0:00 はい、こんにちは 今日は『土佐日記』を一緒に読んでいきたいと思います まず、文学史的なことを押さえておきましょう ジャンルは日記ですね、よろしいですね この授業では、初めて読む日記というジャンルになりますね 今までの物語 そして随筆とはまたちょっとね、テイストが違いますから そこの辺りを、一緒に読み味わっていきたいと思います 成立は平安前期、大体935年頃 『枕草子』とか『源氏物語』が大体1000年ぐらいですから 少し前になりますね ですから、平安前期ということになる訳です 枕とか源氏が平安中期ですね 『土佐日記』は平安前期、前期の文学としては
0:46 『伊勢物語』やりましたね あれも平安前期の文学になります 大まかな区分でいうと、皆、中古ということになるんですけれどね 作者は紀貫之という人物ですね 文学史的に押さえておきたいのは、やはりこれが最初の日記 特に平仮名で書かれているということですね 平仮名で書かれた最初の日記であるということに大きな意味があります 作者の紀貫之という人は この『土佐日記』の作者としてだけではなくてね 和歌の方でも非常に有名な人物なんですね 歌人としても名が知られています なぜかというと
1:32 古今和歌集という一番最初の勅撰和歌集という風に言われる つまりは天皇の命令で選んだ和歌集ですね それの撰者になった人ということですから なかなか選ばれし者だった訳ですね それだけ和歌に通じている人物として知られていた それだけではなくて、その勅撰和歌集の古今和歌集の序文ですね 特に平仮名の方の序文、仮名序というね これも書いたという これも非常に紀貫之のやったお仕事として よく有名な、知られていることです 大体この仮名序を書いたのが、貫之が30代の半ばぐらい 36歳ぐらいの時という風に言われています
2:22 その後ですね 貫之は晩年になってから、土佐守という地方官ですね 土佐、高知の地方官のお役所お役目というものを授かって 土佐の国に行くことになったんですね 大体60歳ぐらい、ということですから、何て言うんだろう 私達は、紀貫之は古今和歌集の撰者で「あ、凄いじゃん!」と 天皇に選ばれた人ということで非常に 名誉な人だから凄いどんどん出世してきたんじゃないかしら という風に思ってしまいがちなんですけれども 実際には貫之というのはそこまでですね 宮中のポジションとして官位、出世ということですね
3:08 ということは出来なかった人なんですよね しかも、晩年になってから、60歳になってから 京を離れて土佐の国へ行けという風に言われてしまうので 何かちょっと複雑なお気持ちだったのではないかしらと 勝手に思ってしまうんですけれども そういう風に、宮中のお仕事としては そんなに恵まれてもいなかった人なのかもしれませんね この『土佐日記』はその土佐に行く事になったということは やっぱり関わってくる日記な訳ですね さあ内容を見ておきましょう 地方官としての任期を終えた「ある人」が 京の我が家に帰るまでの船旅の日記
3:54 つまり、土佐の国から京に戻るまでですね その道中を書いたのが、この『土佐日記』ということになる訳です ここで、わざと「ある人」という風に書きましたよね 貫之が行って帰ってきているから、貫之じゃないのと 「私が」と普通日記というのは自分のことを書きますから 「私」のことを書きますよね ですから、私はこうしたこうした、私はああしたこうした という風に毎日毎日、私私と書かなかったとしても 主語は書いている自分というのは明らかなんですけれども そこをあえて自分を出さない書き方をしたのが紀貫之なんですね 「ある人」という風に、こういう架空の人を想定して
4:42 そしてその人の旅日記という風に仕立てている訳です そこが一つミソでもあるんですね どうしてそんなことをしたのかしらということも 一つ考えておくべきポイントになるかも知れませんね さあ、この船旅なんですけれども 今の私達の船旅を想像してはいけない訳ですね この当時の船旅ですから、豪華客船でですね クルーズのように行くという訳では全然ない訳ですよね 船もそんなにエンジンがどうとか、そういう船ではありませんから 非常に危険な旅なんですね 途中で海が荒れたり、あるいは海賊に襲われたりという そういう危険もある、非常に大変な旅ですね そういう思いをして、土佐に行きそして土佐から京に帰ってくる
5:30 その紀行文ですね それを書いているのが、この『土佐日記』ということになる訳ですね さあそれでは、ちょっと内容を読んでいきましょう 先程申しましたように これは「貫之が」という貫之主語の日記にはなっていない 「私は」になっていない 「ある人」に仮託している日記、文学作品ということですよね どうしてそんなことをしたんだろうかと この一番最初の書き出しですね 非常に有名な一文で学校で習った 何か聞き覚えあるなという人も多いと思います 『土佐日記』はこの一文で始まるんですね 「をとこもすなる日記といふものを」
6:15 日記というのは古文では「にき」という風に読みます 「をとこもすなる日記といふものを をむなもしてみむとてするなり」と この一文で『土佐日記』が始まるんですね 皆さんは、普通日記を書くときにね こんな何か文章を書く? 何月何日、天気晴れでしょう?日記のかたちというのは そうではないんですよね こういう文章で始まっているというのが もう何かちょっと普通の日記と違うなという 何か違うという感じがしますよね この最初の一文は何を書いているのか ちょっと直訳してみましょう 「をとこもすなる」男だね 「すなる」のこの「なる」という文法をちょっとやっておきましょうか
