません 。同じ場所で日食が見られることは稀れな ので、古くは信仰や占いの対象として考え られたりしてきました 。日本の神話でも天照ラス大御が天の岩に 隠れるといった神話は日食を表していると 言われています 。ま、こんな稀れな現象なのですが、 紀元前600年前の古代バビロニアでは
16:50 日食が月が太陽を隠している現象でおよそ 18年と11日後に起こるということが すでに知られていて年度版に記録が残って います 。日色に似た天体現象で月色があります。 こちらは月と太陽の間に地球が入ることに より月が隠される現象です 。月色は世界中では年に1度、同じ地域で も3年に1度程度と日食よりかは同じ地域 で頻繁に起こるため月色をもに日色がある
17:37 程度周期的に起こる現象だと予測したのか もしれないですね 。当時の人々はそれだけ太陽や月を注意 深く観測し、また計算する能力も高かった ことがわかります 。紀元前585年頃、今の中東周辺の 2国間の戦争中に日食が起こり、戦闘は 中段 。両者とも不安を覚えて和兵が成立したと いう記述があります 。この時の日食を古代ギリシャのタレスと
18:22 いう人物は予測していました 。知識があるということは物事を有利に 運ぶことが可能であったのかもしれません 。 人類はいつ頃地球が休憩であることに 気づいていたのでしょうか ?それは紀元前4世紀頃の古代ギリシャで はないかと推察されています 。古代の4大文明ではいずれにおいても
19:11 大地は平らなものと捉えられていたよう です 。ギリシア時代に入ると当時数学や門学に たけていたピタゴラスを中心とした学派 は数学的に最も完全な形が円や9であり 偉大な宇宙の形や運動は円やで表されると いう信念を元にして科学的視点と観察から 自然を解き明かそうとしていました。 ピタゴラス学のエクパントスは月色の際の 地球の影の形が丸いという事実
19:58 から地球は球体であり自転していると唱え たとされています 。ギリシャでは地球が丸いならその大きさ を運と試み始めました。 現前250年前後にエジプトで活躍した ギリシャ人のエラトステネス は下の日の生午 に自分の居住地であるアレクサンドリアに 地面に棒を立てて棒と棒の影の長さを
20:45 測り下しに太陽が真上を通る支援との距離 をもに地球の前習を計算しました 。この図はその時の様子を表しています 。シエネでは下に太陽が真上にいるため影 ができません 。アレクサンドリアはシエネのほぼ巻きた 。すなわちほぼ同じ度であるため、棒と影 の長さから太陽の光が何度傾いて入社する
21:31 かが分かります 。2つの都市の距離が分かればこの棒の影 の角度と距離から地球の前が計算 でき 4万5000kmと求めました 。実際の距離は4万kmですが、当時の 技術としてはかなりの制度で測定できた ことがわかります。
22:22 ここまでメソポタミアとエジプトを含む オリエント地域 、ギリシャを含むヨーロッパ中心の文明の 発症から進展について見きました 。もちろんヨーロッパ以外の国々でも独自 の文明の発展に天文学との関わりがあり ましたが 、形が異なるとはいえ、運命の発症には 太陽地球の理解が欠かせなかったこと でしょう 。さらに時代が進み5世紀から15世紀に
23:08 かけての中世ヨーロッパは天文学において ギリシャ時代ほどの大きな発見や進展は ありませんでした 。この時代はイスラム県が経済的にも軍事 的にも大きな力を持ち、イスラム県で天文 学が発達していきます 。9から15世紀頃にイスラム県で発展し た主要な業績をいくつか紹介します。
23:53 1つ目はアルバッターニによる急面三角法 の発見です 。急面三角法とは急面上の三角形の関係を 表す法則です 。例えば地球は急面のため地球上の3箇所 の距離や角度を表そうとすると普通の sincosで表す平面三角法では正確に は表せません。 面三角法を用いれば天球上の星の位置や
24:39 地球上の場所をより正確に求めることが できる ため天文学や公開に非常に有要です。 自分アルハイサムは近代工学の父とも呼ば れており、レンズの屈折や鏡の反射実験 から高額の原理を解き明かしました 。これらの技術はこの後お話しする望遠鏡 の政策に欠かせない知識です。
25:25 こちらの図で示したのは1572年に ハイサムが書いた書の表紙として出版され たものです 。太陽光を集めて白草置きの軍官を燃やす アルキメデスの装置が描かれています。 また1420年にはウルグベクによる巨大 な天が創設されました 。この天で詳細な観測を行い
26:10 ウルブベク聖書を出版しました 。これは後々まで利用される重要な性表と なりました。 個体から1500年頃までのまとめです 。太陽観測を中心とした天文学的知識は 文明の発症と発展に大きな影響を果たして きました 。太陽の動きは生活設計の基盤であり、
