日本の名作を読む 第4講−2 伊勢物語

簡単なまとめ

この動画では、ある物語の一節を読み解き、和歌の力と、それによって変わる男女の感情について考察します。具体的には、夫の浮気を疑った妻が詠んだ和歌によって夫の心を取り戻す話と、捨てられた女性が高安で詠んだ和歌が男の心を動かせなかった理由を比較します。和歌のテクニック(序詞、掛詞)や、当時の結婚観、女性の立場などを解説し、視聴者に感想や意見を求めています。

  • 和歌の力で夫の心を取り戻す話
  • 捨てられた女性の和歌が男の心を動かせなかった理由
  • 和歌のテクニック(序詞、掛詞)の解説

幼なじみの結婚後:妻の親の死と夫の浮気

結婚後、数年が経ち、妻の親が亡くなります。これは、妻の実家からの経済的な支援がなくなることを意味します。昔の結婚は通い婚が基本で、夫は妻の家へ通い、妻の実家の財力によって養われていました。妻の親の死は、経済的な支えを失い、生活が苦しくなることを意味します。夫は河内の国高安に新しい妻を持ち、通うようになります。妻は嫉妬するでもなく、夫を送り出します。夫は、妻に男がいるのではないかと疑い、家の庭に隠れて様子をうかがいます。

心を繋ぎとめた妻の和歌

妻は「風吹けば沖つしら浪たつた山夜半にや君がひとりこゆらむ」という和歌を詠みます。この和歌には「序詞」と「掛詞」というテクニックが使われています。「序詞」は比喩を使ってイメージをプラスするもので、ここでは夜の海の不安なイメージを喚起しています。「掛詞」は同じ音で意味が違う言葉を使うもので、「たつた山」の「たつ」が波が立つという意味と山の名前をかけています。この和歌によって、妻の心配や不安な気持ちが伝わり、夫は心を動かされ、河内へ行くのをやめます。

高安の女が捨てられた理由

男が高安の女の元へ行くと、女が自分でご飯をよそっているのを見て、男は嫌気がさして行かなくなります。当時、ご飯をよそうのは下女の仕事であり、自分でやるのは低俗なこととされていました。高安の女は、男が来なくなった後、二首の和歌を詠みます。一首目は「君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨はふるとも」で、男がいる方角を見ていたいという気持ちを詠んでいます。二首目は「君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る」で、来ると言ったのに来ない男を待ち続ける切ない気持ちを詠んでいます。しかし、男が来ることはありませんでした。

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0:00 はい、ではですね 幼なじみの結婚後というところを見ていきましょう 結婚後、何年か過ぎるうちに 女の親が亡くなるということが起きてしまいます これはとても大事なことで、大きな出来事で というのは女の親が亡くなるということは 奥さんの実家の経済的な支援がなくなると いうことを意味する訳ですね 昔の結婚の仕方は通い婚といいます 『落窪物語』を読んだ時に、少将ですね 少将が落窪の君のところに通っていってましたよね 男が女のところに通うという これが基本の結婚の形態になるんですね

0:57 それで、その通ってきたお婿さんですね お婿さんのことをですね その女の方の実家の財力によって養うと 面倒を見る、世話をしてあげるということになる訳です ですから、女の方の親が亡くなるということは その経済的な支えというものがなくなってしまうということで たちまち、生活が苦しくなってしまう訳ですね そこで、ということですね 男は河内の国高安 大阪の今でいうと八尾の辺りになるんですけれども 河内の国の高安の郡に新たに妻を持ち、通うようになったと 新しくですね 支えてくれる、経済的な支援をしてくれるところを見つけた訳ですね

1:45 そちらにも奥さんを持つようになったんだよということですね 昔は今と違って、一夫多妻なので 一人の男の人は色んなところ 女の人のところに通うことができた訳ですね そういう風にして新しい奥さんが通うところができたことに対して この幼なじみの女は嫉妬するでもなく、男を送り出すと 河内の国高安に行こうとする旦那ですね 旦那を「行ってらっしゃい」と 「まあ、また行くの?キィ!」みたいなことはしなくて 行ってらっしゃい、という風に普通に平然と送り出してくると あまりにも嫉妬もしてくれないし 普通に送り出してくれるから これはもしかして、女の方に男がいるからじゃないかと