7:03 「なる」というのは、これは伝聞の助動詞だから 「男もする」という風に聞いている訳ですね 伝え聞いていると 男もするという日記というものを、女も 「をむな」というのは女ですね 女も「してみむ」と、してみようと思ってするんだと 「なり」が2か所出てきて、これがよくね 入試なんかで文法問題になるんですけれども ここの「なり」は、これは断定の「なり」なんですね であると訳しますね 女もしてみようと思ってするのである もう断言している訳ですね 男もするという日記というものを
7:50 女である私も、ということだよね してみようと思ってするのである 「えっ!?」と、貫之は男ですよね 男なんだから、男の日記を書けばいいんだけれども そうではなくて、男の日記は知らないという体になっている訳ですね 「男もするっていう」と伝え聞いている 「男の人は日記書くらしいよ」と伝え聞いているんですね 「え~男の人って日記も書くのね」「日記って何なのかしら?」という そういう感じがこれ伝聞なんですよね だからここで、「といふ」という風に書いていて 男の日記、どんなものか知らないと
8:42 男の人が書くという、日記というもの どんなものか私見たこともないけれど だけれども、私もその日記 男の人がつけているらしい日記というものを 私も書いてみようと思うの、ということですね という風にこの『土佐日記』というのは始まるんですね だから女の人に、主人公ですね 書いている人を仮託していると、託しているという そういう始まり方をするんですね 不思議な日記ですよね なかなか普通の自分の日記ではそんなことしませんよね 不思議な日記なんです どうしてこういう風に、日記という 日記というのは基本的にはプライベートなもので 人に見せないのが前提ですよね
9:28 自分のために自分が見る、私的なプライベートな空間ですよね そういうものであるのに、どうしてそこにわざわざ宣言を 私これから書くわよというね 日記宣言をしないといけないのかということですね これはちょっと考えてみたいポイントですよね さあ、そこへ手がかりになるのがここで言っている 男もするという日記というもの、というね 日記というものがあるらしいと その当時の日記というものはどんなものなのかと 男が書いているらしい日記とはどんなもの?と これが男の日記です これは藤原道長ですね 道長が出てきましたね 彰子様のお父様でした 道長が書いている日記『御堂関白記』という日記なんですけれども
10:14 これは残っているんですね、これは道長の日記です さあ、これはどんな日記なのか これがまさに男が書いている日記なんですよね これはどういうものかと、ちょっと罫線があるんですよね 線がありますよね ここに廿三日、廿四日という風に、日にちが書いてあるんですね この日はどんな日ですよ、という一種の暦ですね 暦というのは簡単にいうと、今でいうカレンダーみたいなものです 今の私達のカレンダーにも大安とかね
11:04 そういうの書いているカレンダーありますよね あれと同じように、日にちとその日がどういう日かというね そういうことが書いてある そういうカレンダーみたいなものがある訳ですね そこに行間がちょっと空いているんですよ この行間に書き込むことができるのね だから、このちょっと墨が太いところがありますよね これが道長が書きつけている部分になる訳です 廿三日にこんなことあったよ 廿四日にこんなことあったよという風に 毎日毎日書いている、日々の記録ですよね まさにこれが男の日記なんですね では、道長はどんなことを書いているのか 廿三日のところには、ここですね この墨の部分を起こすと、こないになります
11:52 どうも住吉さんにお参りに行っているみたいですね それで同じ日に天王寺にも行っているみたいと 所々音楽がありましたと 音楽の演奏があったみたいですね また法華経を供養せらると 法華経の供養というものもあったみたいですね 廿四日、御舟勅使有りと、お使えがあったと その勅使は誰かというと、右近中将頼定朝臣だということですね これ、本当にメモですね 何があった、何が行った、どこに行ったという 本当に、記録みたいなもの 私達がスケジュール帳に あの小さい空間に予定で書き込むようなものですよね それが男の日記なんですね
12:37 しかも、これ全部漢字で書いているんですね 全部漢字で書いている、これが男の日記 どっちかといったらスケジュール的 後で忘れないようなメモ書きということですね 毎日「こんなことありました」と まさにこれは記録なんですよね こんなことあった、こんなことあった、ということを書いている これが男が書いているらしい、毎日の記録、日々の記録なんですね 「それを女である私も毎日の記録を書いてみようと思うの」と
13:27 「男の書いている日記ってどんなもんか知らんけど」ということは その男のスタイルを知らないから この形では私書けないのということですよね 知らないということはその形では書けませんよ ということをしようとしている つまり、このスタイルで私は書きたくないのという そういう宣言である訳ですね では、女である私は、このスタイルではなく ではどういうスタイルで書くのかと その時に選択するのが、女が使う文字なんですね 男が書いているのは、これは漢字、男の文字なんですね そうではなくて、女である私はまず書く文字そのものが違う訳です 女の文字はこれは平仮名になる訳ですね 男文字、女文字という風に言われておりました