26:59 太陽の動きを観測し、1日や1年の長さを 決める。今も続いている歴の始まりです 。より詳細な観測を行うため、知識だけで なく技術や装置も発展しました 。これらの知識技術は社会文化の発展に 大きく起与します 。実際に日食の予測や地球の大きさを図る など当時の知識と用いることのできる技術 としては高い制度を誇っています 。それだけ人々は天文学と生徒の高い観察
27:49 から事実を導き出す科学的手法を重要視し ていたことがわかります。 頃まで大公開時代の始まりと天文学との 関わりについてお話しします。
28:45 大公会時代とは5世紀半ばから17世紀 半ば ヨーロッパ諸国が世界規模の後悔を行い新 大陸や新路を発見した時代のことです。 ヨーロッパが大いに栄えた時代であり 、天文学と文明発展の関わりもここでは ヨーロッパの出来事を中心とに見ていき ます 。様々な国が互いに 競い合い新大陸やコ路を発見していきまし た。 例えば1492年コロンブスが大西洋を西
29:37 に進んでアメリカ大陸に到達しています 。また1498年にはバスコダマが アフリカ大陸の南タを回ってインドに至る コ路を開いています 。1522年にはスペインの炎上を受けた マゼランの艦隊が世界一周の公開を 成し遂げました 。こちらの写真は1502年に書かれた カンティの平面研究図で現存する最古の 平面図と言われています
30:25 。この図をよく見るとコロンブスが中央 アメリカ 、バスコダガマがインドに到達したことが 記録されています。 ヨーロッパとアジア、アメリカとのつがり が生まれ、経済活動が地球規模に拡大し ました 。また世界規模で文業システムが成立する ようになりました 。一方、侵略により文化や伝統が脅やかさ れることになりました
31:13 。未の大陸を目指し、大ウ原に船を出すの には大きなリスクが伴います。 新版造船技術の発達はもちろんですが、 目印のない会場を後悔するには天体の位置 のもに公開を行う点候補が不可欠でした。 大公開時代には社会構造に大きな変化が
32:00 起こりましたが、この時期は天文学でも 大きな転換機となります 。天道節から自動への転換です 。そもそも天道説と自動とは何でしょうか ?これまでは宇宙の中心は地球で太陽や星 などが張り付いた天球が地球の周りを回っ ていると考えられてきました 。これを天道説と呼びます。
32:48 ところが実際には地球を含め火星や木星 などの惑星は太陽の周りを回っています 。そのため惑星は他の星とは異なり、常に 一定の方向に動かず太陽と逆の向きに動く 時があります。これを逆行と呼びます 。ポーランド出身のオペルニクスはこの 逆行の原因が地球と各惑星が太陽の周りを 回って
33:34 おり点速度の差によって生じると考えつき ました 。これが自動説です。 このように今まで多くの人が信じてきた物 の見方や捉え方が大きく変わることを パラダイムシフトと呼びます 。コペルニクスは自身の本でこの考えに 至った戦的な研究としてイスラム県の5名 の研究を上げています 。これまでの知識や技術の積み重ねと
34:22 裏付けをも に大公開時代の新しい風のもこのような 定期の大転換となるパラダイムシフトが 起こったのでしょう。 コペルニクスによる自動の提唱は理論的な アイデアであり、観測的な事実が伴わ なかったこともあり、なかなか受け入れ られませんでした 。自動説はこの後紹介する2人の科学者 ガリレオガリレイとケプラーによってより 確かなものとなっていきます
35:24 。1人目のガリレオガリです 。彼はイタリアで数学の教授でしたが 、観察、仮説、実験、そして法則化すると いう手法を文じて物理学での重要な運動 法則を発見しています 。またオランダで望遠鏡の原型が発表さ れるといち早くその原理を考察しより制度 の良い望遠鏡を制作しました 。ガリレオの制作した望遠鏡は20倍と
36:12 いう当時にしては脅異的な倍率を誇って おり、今まで見えなかった月のクレーター や木星の衛星、土星の輪らしきものを 見つけることができました 。こちらでは東海大学の望遠鏡で撮影した 月 を載せています 。月のクレーターがよく見えてますね 。これら観測事実が明らかになると天動説 では説明できないことが積み重なってきて
36:58 自動を確信していくことになります。 しかしガリレオガリは自動説が遺と見なさ れることにも気がついており1632年に 彼が出版した天文対話では天道説も指導説 も祖方あくまでも仮説上の話とし 指導説のみを唱えているわけではないこと を注意深く書いていました 。しかし結局1633年にガリレオは宗教