2:35 浮気しているからではないか、という風に疑った男は 河内に出かけたフリをして 前栽(せんざい)という風に読みますが お庭にちょっとした、高さの低い木とかを植えたりしている訳ですね そういう庭の植え込みのところに身を隠して、行ったフリをして その後残された自分の奥さんが、幼なじみの妻がですね どういう風にするのかなという様子をうかがっている訳ですね そういう風にして様子をうかがっていると その奥さんですね、女が和歌を詠んだと それで、その和歌を聞いて、愛しさが

3:23 「ああ、この人のことが愛しいな」という風に思った男は 河内に行くことをやめてしまうということになる訳です 和歌の力ってすごいよねというね この和歌がテーマの物語ですから、和歌をきっかけとして 新しいところに通いだした旦那の心をこっちに向けることができたと 和歌ってすごいなという、和歌の力ってすごいねというね 歌物語というのは、この和歌がどれだけすごいか 素晴らしいかということですね それを一つ伝えたいということも、もちろん話のテーマとしてあるので

4:09 和歌ってすごいねというね そういう和歌なんですね それでは、ちょっと浮気をしてしまったですね 旦那の心を繋ぎとめた奥さんの和歌とは どういうものかというのをちょっと見てみましょう 何を言えば、男の心をぎゅっと 自分のもとに取り戻すことができるのかですね こんな和歌を詠んだんですね 「風吹けば沖つしら浪たつた山夜半にや君がひとりこゆらむ」と いう風に詠んでいます 何を言っているんでしょうか? ちょっと詳しく見ていきましょうね 「風吹けば」はいいね、「風が吹くと」ということですよね

4:56 風が吹くと、沖の白波と 海を思い浮かべてくださいね 海の沖の方に白い波が立つと 沖の方に白い波が、白波が立つ、波が立つという風に言いますね 波が立つ、とですね 「風吹けば沖つしら浪たつ」というのは、ここまではいいよね ここに山が出てきますね 海を皆思い浮かべていたと思うんですけれども いきなり山が出てくる 「え、海なのに山?」と思うよね ここはちょっと違和感があるというのは、心に留めておいてね この山は何の山かというと これ龍田山という山があるんですね

5:42 大和から河内を結ぶ山、つまりですね 奈良と大阪を結ぶ山ということですね 大和とは奈良ですね 河内というのが大阪 今ですね、男は新しくできた妻は河内の女ですね 大阪の女ですね だから大和から河内、その新しい妻のところに行く時にある その間にある山ですね それが龍田山ということになる訳ですね 龍田山ですね

6:27 龍田山を、ということですね 「たつた山」その後は 「夜半にや君がひとりこゆらむ」と 夜半とは、夜中に、ということですね 夜中にあなたがひとり、一人でということですね 山を越えているかしらと 夜中にあなたが龍田山を一人で越えているのかしら という和歌を女が詠んだということですね 元奥さん、元というか、前からの幼なじみの妻が詠んだということですね ちょっと文法を復習しておきましょう 「こゆらむ」の「らむ」ですね これは現在推量の助動詞

7:20 「今、~~しているんだろうか」ということですね 「今、~~しているんだろう」ということですね ここに「や」というのが、これが疑問になる訳ですね だから夜中にあなたが一人で越えているのかしらと 今まさにあなたが山を越えているのかしらと いう和歌を詠んだ訳です さあ、これ結局、何が言いたいんだと 最初、海の話をしていたのになんで山の話になっているんだと いうことになってきますけれども

8:05 こういう、ちょっとよく分からないなという時ですね 和歌を直訳、前から訳していって 何を言っているんだろう、ちょっとここおかしいよねという時 その時は大体ですね テクニックが込められていることが多いんですね 和歌というのは幾つかその短いフレーズの中に 短いフレーズの中に、言葉 自分の思いを乗せなくてはいけないんだけれども 文字が少なすぎてですね この言葉、文字数では思いを乗っけきれないという時がある訳ですね そういう時に使うのがこの和歌のテクニックになってきます 今回のこの妻の和歌の中には「序詞」というテクニックと 「掛詞」というテクニックが使われているんですね

