0:00 [音楽] 日本の病を直すよ明です。今回は片岡鶴太郎さんにゲストで来ていただいております。片岡さんよろしくお願いします。 [音楽] よろしくどうぞ。初めまして。 初めまして。よろしくお願いします。私は初めましてじゃないです。もうずっとテレビで見てました。え、私も実は YouTube で拝見しておりました。はい。ありがとうございます。つぐらいから僕のこと見つけたんですか? ここ 12年ぐらい。12 年ぐらいか。あ、そうですか。 これはっきりおっしゃる先生られるんだと思ってて、 で、それで畑山チャンプとのね、対談があって、 で、島田さんとその義野先生がどうしてご縁があんのだろうと、ま、とても不思議だったんですね。で、
0:47 YouTuber を見た先生です。だから柴しさんにどうしてこういうおつがりですかって言って、一度ちょっとじゃあ先生とお会いしてみたいですねっていう話で今日は はい。 島田さんの練習も何回か米ネ倉事務に行きましたみたい。 あ、そうですか。 鶴田さんも米倉事務ですよ。 僕はあの共栄なんです。 あ、共栄ですか?はい。 とかしさん うん。 そして、ま、愚士健さんがいて、ちょうど同じくして鬼塚チャンプがいて、そんで一緒にこう世界へ向かってったっていうのが 37年ぐらい前ですか? そうですよね。で、その頃はボクシングの年齢制限っていうのあったんですか?それこそ島田選手が確かその時も 36とか7ぐらいだったのかな? そうです。そうです。 あれですよね。 その世界ランキング難以内だと年齢制限が解除されるんですか? はい。そうなんですね。あの、要するに、ま、チャンピオンクラス、日本チャンピオンとか世界ランカに入ってればもう
1:35 30 代超えてもう大丈夫なんですけど、私はその 33 歳でライセンスを取ったものですから、 33歳が当時リミットだったんですね。 で、私は32歳の時から 1年かけてライセンスを目指して 秘密練習に入ったんですね。 うん。あれ誰も知らなかったんです。 あ、もう誰も言ってないです。 あの、ついてくださったのは当時あのプツン 5という番組をね、つるちゃんのプツン 5 もう大好きであれ ね。ちょうど先生が思う学生時代の方で中高校生ぐら高校生ぐらいですよ。もう鶴太郎さんがプッツン 5 やめたいやめたいって言いながらやってました。 [笑い] その頃ねギュラーでとかちゃんがいたんです。 ああ、なるほど。 で、チャックウイルソンさん、え、 そんでとかちゃんにどうしてももう最後のラストイヤでどうしても部ライセンスを取りたいとでもう前からやりたかったんですけどもやっとここで
2:27 これで取らないともう一生取れないんでどかちゃん申し訳ないけど誰にも言わず秘密練習してくれないか。 いや、それさん分かったと。じゃあプツン 5の楽屋にお互い 2時間前に入ろうと。うん。 で、楽屋でちゃんが 1 時間要するに足の運みまずステップからでワツからそれを半年間やってでその後チャックさんが楽屋のロッカーみたいなところでそういうところで自分の体だけでこう筋肉をつけていくの はい。基礎体力をつけてもらってそこで 2 人にその体を作るための秘密連をしててで半年間やってで当時私はねもうご存知にポチャっとしてなんです。 この身長で65kmありましたから。 それで津さんがやるんであれば今 65だけもバンタム級かスーパーフライ級
3:16 52km ぐらいがいいんじゃないかとなった時にもう 134km 落とさなきゃいけないんですから 1年で14km つまり半年で7km 落とそうということで、ま、食事制限も始まってそこから食というものをこう考えるようになってうん。なるほど。 それまではもう暴職なんですよ。 あの、芸人としてバラエティバリバリにやってましたからね。レギュラー死本持ってて はい。 番組終わるともう若手の仲間たちと飲みに行って好きなもん食べて朝まで飲んででカラオケやってでその後帰りラーメンってビール飲んで、え、餃子とラーメン食ってそれでもう寝てでも翌日またすぐにそのまま現場に行ってなそんなことやってるもうこんななってて 確かにそんなイメージがございます ね。 そんな風にして芸人時代を過ごしてて、もうこれじゃけないと。
4:03 ま、その頃30 過ぎてから少しずつドラマの方へ、役者の方へスライドしてったんで、本当にこれからは本格的な役者としてやるには要するにつるちゃんというあのポチャっとした用姿ですとやっぱりもうバラエティっぽいですから 1 回その本当に役者としてやるには心身共にこうシップアップしなきゃいけないんで それで絞ると同時にもう幼い時からの夢であったプロボクサーとしてのライセンスを取ろうと うん。そうか。 子供の頃ぐらいからボクシングさんになれた。もう大好きだったんですよ。 もうファイティング原さんがいる。そして大葉さんがいる。 うん。 そういう時期ですから。そんで同学年では愚さんが出てくる ですからね。ものすごくこう憧れてやりたかったんですけど、ま、芸人になりましたからね。 で、生半なことじゃジムに通ないと思っててずっと据え置きにしてたんですね。