37:46 裁判にかけられて有罪となり、地道説は 誤りであると認めさせられたのでした 。それでも地球は動いているとついたか どうかは定かではありませんが、室のうち に1642年に障害を閉じます 。科学より宗教の方が思じられていた社会 的背景もありますが 、このことから今まで信じられていた説を 覆すにはいかに困難なことかがわかります 。
38:39 社会背景以外にも自動には価格的な根拠と して弱点があったため、多くの科学者も 納得していませんでした 。それは自動として太陽の周りを回る惑星 の軌動が完全な縁であると仮定していた ため 、天道説と比べても自動での惑星の1制度 があまり良くならなかったことです 。ドイツに生まれたケプラーはガリレオと 同時代の天文学者です。 ガリレオ式望遠鏡を改良したケプラー式
39:24 望遠鏡を制作しています 。ケプラーの師匠であるティコブラーエは 望遠鏡がまだない時代から確信的に制度の 高い天体の観測をずっと続けてきました 。彼の死護膨大なデータを引き継いた ケプラーはケプラーの法則を見つけます 。この法則のうちの1つは 惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を 回っているということです。
40:11 ケプラーによる観測装置の改良や彼の深い 知識ももちろん重要でしたが 、ケプラーの法則の発見には詳細なデータ の積み重ねが重要な役割を果たしたと 言えるでしょう 。こうして自動説の弱点が解消され、地道 説であるという証拠が積み重ねられていき ましたが 、自動の直接的な証拠となる年収資唆の 検出は1800年代まで待つことになり ます。
41:05 ここまでのお話にも出てきましたが、 地道説の確率には望遠鏡の発明とその進化 が必要不可欠でした 。望遠鏡は1608年オランダのメガネ氏 ハンスリッペルハイが発明しました。 これを聞きつけたガリレオガリレはその 仕組みを理解 し1609年自作の望遠鏡を制作します 。凸レンズに大レンズを組み合わせた
41:51 ガリレオ望遠鏡です 。20倍という今までに比べて非常に高い 倍率で観測が可能になりましたが 、視野の狭さと望遠鏡の筒が長くなること が欠点でした 。テプラーも望遠鏡に興味を持ち、自分の 手元にある望遠鏡ではガリレオの観測を かき確認できないため応望遠鏡を送って 欲しいとガリレオ本人に頼んだそうです 。その手紙が今も残されています
42:39 。ケプラーによって改良された望遠鏡は凸 レンズに凸レンズを組み合わせており倍率 を上げやすいのですが像が逆さになって しまうという欠点を持っていました 。この後もいくつかの改良が重ねられてき ましたが、現在一般的に使われている タイプは1668年のニュートンによる鏡 を利用した反射鏡の出現まで待つことに なります 。3期間にこのように望遠鏡が急激に改良 されていったのには科学者の未知なるもの
43:27 を解き明かしたいという情熱があった おかげに違いありません。 最高時代に天文学のパラダイムシフトとし て発見されたもう1つの出来事として 高速度の測定があります。光の速さは有限 だったのです 。遠容中に船の正確な位置を知ることは
44:13 重要な問題です。 船の現在いる場所を知るため に移動を知るには北極性の高度を測れば 分かりますが 、軽度を測るには正確な時計が必要でした 。船の上で正確な時刻を知るため に周期的に起こる変態現象を天の時計とし て利用しようとしました 。この時使われた天体現象はガリレオの
44:58 発見した木星と木星の 衛星木星に衛星が隠される職という現象 です 。1672年からレーマーは木星の職の 観測をしていて、職の起きる周期が時間と 共に変化することに気がつきました 。そしてこれは木星と地球の距離が変化し 、また衛星からの光が地球に届く時間が 変わっているためという独自の発想を得 ます。
45:45 時間差から光が進む速度を計算したく ところ2.1×10の8m/秒と求められ ました 。現在知られている高速度の値は3.0× 10の8m/秒です 。当時の制度からはかなり良い測定だった と言えるでしょう。 光は無限の速さで伝わるのではないという ことを実証する画期的な発見でした
46:37 。1500年から1800年をまとめます と時代の年間と言えるでしょう 。大公開時代にはヨーロッパとアジア、 アメリカとのつがりが生まれ 、経済活動が地規模に拡大しました 。また一方で国力、軍事力を持つ国が侵略 を行い、文化や伝統が脅やかされることに なりました 。かこたる黒力を持つために公開術価格 技術の発展がより重視されていきます