8:54 序詞というのはどういうテクニックであるかというとこれは「例え」です 比喩を使ってイメージをプラスするというのが序詞で 掛詞というのは意味を引っ掛ける 言葉を引っ掛けるということで 同じ音だけれども、意味が違うという言葉を使って 一つの言葉に二つの意味を引っ掛けると 例えば、こんな和歌はないけれども 「あめ」がありますよね、雨が降る、お天気の雨ですね 雨が降るという「あめ」という言葉は 食べておいしい舐めておいしい飴ちゃんの「あめ」というね 「あめ」という言葉で、お天気の、空から降ってくる雨と 食べ物の飴という二つの意味がありますよね そういう同じ音だけれども、意味が違うよという言葉を

9:42 一個入れることによって、文字数は三文字とか二文字なんだけれども 二つの意味を持たせることができると それだけ言いたいことを膨らますことができるということですね そういう風にして、限られた文字数の中に思いを 盛り盛りしていこうという、それがテクニックなんですね だから和歌というのは、このテクニックがネックになって これがとても難しいから分からないと 和歌はちょっと嫌だなと思われる人が多いんですけれども そもそも何の為にこんなもんを使っているのかと言うと やっぱりそれだけ溢れる思いを その言葉の中に込めたいという思いがある訳ですね その思いを汲み取ってあげるということがとても大事になってきます

10:28 その序詞と掛詞というのはどこで では、この和歌の中で使われているのかというと この訳していった時の、この違和感があるところですね ここは大抵テクニックが盛り込まれている ポイントになることが多いんですね 「あれ、海のことを言っているのに、山のことってどういうこと?」 と疑問を持ったら それはあなたの解釈が間違っているのではなくて テクニックが入っていることが多いんだ 「あ、テクニックかな?」とお考えになるといい訳ですね では、この和歌で、奥さんが妻が言いたいのは何かと言うと 今、海の話は全然関係ない訳ですね 旦那が新しい女のところに通っていったという

11:14 そのことを「今では山を越えているかしら」ということを 思っている訳ですね だから、現実に即した女が言いたい内容は 龍田山を夜中に旦那が一人で越えているのかしらと この部分が言いたい内容だよね では、ここは関係ない部分になりますよね この関係ない部分が 修飾、比喩、例えになっているんですね これはどんな例えをしているのかなということです この部分が序詞という 風が吹くと、沖に白波が立つと これは真昼間ではないよ、夜中の海だよ

12:03 夜中の海に、風が吹いて、波が立つというのは 何となく暗くて波の音だけがちょっと怖い感じがしますよね そういう何となくですね不安だなとか、不安感ですよね あるいは「何か起こるんじゃないかしら?」という危険な感じ そういったイメージだよね イメージを喚起するというね、そういう働きがある訳ですね ああこんな暗い時に山を越えるなんて心配だわという その心配感であったり 男の心が離れていっているのかもしれないという 妻自身の不安感だったり、そういう心のざわめきというのかな

12:51 ざわざわとした音を その夜中に聞こえてくる波の音に乗せている訳です だからこれは言ってみれば バックミュージックという風に考えてもらったらいいですね それでここの部分ね、ここの意味が分かる部分というのが歌の歌詞で ここの序詞の部分がバックミュージックでその ザワザワ、ザワザワ、ザワザワ、という音で 何かこう雰囲気を出しているという風に思ってもらったら この序詞というのが比喩であるということ そしてイメージをプラスするという働きが ちょっと理解しやすくなるんじゃないかなという風に思います

13:37 そういう何か波のざわめきというものを 和歌を聞いた、読んだ人の頭の中に、こう想像させる訳です それで何か不安感がこう、ザワザワザワ、ザワザワザワ、と来る時に 「ああ、そんな怖い時頃、私の夫は一人で夜中に越えているのかしら」 ということになる訳ですね さあ、そしてね、この海のこの話と山の話 全く違う話をくっつけなくてはいけないよね そのくっつける働きをするのが もう皆さんお気づきだと思いますが 掛詞ということになる訳ですね ここに「たつた山」というのがありますね