4:52 うん。なるほど。 で、よいよお笑いから役者の方にっていう時に、あの、男女市に夏物語とかあれがこう渡して、で、それで役者の仕事が少し出たんで、もう今のんまですとね、大沢というね、その役をなぞったような役なんですね。本当に 役者としてやるにはもうその 要するにバラエティのイメージというか、つるちゃんのイメージを 1回全部捨てて リセットした新たな つ太郎を作んなきゃいけない。 うん。 で、そこにはやっぱり生半なことじゃ役者の世界に行けないだろうと。 で、やっぱり体を絞るにもこれはもうプロのライセンスを取るということで同時に心身を鍛え直して役者の方へ行こうとそういう思いがあったもんですからね。
5:38 うん。なるほど。 そのボクシングとこの芸人の道ってどう選んでたんですか? それはね、やっぱりお笑い芸人が好きだったもんですが、そっち選んでるんですけど、芸人やりながらも後楽園ホールには通ってたんですよ。 あ、なるほどね。 やりたいけど、ま、ちょっと怖いしな生かでジム行ったら殺されるしなと思いながらね、水置きだったんで、それで、ま、タレント活動してくととかちゃんと出会う、愚けさんと出会うでやっとそこに道がついたわけとちゃん申し訳ないけど。 秘密連中してくれないかと。やっとそこで今までの思いを 伝えることができたんです。 でもよく楽屋でバレませんでしたね、他の人に。 あ、そうですね。かしあの最初は本当にあの基本的なステップとワツですからほとんど音しなかったんですね。静かにやってて、ま、チャクさんもこう静かにこう肉体だけで自分の体重を支えるっていうことで筋力つけてって基礎体力つける。だからほとんどうん
6:32 わからなかったんですね。 うん。 うん。実際その共栄事務に行ってでももう時間もあんまりないです。 1年ないぐらいでしょ。 はい。そうです。もう半年経って 7km落として それで88 年になって年上明けそうさ、いよいよジ務行こうとなってそんで預けられたのがあの小口トレーナーというそこに預けられてあのとかちゃんの紹介でそこからまた秘密練習に入るんですね。 で皆さんは夕方から来るんです。 て、うん。 え、お昼から5時ぐらいまで5 時間ぐらい、 もう本当に不器用で何にもスポーツしてなかったですから、もうあのロークも飛べないんですよ。もう足引っかかっちゃうし、もうベタベタの素人の頃から始まるんですね。 うん。 それで見事センスを取って はい。 プロとしてどのぐらいやったんですか?
7:18 33歳という うん。 年齢制限が88年の4 月になりましたらね、30 歳に切り上げたんですよ。 うん。はあ。 っていうのはその当時もすごくリングの後のやっぱり死亡者が多かった。 ああ、なるほど。 で、やっぱりこれ33 歳というのはちょっとこれはまずいだろうっていう 33 歳に引き上げたもんで、もう僕はもう取るためにうん。 やっちゃってますから。 それでもう33 歳もやっていやそれはないだろうと。 で、共栄の会長が うん。 日本北教会に言ってくれていやいや今つちゃん 33歳で とにかく今一生懸命あれ本物だから 1 回見てくれっても日本牧のスタッフが全部来てもらってそこで公開練習したんですよ。スパーリングか何か。 であ本当にやってんだとなってじゃあ分かりましたと。じゃあ
8:05 88年6月のプロライセンスは特別特別に 強化しましょうということで やっていただいたんです。 はあ。あ、 だからもし金会長じゃなかったらば流れてたかもわかんないんです。 ああ、そんなことがあったんですか。 はい。 で、その後はボクサーとしての試合というかやってたんですか? もうこれがね、条件だったんです。ライセンスとっても試合はダメですよと。 ダメ ダメだ。 ダメなんです。もうそれは一応今30 歳までということで、今回は特別に 33 歳でプロライセンス合格の、ま、レベルになってるからそれは一応証明しますと。だけども試合はいけませんと。これはコミショナーとしては責任持てないから。 うん。ああ。 カ会長がフィリッピンで試合しょ。フィリッピンでって言うんですよ。
8:53 そうですか。フィリップなら全然関係ないからって。金平会長らしいでしょ。うん。 もうそういう格索してくれたんですよ。 で、やったんですか? いやいやいやいや。 でもそのプロライセンスの時はですね うん。 午後3時から実疑になるもんで、 もう当時の3時のあなたとか うん。 そういうワイド賞がこぞってきたもんで、もう生中継なんですよ。 え、ええ、 もうリングサイドもあーっともう世界戦みたいなやつ。 いや、そこでね、打たれて俺を巻けしたらどうしようかと思うぐらいですよ。 それで、あの、初めて後楽園ホールのリングに立って、そんでロープをね、こう持ってこう屈伸運動したらパッと見たらもう点々としてるんですね。これ何かなと思ったら 鼻じたとかうわあすっごいとこ来ちゃったな、俺。もうやるしかないな、これと思って