47:28 。大公開時代を支える遠用公開を行うため に は天体の位置を用いた点速候補が必要 不可欠となります 。そのため天体の位置をより正確に観測 する技術が向上していきました 。この頃望遠鏡が発明されたのも時代的 背景によるものでしょう 。望遠鏡の発明と改良によりさらに正確な 天体観測が可能になりました
48:15 。天門学場でも大きな転換を迎えます。 天動節から自動への転換です 。理論上の仮説に過ぎなかった地道説です が 、望遠鏡の改良に より正確な天体の位置や様子が観測され、 確かな理論へと確立されていったのでした 。科学者の真実を知りたいという熱意の 玉物であると言えるでしょう。
49:18 次からは1800年以降宇宙への寝室の 時代の説明に入ります 。近代に入り、我々はついに宇宙の前貌に ついて知ることになります。 宇宙の中心だと思っていた地球は太陽の 周りを回っている惑星の1つであり 、その太陽も多数の星の集団からなる銀河 の本の一部だということがわかりました
50:12 。銀河に はブラックホールが中心にある と想像され、今はそれが証明されています 。さらに宇宙にはこのような銀河が たくさんあり、銀河からな宇宙は膨張して いることがわかりました 。広大な宇宙の中の小さな惑星である地球 は数ある星の中
50:57 のほんの1つに過ぎないということが 分かったのです 。 しかし地球はこの動広大な宇宙の中でも 唯一水を保有する星であり、地球外の生命 は未だ見つかっていません 。こちらの画像は近年NASASA のハッルとジェームズウェップ望遠鏡に よって撮影された遠方の宇宙の画像 でたくさんの銀河が集まって銀河の集団を 作ってる様子が実際に観測をされています 。
51:53 このように桁外れに広大な宇宙での現象を 説明するために欠かせないのが相対性理論 です 。ある時アインシュタインは1つの光線を 光のスピードで追いかけたら光線はどんな 風に見えるのだろうかと考えました。 質量を持たない光は特別な振る舞いをする はずで 、どんな時でも光の速度は一定になり、
52:41 光線を追いかけても追いつかないのではと 考えつきました。 これを高速度不遍の原理と呼びます 。真空中の光の速度は普遍で唯一絶対で あるというこの仮説を元にする と以下の奇妙な結論が結びついてきます 。それは物体が光の速度に近づくと時間は ゆっくり進み 、物体は長さが縮み、そして質量が増え
53:31 重くなるという現象です 。さらにこのことからエネルギーは物質の 質量と高速度の事情をかけたものに等しい という式が導き出されました 。この関係式は後に原子格膨大な エネルギーを取り出すという核エネルギー の利用へと繋がります。 相対性理論というこの一見奇妙な現象は 我々の生活には全く関係がなさそうに見え
54:18 ますが、実は我々はこの相対性理論に非常 にお世話になっています 。これはGPS衛星による正確な位置の 測定の補正に関してです 。今日我々はスマートフォンを使って位置 情報を便利に利用していますね 。この1度制度に関わる問題です。 EPSは地上の約2万kmの高さを周回し
55:05 ています 。そのため相対論的効果によっ てGPS衛生と地上の重力が異なるために 時計にずれが発生します 。この時間のずれがあると無視できない ほど位置がずれてしまうので相対性理論を 用いて補正されているのです 。この補正がないと1日に1情報が1km ほどずれると言われています 。我々がGPSによって自身の正確な位置
55:50 を知ることができるのは相対性理論の おかげなのです 。他にも相対性理論によっ て導かれた様々な関係があります 。その1つは太陽のエネルギー源について です 。太陽は宇宙に数多くある星のうちの1つ で、夜空に輝く星たちは太陽と同じく自ら 輝く光性であるということは分かってき ましたが、それでも太陽は地球に近いため
56:37 我々にとっては特別な存在です 。太陽からの放射のおかげで地球は食物が 育ち生命を育むことができます 。地球の気候や気象、海流の動きなども 太陽の影響によって起こっていますので 生命の皆源と言えるでしょう 。もし地球の軌道、太陽の周りを回る軌道 が太陽に近すぎても暑くなってしまい、遠 すぎると寒くなりすぎてしまいますから、 地球は太陽から最適な距離にあったおかげ
57:23 で生命が生まれ、人類が発展していきまし た 。この太陽からの放射が地球に到達した分 のエネルギーを調べる とたった20秒間 に地球の全体がに太陽から受けた エネルギーで日本の年間層発電量を賄える ほどの量になります 。このような膨大なエネルギーを放出して 太陽はなぜ輝き続けることができるの でしょうか