14:16 漢字というのは、『古事記』の時にやりましたように 中国から来た文字ですよね 昔、『古事記』の時代はもう漢字しかなかったよね そして『古事記』と『日本書紀』の違いでやりましたよね 正式な文章としては、漢文で書くというのをやったよね それが例えば、唐の国に 自分の日本という国がしっかりした国だよとアピールする時に 対外的にも大事になってくるから そういう正式なものとしては 漢詩文、漢文で書くというのをやりましたよね つまり、公的な文字であった訳ですね日本人にとって
15:03 お役所的な文字ですね 男の人はお仕事をしていますよね だから、お仕事で使う文字 それが漢字だった訳ですね お仕事上、歌も詠まなくてはいけないとかね あるいは漢字、中国の文学というものに通じているということが それが教養があるという、男の世界ではなった訳ですね だから、そのために男の人は漢文を勉強する そして歌を詠む時には漢詩も詠めなくてはいけない 漢詩・漢文に通じているということは この公的な文字に通じているということだから
15:49 仕事の世界で上にいけるということに繋がっていく訳ですね 貫之は平仮名の方に通じていた訳ですね、古今和歌集ですね 和歌の方だから、和歌は平仮名で書く歌ですよね ですから、ちょっとこっちの方が強かったら もっと強かったら、もうちょっと昇進できたかもしれんなあ とかいう風にもちょっと思ったりもしますけれども ともかく、漢字というのはそういう男の文字 男の人が使う文字だったんですね それに対してその後、平仮名というのが発明されますよね 平仮名というものはどういうものであるかと これは日本で発明された文字
16:37 つまり、日本人が思っていることを口に出すことを そのまま書きつけることができる つまり、日本人の心というものを表現することができる文字ですね この感情というのは、非常にプライベートなものですね 公的なものに対して、私的なものになる訳ですね 『古事記』の時に太安万侶が序文で言っていたことを 思い出してほしいんですよね 漢字というものでは自分達が思っている思い それと語り伝えてきた語り これを漢字ではもう100%ですね 表現するのはとても難しいという風に
17:24 『古事記』の序文で言っていましたよね 日本人が思って語っていること 漢字というのはどうもぴったりフィットしにくいな それで漢字の音読みと訓読みを混ぜて使うという方法を 太安万侶は編み出して『古事記』というものを書いて 記録していきましたよね 語りを記録していましたよね その語りのままに書くことができる文字というのが 発明される訳ね それが平仮名ということになる訳です ですからそれは、感情を表現できる文字 そして私達が感情そのまま 例えば 5・7・5・7・7 に乗せた歌ですね 歌を書くことも出来る文字になる訳です ですから、これが和歌を書いたり
18:13 あるいはそれで文章を綴ると和文ということになる訳ですね この『土佐日記』の後 『枕草子』とか『源氏物語』という和文ですね 和文脈の文章というものは綴られていきますよね その中で、清少納言が生き生きと自分の感情を 書くことができたというのは もう平仮名のおかげである訳ですよね それで、例えば清少納言の随筆なんかは語っている口調だよね 女同士のおしゃべりのような形で書いている 話してる、語っている言葉ですね それをそのまま書くことが出来る それが平仮名というものだったんですね それでそれを使う主体というものは 漢字の方は男の人が使う、それに対して 女の人は漢字なんて知らないというのが大前提だった訳ですね
19:03 だから紫式部も、お父さんは漢文の学者だったので お兄ちゃんよりも漢詩文をよく読んでいたという話をやりましたよね だけれども人前では、私は漢字の「一」という漢字も知りません というフリをしていた訳です それはやっぱり、女は漢字というものを知らないものだという 暗黙の了解みたいなものがその当時はあったということですね だから、漢字というのは男の人が勉強するし それに対して、女の人は平仮名を使うという風に ここで文字でですね 一応、性別というものが分かれていたというのが 当時の状況だった訳ですね しかし、やっぱり男の人も自分の感情を言いたいですよね そしてやっぱりね
19:49 女の人にアプローチする時に 漢詩でいくらその想いを歌にしたとしても 女の人は漢字を知らない訳だから 漢詩を詠んで送っても伝えきれないというところがある訳ですね だから女の人にアプローチするためにも 平仮名の文字で和歌を詠まなくてはいけないと いうことにもなるので 男の人も平仮名を勉強していったと だからやっぱりこれだけ 平仮名というのが市民権を得ていったというのは 大いにあるだろうなという風に思ったりもしますね ちょっと話が逸れましたけれども そういう風に この漢字のスケジュール的な記録ではなくて感情ですね 自分の語っている思いのままの感情を書き記したいと
20:39 それがこの『土佐日記』で書きたい内容なんだという そういう宣言なんですよね それを冒頭で宣言した では、それほどまでに書き綴りたいという思いというのは 何だったのかということですね、何があったのかということですね 『土佐日記』というのは そのことをね、今日は読んでみたいと思います では、一旦ここで切りましょう