9:40 2 ランド思いっきりやってで、ま、なんとか取るわけで、ま、そんな思いしてますからね。もうライセンス取ったっていうことで私にとってはもう世界チャンピオンぐらいのもう称午というそういう思いがあったもんですから。わかりました。あの、試合。 はしませんと平会長にもフィリピンの試合はやっぱりやめますと。 もう本出しなかったでしょ。 なかった。 そうですか。で、そのやっぱりボクシングやったことがその後の俳優業っていうのにすごく生かされて あ、そうですね。それで、ま、体絞るということ。それでそれまでは食事については うん。 一切何も考えてなかったですから。 うん。 本当に食べたいものを食べて、ま、若い時はそんなに太ってなかったんですけど、やっぱりバラエティやってますと、どうしても仲間との演があったりで、少しずつ仕事も忙しくなってくると仲間もできて、で、プロデューサーさんたちとの飲み会もあったりというんで、ま、よなよな番組終わるともう大体表族なんかはけ方
10:37 2時3 時ぐらい終わってそっからまた飲み越するわけですよね。 うん。そんな遅まで撮影してたんですか? してたんですよ。 あの、週1ですからね。週1 でその日に全部たけちゃんマンがあったり金別予店があったりとみんな取るもんですから朝から晩まれで あ、1日取ってたの1 日なんですよ。あれ 今じゃ考えらんないです。 あ、考えらんないです。 ですから朝入ってもう夜中 でみんな疲れそっから飲み行くんですから。 うん。 すごい時代です。もうバブルの時代ですから。 いや、そうですよね。だからあの時のこのテレビに対するそのセットとかのお金のかけ方も 半端ないですよね。 半端ないですね。だからすごいいいセットでやってましたね。先生ご存じでしょうけど。 卵のやじゃん。ピよこちゃんじゃん。あ、ピピピよ。 あのコ隊のあの着ぐるみ
11:22 であれをですね10 年ぐらい前ですかちょっとリバイバルでやってくれないかって言うんで すんでね代の作ってくれたあのディレクターに あのあの衣装ってないすかねったらあれねもしかしたらあるかもわかんないけどもう 30年ぐらい前だから うん つちゃんないかもわかんないなあれどこで作りましたったらやっち注も分かってもね今あるかどうかでもつるちゃんね あれ今 作ったらとんでもないと思うよ。て言うんですよ。当時 30万したから。 うん。うん。30 万ですか? あの、1体が。 うん。うん。 だからぴよコ体のあのぴよの羽を作るのがもう手作りで そこやって作ったんですって。 うん。それあれぴよ台何人いた? 878 人ぐらい。い、見ました。言いましたいましたいましたいました。それをみんなであの表三道のあの交際店みんなでピー横ちゃんてあるわけですからね。それをディレクター大地はみんなあの屋上から凝ってるわけでね、我々だけがあの格こであるってわけでね。そんなことやってましたから。
12:18 そうだ。昔そのソ外ソのロケもなんていうの?普通に平気でたってもうゲリラでね。 いや、今されませんよね。 あ、もう絶アウトですよ。 ま、ピオよこタイムもそうですけど、あの村にしたいっつうのもあったんですね。 ナイス。素晴らしいねつって。あの村監督の全裸監督ですからパン一なんですよ。パン一でみんな、あの私がもう村監督のこうリーダーになってあと 56 人いてそんでパン一であのロケ車でバーっと表 3 度のこ行ってはいすちゃん降りて降りてって下ろされてで車バーって逃げるわけですね。 で、ディレクターたちはもうあの屋上のところから通ってるだから本当に我々だけなんですよ。 はい。あれ周りの人たってどうどうな? あ、もう全くわかんないでもうだからそのリアクションを欲しいで取ってるわけですね。で、我々は入ってはい。そやてって入ってナイス素晴らしいですねって言いながら渡るわけですよね。で、みんなってうわーなんて言いながら
13:04 今だったらもうアウトレスよ。 アウトですよね。 アウトレス。アウトレス。 あんな格好で言ったら警察きません。 もう来ます。来ます。だからみんなこれですよ。 だから今のコンプライアンスだったらもう本当にとてもじゃないけど無理なあ。 あ、ことだったことがね。 だからあの頃ってもう本当にテレビが楽しいし そうでしたね。 ていうか世の中自体がもう楽しかったですよね。ただ生きてるだけで楽しかったです。だ、今の若い人かいそう。 ああですね。ガスきもできないですもんね。テレビ見てガスできましたもんね。こんなバカやってんだっていうね。もう表さんのでパン一でナイス素晴らしい。どうもなんて言いながらね。 俳優さんになってそれで途中で画にもなられたり あ、そうですね。 それでヨガの方にも行ったり、これどういう天気でこんな風に来てたんです?