58:08 ?この問題は物質を構成 する原子格や電子などを研究するソ粒子 物理学者たちによっ て太陽中心部で起こる核融合によるもので あることが明らかにされました。 星の中心では高温高密度でたくさんの水素 が存在します 。やがて水素同士が互いに融合し合い、 水素からヘリウムが作り出されます。これ が核融合反応です
58:55 。核牛号によってどれぐらいのエネルギー が取り出せるのでしょうか ?これは先ほどお話しした アインシュタインの特殊相対体制理論で 導かれた式を用いれば計算できます 。それによると太陽中心の1gの水素が ヘリウムになるだけ で石油のほぼ1万6000Lを燃焼させた 量に等しいエネルギーを得られることが わかりました 。現在我々が主要なエネルギー源として
59:42 用いているのは石油エネルギーです。 石油には機嫌があり、いつかは枯渇して しまいます 。このエネルギー問題を解消するのに核 エネルギーというのは売っ付けですが、 その代わりこの膨大なエネルギーを人間の 手で扱うにはまだ大きなリスクを伴ってい ます。
1:00:27 アインシュタインによる一般相対性理論を 宇宙に適用すると宇宙が膨張したり収縮し たりとするという理論 にが予言されました 。宇宙が膨張していることは遠くの銀河が 我々から遠ざかるというアによる観測に よって明らかになります 。宇宙が膨張しているのであればそもそも 宇宙の始まりはどうだったのでしょうか ?1946年頃宇宙は高温高密度の日の玉 状態で誕生し膨張と共に温度と密度が
1:01:18 下がりその過程で元素ができ星や銀河など が形成され、現在に至ったというビッグ バン理論が提唱されます 。この理論は宇宙から届いたマイクロ派 背景放射が発見されることによって確かな ものへと確立していきました。
1:02:03 宇宙の前貌が分かってくると、今度は我々 は宇宙への寝出を目指していきます 。特に第2次世界大戦後の冷戦時代には アメリカとソ連の私立な宇宙開発競争が 発生しました 。最初に宇宙に飛び出したのは旧ソ連に よるスプート肉号で初めての人口衛星です 。
1:02:49 また 1961年には旧ソ連による人類初の友人 宇宙飛行が行われました 。この写真はこの時宇宙から放出された カプセルを表してます。 このカプセルに乗り込んでいたガガーリン は地球は青かったという有名な言葉を残し ています 。19間から地球を見た初めての感想です ね。
1:03:37 続いて1962年にアメリカによる友人 地球集会飛行も行われるようになりました 。 空間での人の飛行が可能になると、今度は 人々は月を目指します 。ついに1969年7月16日 、アメリカによるアポロ11号が月に向け
1:04:22 て打ち上げられます。 4月20日にはアポロ11号は月面に着陸 します 。この時面に降り立ったニール アームストロング船長 は1人の人間にとっては小さな一歩だが、 人類にとっては偉大な飛躍だと述べてい ます。 月への到達は宇宙空間で耐える素材や ロケットエンジンの開発
1:05:07 、目標座標で着陸するための コンピューター技術など数多くの技術確信 によって支えられ た結果なしることができたのです 。これらの技術は我々の生活にも応用され 、豊かな暮らしをもたらしています 。アポロ計画に関連して23回もの ロケットの打ち上げが行われました 。必ずしも成功だけではありません 。失敗から問題解決方法を学び、何度も
1:05:56 トライしてこの異をなし得たのです 。この写真はアポロ11号に先だって人を 載せて初めて月を集回して地球に帰還した アポロ8号からの地球の姿です 。アプロの乗り組み員たち は真っ黒な宇宙に浮かぶ青く輝く地球を見
1:06:48 て地球はもろく明かない存在に見えたと 述べたそうです 。宇宙から見る地球は国境はありません 。外から地球を見つめること で国ごとの争いごとの無味さや地球の有限 さに気がつきます 。この写真は先のことのみに囚われるので はなく、グローバルに物事を考える必要性 を多くの人に訴えました
1:07:33 。地球温暖化対策になかなか合意できず 国家の緊張も高まっている。今だから こそこの重的な視点から地球を見ることが とても大事なのではないでしょうか 。皆さんはこの青く輝く地球を見て何を 考えますか
1:08:23 最後に課題についてお話しします 。課題の詳細や締め切り、提出場所は授業 支援システムに掲載されていますので、 よく確認して提出してください 。1つ目の課題は講義内容のまとめです 。2つ目は地球環境や人類存続を脅やかす 問題として何があるか、また問題解決の ためにどうしたら良いか。自らの考えを 述べてください 。以上でこの講義を終わりにします。 ありがとうございました。