14:24 「たつた山」というのが、波が立つというのと、山の名前と 二つの意味をちゃんとくっつける接着剤の働きをしている訳ですね 龍田山の「たつ」と波が立つの「たつ」 この二つを接着しているこの「たつ」 全く違う海と山の話をちゃんとくっつけてくれる これが掛詞というものになる訳です だから序詞と掛詞というのは連動することも多いですね 序詞の、飾りの修飾の部分と 本当に言いたいことを繋ぐ為に、繋ぎが必要になってくるので

15:13 掛詞が連動して使われることが多いですね さあ、こんな暗い真夜中に私の夫は一人で 山越えをしているのかしら、心配だわ 危険な目に遭わないかしら、というそういう心配の思い そして旦那の心が離れていくのかもしれないなという その女自身の不安な気持ち そういうものをこの和歌に乗せて詠んだということですね それを聞いて「愛しいな」と思った男は 河内通いをやめたということになる訳です さあ、もう一度ちょっとテクニックを確認しておきましょう 序詞というのは例えですね こういう例えを使ってイメージをプラスする方法

16:02 今回の女の和歌ではそういう波の音というのがありますね そして、それがイメージとしてあるんだけれども この序詞というのは、そういう音のイメージ 音でイメージをプラスするというのもあるし 映像の場合もありますね だから歌、和歌の、平たく言うと歌詞とバックミュージック 演奏でそれを盛り立てるという場合と あとは映像を加えることがありますね、イメージですね 映像、テレビにそういう雰囲気の映像を映し出す訳ですね

16:47 歌を歌っている時に、背景に、テレビにそういうものが映っていると より効果的になりますでしょう そういう働きを言葉でやっていると いう風に思っていただけたらいいかなと思います その比喩と本当に言いたいことを繋ぐのが掛詞 それでどういう風に繋ぐかというと、同音異義というね これをうまく利用する、これが掛詞 という風にご理解いただいたら ちょっと分かりやすくなったらいいなという風に思っています さあこれは、このお話は和歌ってすごいねのお話ですね 和歌を詠むことによって、夫の心を繋ぎとめることができた歌ですね ではではですね、こちらの方ですね

17:33 あの捨てられた方ですね 高安の女の方は、なぜ捨てられたのかというのを見てみましょう ということで、まずどうして男は高安の女が嫌になったのか 愛が冷める瞬間というのが描かれているんですね こんな風に書かれています たまたま例の高安にやって来てみると、と たまたまというのもどうかなと思うんですけれども その高安にやってきてみると、この女は はじめの頃こそ、奥ゆかしく粧っていたが その通い始めた初期というのは、その高安の女も奥ゆかしい様子で ちゃんとお化粧もして、身なりも整えて男を迎えてくれていた訳ですね

18:20 ところがだんだんこう、何年か過ぎていましたよね (通い始めてから)何年か過ぎたとは書いていないな、ごめんなさいね だけれども、「うちとけて」だから はじめの頃からしばらく時間が経っている訳ですね そうすると「いまはうちとけて、手づから飯匙とりて、 笥子のうつはものにもりけるを見て 心憂がりて、いかずなりにけり。」と 今は、もうちょっと慣れ親しんでしまった訳ですね、女の方が そして自らですね 「手づから飯匙とりて」と、これはご飯を取る時の匙と書いていますね おしゃもじのことですね

19:07 だからしゃもじ、自分でしゃもじを手にとって、ということです そして笥子というのは食器という風にお考えくださいね 「笥子のうつはもの」ですね 食器に、高安の女自らご飯をよそってくれたと 「これは別にいいじゃん?」と今の私達の感覚だったら思うんだけれども ご飯をよそうとかいうことは、当時としたら そういうことをちゃんとやる下女がいてる訳ですね 下女にやらせることであって ちょっとこういう言い方はきついかもしれませんが ちょっと低俗なことになってしまう訳です そういう姿を見て「心憂がりて、いかずなりにけり」と

19:55 嫌だなという風に思って、行かなくなってしまった ということなんですね 何だか今の感覚で考えてしまうから、いいじゃんと思うんだけれどね ご飯をよそってあげたいよねとか思ってしまうんですけれども それを見て冷めてしまったということになる訳です その後、高安の女はどうしたか せっかく通って来てくれた男がもう来なくなってしまう訳ですね ちょっともう切ないんだけれども 高安の女も、和歌を二首も詠んでいるんですね だけれども、男が来ることはなかったということで 男を繋ぎとめることができなかった、高安の女の和歌が 二首載せられているんですね さっきは和歌ってすごいねというお話でしたけれども