13:51 はい。 これは全くあの私がその年代年代であの計画して変わってったわけではなく その年代でやりたいことをやってきた結果がこうしてボクシングがあったり役者があったり 絵を描く画家があったりそしてヨガに行ったってのだからこれが 1つ1つ積み重なったんですよね。 何にも計画だって やったことではないんですね。 うん。こうなんか1ファンとして見てると お笑いをやっていた人がボクシングをやって 絵をやってこうヨガやったりとかってまこういう方いらっしゃるんですけども長く続かない人がほとんどじゃないですか? ああ、 ほとんど成功してないですよね。たけさんがね、映画やったりあやって絵を書いたりとかってそういう人はいますけども、でも本当に少なくって
14:38 芸人さんなら芸人を一生やってるかするとそれすらできない人がほとんどじゃないですか? うん。うん。 なんでこういう才能がたくさんあったんでしょう? いやいや、もう実と本当才能なんか何もなくてですね。 いやいや、 ボクシングやった時もボクサーとしての才能はもうかけらもなかったと思うんですよね。 ただやっぱやりたい、やってみたいということでですから本当に縄飛びも飛べなくて 他の練習生とたまに一緒になると うん。もう若い子たちはね、18 区で入ってきてパパン飛ぶんですけど、僕はもう本当に遊びも足引っかかって、 ま、そんな中で、ま、ぶざな格好しながらもうひたすらライセンスを目指す 1 位練習生としてもうフード被ぶりましてね、安かきながらこうやっててだけど下手なりにですね、ま、あの、毎日毎日続ける反復
15:24 をするっていうことだけをこう年頭においてで、ずっとやってると、 ま、1週間、2週間経つとなんとな 引っかかってんのが12回になって1 ヶ月くらい経つと ふっと見るとこう鏡まで飛んでる自分がいるんですね。 ああ。 もしその木クシングをやってなかったらずっと飛べない私がここにいたんだ。 うん。 だけどもこう毎日毎日コツコツコツコツやってくると 1 ヶ月経つと知らない間に飛んでる自分がいるっていうもうその時の喜びですかね。 うん。なるほど。やっぱり継続は力なりですね。 本当に。 だから飛べたってのはないんですよね。 この日にくるっと飛べたってことはなくやっぱマンチマンチやってなんとなく感じで体がこう飛びるようになってきて私が飛びたいっていう思いをその気持ちを体になんとなくこう思い込めながらやってるとだんだんだんだん体がその絵になってくるもう
16:15 3 ヶ月づらいたとパンパンパンも飛んでこうやってやってるんですね。うん。 これ飛べりようになったんだろうなって自分でも分からないんですけども、ま、体が自然に飛べてる。 うん。やっぱりあれですよね。諦めなかったっていうのと ああ、そうですね。 それから休まなかったってことでしょうね。 それはすごいですね。 だからやっぱ反復っていうのがもう自分の中でもう本当にあの不器用ですから反復する時以外にうん。 技術を得するということは何もないんですね。 ま、それはものすごくこう思ってて ですから根底にあるのはそれなんですね。 絵の世界に行った時もそれは絵もひどいし何も書けなかったんですけどもボクシングの時もそうだろうとま、コツコツコツコツやっていくしかないよってことまちこう書くんですね。 やっていくうちになんとなくデ賛ができるようになり色に対する自分の感覚が
17:06 出てきてああいう縁が出てきたりっていうのが出てくる。つまり うん。 そのボクシングの時の反復である種の成功体験というか それを得てからはほとんどそのやり方ですね。 なるほど。 はい。 これはとってもいい話ですね。若い人たちが 聞いてて夢があるというかね。やっぱり休まないと。 そうですね。一郎さんとか 太さんとかも見てると休んでないですもんね。 休んでないんですよ。 ああいう才能がある方がなおまた毎日まで反復でされるじゃないですか。 だ余計にま上行くわけですけども、ま、僕みたいに何のセンスも才能もない人でも毎日反復やってるとある程度の線はね うん。 いけるんですよね。やっぱり、ま、物事は全て継続して反復すること。