20:43 ここは和歌を詠んでも駄目だったねというお話になっている訳ですね では、高安の女はどんな和歌を詠んだのか 高安の女は、大和の方を見て、と 奈良の方、男が住んでいる方を見て こんな歌を詠んでいます 「君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨はふるとも」 あなたが居るあたりをずっと見ていよう、ということですね 生駒山の方を見ていようと 「雲なかくしそ雨はふるとも」と ちょっと文法を復習しておきましょう 「雲なかくしそ」のこの「な」と「そ」というやつですね これは禁止の言い方なんですね

21:30 だから「雲よ、隠さないで」というね 「雨が降っても」ですね 雨が降っても、雲よと 生駒山のあたりをもう隠してしまわないで、雲で覆ってしまわないで 何でかって あなたが居るあたりを私はずっと見ていたいのよと 雲が被さったら見えなくなっちゃうから、雲よ隠さないでちょうだいね 切なすぎますね という歌を詠んでいる訳ですね あなたがいる方をずっと見ているわ、ということですね

22:19 そういう歌を高安の女は詠んでいると とっても一途で可愛らしいよね それで、男が来たら ご飯を自分でよそってあげたいと思うこの女心ですよ なんかね、何だかなと、私は思うんですけれども ちょっと続きを見ましょう ようやくのことで、男が「行こう」と言ってきたと 女は喜んで待っているが 毎回言葉だけで男は来ないと、酷くないですか? そこで詠んだ和歌 「君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る」 と歌を詠んだ が、男が来ることはなかったのであったと さあ、二首目の高安の女の和歌を見てみましょう

23:04 「君来むと」と、あなたが「行くよ」という風に言ったと 男が「行こう」と言ってきている訳ですよね と言った、夜は、ということですね 夜は過ぎてしまったと 夜ですね、ずっと待っているんだけれども 来ると言ったのに来ないというね そういう夜が過ぎてしまうと 夜ごと、と言っているよね だから、夜・夜・夜で複数な訳です 夜はいつも来ないと 一回だけじゃないのよね

23:55 あなたが行くよ、来るよという風に言ってくれた夜は いつも来ずに過ぎてしまうと 待っているのに、もう朝が来てしまうと そんな夜をもう何回も何回も重ねてしまったと だから、「頼まぬものの恋ひつつぞ経る」と 「頼む」というのは、古文では「あてにする」という意味がありますね もう期待はしていないのよと もうあてにしていないのよ 「ものの」というのはこれは逆説になるんですね だけれども、とね だから頭では、もうこれ毎回のことだから もう来ないんだろうなという風に分かっているから

24:43 頭の中では、もうあてにしないという風に もう期待なんかしないわと思う訳ですよね 理屈では分かっているから だけれども、やっぱり恋しいという思いが 湧いてきてしまう訳ですよ この「ものの」の葛藤、女の心のどうしようもないですね 頭では分かっているけれども、やっぱり「恋ひつつぞ経る」と 恋しく思っているのよ、ですね もうあてにはしていないんだけれども やっぱり恋しいという思いを抱きながら時間が経ってしまうと

25:28 そういう歌を詠んでいるんですね 私、この捨てられた方の高安の女というのも とても可愛らしくて愛しい女だと思うんですけれども いかがでしょうか、皆さん 今日はここのところをちょっと一つの問題にしたいと思っていますので また皆さんの感想を聞かせてくださいね 夫の心を繋ぎとめた和歌と この繋ぎとめることが出来なかった高安の女の和歌は 何が違ったのか どうして、男はこの和歌で心が動かなかったんだろうか、と そして、この高安の女が捨てられるということについて 皆さんどう思う?という 是非、色んな立場から、ご感想・ご意見をお寄せくださいませ

26:19 それではちょっと長くなりましたけれども これはまだ第2部で、第3部がありますので この後も続けて視聴してくださいね 一旦ここで切ります

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