17:54 素晴らしい。 もうこれ以がないですね。 うん。 もう今日これで終わりにしていいぐらいなんですけど、それはダメなのでちゃってね。そ、ヨガはどういうきっかけで始まったんですか? [音楽] ヨガをやるなんと思ってなかったんですよ。 うん。20 年ぐらい前ですかドキュメンタリーを取ってましてね。 で、国で絵を描くっていうドキュメンタリー年一でやってて、もちろんインドも行って、 ま、インド行くと当然の小学校でヨガの時間があるもんで、そこにちゃん入ってみてつってみんなこうやってる中で僕は体硬いし、ヨガはとてもじゃないけど、私は一生やらないなって思うぐらいヨガとは無縁のところに出たんです。ところがですね、 57歳の時に瞑想がどうもいいと メリケーションが うん。 あの、瞑想やるととてもいいというのが耳に入ってんで、なんとなく私が尊敬する人たちを見ると皆さん瞑想やってらっしゃるね。
18:45 で、瞑想っていうのはどういうもんなのか、私がその瞑想をやったらどのように変わっていくのか、その人体実験したいと思いましてね。 ああ、なるほど。 はい はいはいはい。 やってみなきゃわからないんで。 で、その瞑想をやるにはどこがいいんだろうかって色々とこう調べてたんですけど うん。 ま、具体的にどこかということがまず分からずでその時にある方と役者の先輩で僕より 8 つぐらい上ですから先輩やっぱりあの年を重ねるとセリフを覚えるっていうのは大変な労力になりますよね。先輩ね。やったらそうなんだけどでもねあの瞑想やるといいよっておっしゃったんですよ。 え、先輩瞑想やってる。あ、僕もうもう 20年やってるって言うんでな んでそれ早く言ってくれないんですか?僕実は瞑想あ、興味あるの?て、ま、この人が
19:31 1番いいと思うから。うん。 だけだけやるわけにかないと瞑想っていうのはヨガの中の最終的なブロックでヨガってねんなポってますけど実はあれであの肉体と精神をつなげていく言ってみればウォーミングアップみたいなもんで最終的にヨガというのは瞑想をやるためのあれは全段階です て言って うんうん あそうなんですか う ですからさ、あのヨガをやりませんかということでヨガの世界に入っていくんです。 うん。 それでヨガのその哲学科学色々聞いてみたらばもうちょうど私が 57歳で60管理教をね、3 年後に迎えるという時にやっぱりどっかで自分の手書きみたいなの欲しいと思ってたところに
20:21 もうピタっと来たんですね。うん。うん。 確か3年か4 年ぐらい前かな太郎さんがテレビ出てこうなんかねお腹ペコってへっ込んで うわあと思いましたけど あ、あのナウリーというねえお腹をこうしてね内臓をこうしてねんですね。 はい。え、あそこまでできる人なんて ヨがやってる人で1000人に1 人もいないでしょ。 あんまりない。あ、てか全然いないですよね。 はい。 最初からこう芸人さんからのこういいを見てるとこんなにも人って 変わるのかなっていう感じですよね。 ああああ。そうですね。うん。 ご視聴ありがとうございます。え、公表いただいておりますよ明オンラインサロンのご紹介をします。え、毎月 1 回のライブセミナー、そしてこのライブセミナーがアーカイブで
21:09 1 年間全てを見ることができます。是非ともご入会だいと思います。法は、え、概要欄とこに出ていますので是非そちらをご参照ください。 吉の年明式飲用ご業。これのコンテンツが ございます。こちらも概要欄から見ること ができますので、是非こちらもご登録 いただいて見るようにしてください。 よろしくお願いします。 [音楽]